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雑談&連絡スレッド
2429
:
無精髭
:2008/07/29(火) 21:11:12
度々の連投の程、誠に申し訳ございません。
>>2407-2410
、2416-2420で私が申し上げたかったこと
(しかも直接的には言及できなかったこと)を要約致しますと、
「テキストは作者と呼ばれる特定の個人によって作られるものであり、
その事実が作者の意図といった一義的な意味形式をテキストに付与するの
であるが、そんなテキストも公共的な読解の場に晒されるという不可避な
必然的事態を通過してしまうとなると、様々な人間の言語体系(語彙とか
語感とか語法とか言っても構わない)によって再解釈されてしまう結果、
まったくオリジナルのテキストとは異なった方法で書かれたコピーテキスト
が生まれざるを得ないのである」
或いはもっと簡単に申しますと、
「どんなテキストも、作者の意図を超えて誤読される契機を己の内に有する。
だからこそ、様々な考えを持った人々にもそれは読まれ得る」
「どんな文章も、字面における規則的意味の他に、言外の意味という無限の
解釈可能性を有する」
「テキストの作者さえも、自分一人のものではない、他人たちと共有した言語
体系に支配されている。換言すれば、ある種のルールに従うことで言葉を用い
ている。しかし、正にこのことが原因で、読者がともすれば自らの誤読を別の
テキストとして示すのは、自分たちとは異質のルールに従っている為である
という見方が困難になる。何故なら、このテキストは自分が一から書き上げた
ものだ、という信念があるからである。だが、創作行為も、ある種の先行テキスト
の読解という他者との繋がりなしには、生まれ得ない。云々。
※そもそもこういった信念・見方こそが「誤読」という認識を生む。実際に、
完全なる誤読などと言うのは存在しない。「誤読」とは異なった言語体系・
言語規則間の不一致を指すのであって、それぞれの体系の中では、そこでの
ルールに則った正確な読みが行われている。」
上のような考えがありましたので、誤読の必然性を説くことで多少なりとも、
作者の考える自らの文章における真の意味とやらを相対化して見たかった訳
なのですが。力量不足で、変な方向にばかり話を持って行ってしまいました。
・・・それはともかくと致しまして、
>>2426
を読んで今更ながら、
私って、全然冗談の通じない人間なんだと気が付きました(苦笑)。
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