したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

三毛猫ナナの社会学解読講座

1未人力:2003/09/19(金) 20:34
三毛猫ナナさんは、何を言っているのかよくわかりません。
たぶん、社会学、哲学、法学に秀でているのでしょう。
しかし、わからないままではナナさんは意志の疎通ができ
ない宇宙人と同じ扱いを受けることは免れないでしょう。
そこで、三毛猫ナナさんは「何を怒っている」のか、ナナ
さんの言い分(根拠?)は何なのか、ナナさんは何を言い
たいのかを、みんなで解読してみましょう。

ところで、「不正義な態度」ってなに?

2未人力:2003/09/19(金) 20:36
基本的なことから。
社会学ってなに?
何を研究する学問で、何を目的にしていているのですか?
三毛猫ナナさんの社会学は、他の社会学とは違うのですか?
今更でしょうけど、よくわかりません。
よろしければ、手取り足取り教えてください。

教えていただけなければ、自分で調べて自分で納得します。

3未人力:2003/09/21(日) 21:08
http://society.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1063453165/206

>社会学/ポスト・モダン社会学の話について、どうも理解が進まなかったので(というのは、壱学生氏の説明を聞いて、という意味ではなく、ポスト・モダン社会学を標榜する猫氏の
>言い分を読んでもさっぱりわからなかったので(笑))、そちらの筋の方にかいつまんで教えていただいてきました。
>要約すると、
>・ポスト・モダン社会学は、5年くらい前のブーム(今は流行ってないそうです)
>・イマドキそれを標榜しているまともな学者はあまり多くないと思われる(昔、それがブームだった頃に教わった学生ならいるかも)
>
>建築のほうのポスト・モダニズム(1980年頃の最新の思想で、これまた建築の世界では過去の流行の一現象を指して言う)と同様、思想の世界の「ポスト・モダン」も、どうも最新ではなくて「過去のもの」らしいです。

転載です。
ナナさんの主張は時代遅れとのことですがどうですか?

4蒼穹:2003/09/28(日) 23:50
まあ、猫氏の話は難解過ぎる・・・ってか、わざとそうしてる?って疑問が沸きますが。
専門用語の羅列・引用の乱発・・・等々により、私のようにROMってる人間には
凡そ理解不可能な主張に堕してしまっています。

上記のような指摘って、今までにそれこそウンザリする程に指摘されてるのに、
猫氏は全くその指摘を省みる事をしないですね。

これって、つまりは「演説がしたいだけ」という理解でよろしいんでしょうか?
少なくとも、対立する主張を持つ人間を「説得」しようという姿勢が皆無に
見えてしょうがないんですが。

5未入カ:2003/09/30(火) 02:32
とりあえず、「強制は絶対悪か?」スレで得られた三毛猫ナナの生態としては、

「結論を出すことが議論の目的ではない」
「問い続けることが大切」
「問うことを途中で止めた人間の負け」
「普遍的真理と統一理論の探求が目的」

だそうですつ。

「普遍的真理と統一理論」というのは、「他者との間に合意を作っていくこと」
ではなく、映画「ハイランダー」のように「他者をどんどん駆逐していくこと」に
よって構築されるもの、というのが猫理論の第1法則のようですつ。

6未入カ:2003/09/30(火) 07:51
三毛猫ナナの生態から見られる「三毛猫ナナ的社会学」の観察その2。

三毛猫ナナ的社会学の視点では、「客体」がないですつ。
当人の弁をそのまま借りるなら、
「あらゆる主張には、主体しかなく、第三者、客観的視点というものは存在しない」
となりますつ。

しかし、実際には「対立するニ者を当事者とした場合、必ずその「当事者の視点を
共有しない第三者」としての客体は実在しますつ。
ですが、三毛猫ナナ的視点では、この「客体の視点」を認識することができません。
なぜか。

これは、三毛猫ナナが「自身の視点を主体におくことにこだわりすぎるが故」のパ
ラドクスと予想できますつ。

主体の視点で相手を見た場合、自分以外が「主体」の視点を持つことはないですつ。
本来は、自分の視点以外の視点は全て「客体の視点」となるはずなのですつ。
が、三毛猫ナナは「自分が主体の視点を持つように、自分以外の全ても同様の
主体の視点を持つ」と定義していますつ。それぞれが個別に主体の視点を持つ
ということは、「個々の視点の保有者の認識」としては間違いではないですつ。
が、三毛猫ナナが自身の主体とその視点を固定した場合、三毛猫ナナは自分の
主体的視点以外について、「語ってはいけない」のですつ。本来は。

ここが重要な三毛猫ナナのパラドクスを示している点と思いますつ。
三毛猫ナナが「自分の説」「自分の視点」として、自分を主体とした視点を維持する
場合は、三毛猫ナナからの視点に「限って」、三毛猫ナナの理論は成立するですつ。
ただしこれが、三毛猫ナナが三毛猫ナナ以外の視点を語ろうとした段階で崩壊する
ものでもあるですつ。

7未入カ:2003/09/30(火) 07:51
三毛猫ナナが、三毛猫ナナ以外の視点を語るには、二つの方法があるですつ。

ひとつは、あくまでも「三毛猫ナナを主体とする視点からの見方」を描写する場合。
この場合、三毛猫ナナは「主体の視点」を維持しなければならず、主体の視点を
維持する限りは、「三毛猫ナナからは見えないもの、こと」について論じることは
不可能になるですつ。相手の考えていること、相手の主張、その裏付け、相手が
置かれている状況などなど相手にしかわからないことは、主体の視点に立つ限り
は「(相手の視点に立って)確かめることができない」のですつ。
三毛猫ナナは「客体の視点」を否定していますので、三毛猫ナナが自分の主体の
視点以外について語ることは、彼の理論はこれを否定しているのですつ。
ですから、三毛猫ナナは「他人の理論を、他人の客体の視点から批判する」こと
そのものができなくなってしまいますつ。

もうひとつは、素直に客体の視点(客観視)を認めることですつ。
実は、「相手について、三毛猫ナナが語ること」が、すでに「客体の視点」を認めて
いることになるですつ。相対的に見て、「相手(の主体)の外からの説諭の全て」
は、「相手にとっては客体的視点」になるですつ。

三毛猫ナナにとっての主体的発言は、相手(相対者)も同じ主体的発言をした場
合に、相互に相手に対しての客体的発言になるですつ。
それは鏡に映したように、相手と自分に対してまったく同じ効果が起こることにな
るですつ。そのとき、三毛猫ナナが相手について論じるとき、「相手の視点」に
立った場合、それは三毛猫ナナが「相手の主体的視点を乗っ取った」ことになる
ですつ。しかし、「主体的視点」というのは、委譲することも貸すこともできないは
ずのもので、「主体的視点を、他人が論じる」という現象が起きた時点で、すでに
「相互に客体的視点を持ち合っている」ということの証明になりうるですつ。

しかし、三毛猫ナナはこれらの本来三毛猫ナナ的理論の中では禁忌に当たるこ
とを自ら犯しているですつ。そのうえで、「客体の視点」や「第三者」の存在を、
当然のように否定していますつ。
なぜそのパラドクスが成立しうるのか?

三毛猫ナナは、「主体」の設定点を、論じる内容に合わせて(自分の都合のいい
ように)変えているからですつ。
自説を語るときには、当然「三毛猫ナナ」の視点から語りますつ。
例えば未人力氏の説を語るときは、「客体から」ではなく、未人力氏の主体の視点
を乗っ取って語るですつ。彼にとってはこれも「主体」になりますつ。
さらに、総論を語る場合は、「総体」を見下ろす視点、本来はこれが「客観」と呼ばれ
るはずのものですが、これすら「総体にとっての主体的視点」と見なし、さらにその
視点を乗っ取っているのですつ。

三毛猫ナナが語る全ては、三毛猫ナナ「個人」の主体の視点であると同時に、
三毛猫ナナ以外の主体(本来は客体)の視点までもを「自分の主体の視点」で
あるかのように論じてしまっていることによって、「客体の否定」と「広げすぎた主体」
を自分のものにし、あのわかりにくいワールドが構成されていると見なすことができ
ますつ。

8未入カ:2003/09/30(火) 08:01
ここまでの考察を踏まえて、ひとつ例えをしますつ。

客としてラーメン屋に入った三毛猫ナナと相手Aがいるとしますつ。
ここで、ラーメンがうまいかまずいかの議論になりますつた。
三毛猫ナナはラーメンがまずいと主張し、相手Aはうまいと主張。
三毛猫ナナはラーメンがまずいことを証明するために、相手Aがその
ラーメンをうまいとする論理的な説明をせよと相手にせまりますつ。

相手Aの説明内容はこの際なんでもよいのですつが、相手Aがなんら
かの説明をしたとしますつ。
三毛猫ナナは相手Aの説明内容の如何に関わらず、「自分(三毛猫
ナナ)が相手Aであるかのように、相手Aの【うまい理由】を否定」しま
すつ。これは、相手の視点を乗っ取っていると言えますつ。

さらに、三毛猫ナナはこのラーメンのまずさを立証するために、「ラー
メン屋として間違っている」「店の立地が悪い」「店主の生い立ちに
問題がある」「ラーメンを求める姿勢に行き詰まりがある」「ラーメン
を作る態度が不正義である」など、店の成り立ちについても論じは
じめますつ。
しかし、本来は「店がどうであるか」は、店側(店主)の主体の問題
であって、客である三毛猫ナナが論じる問題ではないのですつが、
三毛猫ナナは、「店主の主体」を乗っ取って、ここでも「自分が店主
であるかのように」、【主体的】にラーメン屋の店のひどさを論じはじ
めるですつ。

本人はその場合も「自分(三毛猫ナナ)の主観的な感想だ」と強弁
しますつ。しかし、「主観的な感想」を述べるのに、「主体の視点」
を乗っ取ってしていいというわけではないわけで、ここでも三毛猫ナ
ナは、「自分以外の(本来は相手にとっては客体の)視点をすべて、
自分の主体の視点」であるかのように便利に使うことで、「神の視点」
すらも「自分の主体の視点」と言い張ることになりますつ。

例を取ってみてもわかりにくい話ですつ。
スマソ。

9NamelessCult:2003/09/30(火) 17:14
猫とムは、共通点が多いんですつよね。
・自分だけが全てにおける絶対正義である
・都合の悪い質問には絶対に答えない。 はぐらかす、話題転換、スルーなど
・感情的になると文が荒れる(他人を呼び捨てにする、「〜〜しなさい」と命令口調になる。 このへんが、二人が教職ではないかと邪推される最たる理由)
・ソース主義的な議論ができない(ムは最近この方法を勉強しつつありますつが、まだ慣れていない様子)
・他人を批判すると、その内容がそっくりそのまま自分に当てはまる
・一貫して言動が矛盾している

逆に、相違点は
・ムは尻馬ライダー
 逃亡癖がひどい

・猫は異常なまでの権威主義
 終わった議論を無理矢理蒸し返して続けようとする

こんなところですつかねえ。

10NamelessCult:2003/09/30(火) 18:54
猫は辞書を引こうとしない。
また、辞書の内容よりも脳内妄想を優先する。

‥‥‥ってことは、国語/英語の教職ではないですつな。
理系に弱いところを見ると、物理化学や数学でもなさそう。

11未入カ:2003/10/01(水) 00:07
国語、英語、物理化学、数学でもないとすると、音楽か体育ですか?(藁

12NamelessCult:2003/10/01(水) 00:43
音楽、体育、社会科系、あたりですつか。
一番怪しいのは社会科系(読んでる本とかがアレ系なのが多い)だと思いますつけれどね。

13未入カ:2003/10/05(日) 09:01
三毛猫ナナの根本にあるものを、いくつか引いてきました。

●デュルケム以降の社会学の基本的命題
「国家とは、単なる個人の集合体ではない。ということは、個人の信念の算術的
合計は、国家の政策とはなりえない」

●マンデヴィルの背理
各個人はみんな、めいめいの私利私欲の追及という悪徳の発揮にのみ思いが
あって、社会全体のことなど少しも考えない。それなのに、市場機構における予
定調和の鉄則は結果として最大多数の最大幸福という美徳が達成される。個人
における悪徳の追及は、結果として全体としての最大多数の最大幸福という美徳
を達成してしまうことになる。

●ケインズの背理
マンデヴィルの背理の逆に、個人が自分自身を富ませるために貯蓄をする。消費
をそれだけ手控える、そういう消費が減るということは、有効需要がそれだけ減る。
消費が減ったぶんの何倍かだけ国民総生産すなわち国民所得が減る。社会全
体が貧しくなってしまう。

14NamelessCult:2003/10/05(日) 23:41
猫、自爆で差別主義者であることが暴露されますつた (・∀・)ニヤニヤ

15未入カ:2003/10/06(月) 03:18
社会学では、自分と交渉する不理解な相手に対して「未開の土人」という蔑称
で呼ぶことを許可しているんですかねぇ。

16未入カ:2003/10/06(月) 03:33
「不正義な態度」についての解明を考えてみました。

いわゆる「正義」というのは、「(自分の)基準に基づく行動」であって、「善なる行動」
と必ずしもイコールではありません(多くの場合はイコールになると思いますが、そ
れは【自分にとって】であって、相手にとっての善なる結果とイコールではないケー
スは多々あるでしょう)。

で、不正義な態度というのは、そのまま受け取ると「基準を満たさない態度」もしく
は「基準=正しい」に沿わない態度、となります。

三毛猫ナナ社会学では、

「正しい」の対語は「悪い」になるようです。
一般的には「正しい」の対語は「間違い」「違い」です。
(「正しい」は基準を満たさない、という意味で「善/悪」はありません)

どうも三毛猫ナナの脳内辞書/脳内変換は、広辞苑などの一般辞書とは内容が
異なるようです。三毛猫ナナ語辞典の編纂を提案します(w

17NamelessCult:2003/10/07(火) 02:28
>>16
彼の脳内辞書は、人類と違うようですつから‥‥‥バウリンガルのほうがまだ実用的ですつよ (;´д`)トホホ

18未入カ:2003/10/07(火) 09:12
「若者はいかにサヨクになるか」
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/nini_04.shtml

「サヨクに」なんだけど、三毛猫ナナの人の理解に非常に役立ちます。
へぇ〜×20

19NamelessCult:2003/10/07(火) 22:31
>>18
なかなか興味深く読ませてもらったですつよ。
かなり辛辣な下記か足してますつけれど、大まか間違っていないかと。
自分が地球市民だった頃の心当たりもちらほら (^ ^;;;


「20歳までに左翼にならない者は情熱が足りない。
  20歳を過ぎても左翼のままでいる者は知能が足りない」

って言ったのは誰ですつたっけか‥‥‥なんか有名な思想家だったような気がするのですつが。

20ヒョンヒョロ:2003/10/08(水) 17:01
>>19
サー・ウィンストン・チャーチルだったはず

21通りすがり:2003/10/11(土) 16:46
負け猫って、「ポストモダン」だったのか。
そうだとして、見事にポストモダンの悪い部分が出てるなぁ。

ところで、それって自称なの?

22未入カ:2003/10/11(土) 17:07
>>21
本人が「構築主義」を念仏のように唱えているです。

23NamelessCult:2003/10/13(月) 00:16
( ̄-  ̄ ) ンー、強制スレでの猫の痴態を見てて思うこと。

あの、

「自分でわけのわからない題目を唱えておきながら」
「相手がそれを理解しないと焦れる」

という矛盾した行動、これ本気っぽいですつね。 スタイルとかではなく。
つまり、

「物事を簡単に噛み砕いて話せない」

タイプの馬鹿、というか。
学歴が高い香具師に多いタイプなんですつよねえ。 高校時代の某教師を思い出しますつ。
「自分が理解できるのに周りに理解できない、という事実そのものが理解できない」
っていうタイプ。
多くの場合、それってのはあくまでも「知識」であって、「理解している」のではないのですつけれどね。
きちんと「理解」しているもの、てのはきちんと説明できるものですつから。

>>20
さんくす。

24通りすがり:2003/10/13(月) 01:26
>>23
単に、宮台真司に憧れてるとかじゃねーかな?

25スレ汚しの匿名希望:2003/10/13(月) 01:41
>>24
ところが宮台真司は、猫のようなタイプを以下のように批判しています。むしろ対抗してるんぢゃないかと思うんですがねー。(ニヤニヤ

http://www.miyadai.com/texts/virtual/01.php

(引用始め)
ところが、人文社会科学系のあらゆる学問が例外なくそうであるように、問題意識専攻型で成立した学問も、しばらくすると大学に講座ができます。
そうすると、大学人事の網にかかるように、過去10年ぐらいの論文を適当に読んで業績をでっちあげる、「社会を研究する」というよりも「社会学を研究する」ことによって社会学者を名乗る人間が…これは社会学者に限りませんよ、どんな領域にも起こることですが…、必ず増えていくことになります。

「自己準拠」というのは実は社会システム理論の中で非常に重要な概念ですが、社会学者が社会を参照するのではなく、もっぱら社会学だけを参照する、その結果、社会学者の中だけでコミュニケーションが閉じていくということが起こっています。
さらにその結果として、例えば皆さんを含めて、一般の方々から見ると、社会学者の発言を実際聞くと、社会学者は「社会を知っている人」というよりもむしろ「社会学を知っている人」という色彩が強くなります。

あるいはもっと極端なケースでは、社会を知らないことの埋め合わせとして社会学を知っているというふうに、つまり社会を知らないことの埋め合わせに社会学が使われていくことがあります。
つまり逆から言えば、社会学を知っているがゆえに社会を知らない人とかですね、そういう滑稽な現象が広範に広がっていくことになります。
(引用終わり)

26未入カ:2003/11/11(火) 02:06
三毛猫ナナ論法の方程式。

1.三毛猫ナナが間違った「公式」を提唱する
2.他の論客が、「公式の間違い」を一斉に反論する
3.三毛猫ナナは間違った「公式」を守るために、間違った「検算」をする
4.業を煮やした他の論客が、公式の欠陥を検証するために「仮定として、
  三毛猫ナナの公式に代入値を入れた例(当然、公式が間違っている
  のだから、もちろん正しい解が得られない)」を挙げ、公式の欠陥を指
  摘する
5.三毛猫ナナは、「(自分の掲げた公式の欠陥は棚に上げ)間違った答
  え」をなじることで、検算した人間の能力が低いように印象づけようと
  する(文献著者の名前を列挙するなど)

対立論客の挙げている例証の多くは、「公式が間違っているのだから、
間違った結果にしかならない」ことの証明を目的にしているのだが、その
元になっている「欠陥のある公式」を正しく運用できる(?)のは自分だけ、
という前提に基づいて、「公式の運用能力の低さ」をなじることで、公式
の欠陥を否定する。

さしずめ、「リコールされるような欠陥車を作っておいて、まっすぐ運転で
きないのは運転技術がヘボだからだ」と強弁するようなもの。

27NamelessCult:2003/11/12(水) 22:13
>>26
ワラタ。 ナイス分析ですつ。

28未入カ:2003/12/25(木) 14:34
三毛猫ナナの普遍性の低さ。

三毛猫ナナの「学説」は、専門用語を含んでわかりにくい。
対立する論客が別の用語を使っての言い換えや、別の表現での平易化をすると、
三毛猫ナナ自身が理解している内容と完全には合致しなくなる。
このため、三毛猫ナナは「全然わかっていない」「全く違う」と反論する。

三毛猫ナナの「学説」は、概念を伝えるものではなく、用語の羅列の順番を、オリジ
ナル通りに反芻しないと通じない(と本人が考えている)ものであって、同じ概念を
別の平易な表現で説明できることを、三毛猫ナナ自身は決して認めない。

認めると「学説」としての価値が下がるから。

29NamelessCult:2003/12/26(金) 01:33
( ̄-  ̄ ) ンー
するってーと要するに、だ。

理解されない鳴らされないで、
「私の言うことが理解できないのですか?」
と人を馬鹿にし、実際に理解されると
「違います」
ととりあえず否定してまた新しく屁理屈をこねくり回す。

猫にとっての「議論」というのは、
「他人を見下すためだけのツール」
ということなんですつかねえ?

30未入カ:2003/12/26(金) 02:16
三毛猫ナナにとっての議論とは。

基本的には、「独り言」である。

独り言は自分の中で完結しているものであり、自分自身はその独り言を
理解できているから、自分にわかる用語や引用、省略について補足が
必要ない。

しかし、自分にだけわかる自分言語を使っての独り言に、他人が介入
してくると、「自分言語の解説を、自分以外に理解できるようにしなけれ
ばならない」というジレンマが発生する。

そこで「自分言語の解説」を綿密にする方向ではなく、「自分の独り言
に介入する他人を許さない」方向で、処理を行おうとする。
三毛猫ナナの「議論」のスタイルが、第三者の理解を得るという謙虚な
「位置」ではなく、他人の鼻っ柱を挫くという高圧的な「地位」にあるのは、
独り言を邪魔する部外者・障害原因を、暴力で取り除くため。

独り言は誰もいないところで一人でする分には害はない。
ただし、他の誰かが介入できる場所で独り言を言うのは、「会話」や相
互理解を目指す論者には、迷惑な話である。

気持ちよく語っている最中の他人の介入を嫌う、という点に於いては、
「独り言」と「演説」は同レベルであるが、演説が「他人を感化する」とい
う達成目標を持つのに対して、独り言は「聴衆すら不要」である点が、
よりパーソナルな態度であると言えよう。

いずれにしても、議論の態度ではない。

31転載:2004/03/06(土) 21:19
http://society.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1075955280/249

249 名前:壱学生[sage] 投稿日:04/03/04 23:23
一方三毛猫ナナ氏については・・・
まぁ簡単な事を小難しく言うのが格好いいと思ってる年頃なんじゃないかな(w

今回の発言についても結局の所、
1、自分の権利を侵害されない限りにおいては価値観の違いくらい大目に見ろ
2、でも買売春については(基本的人権上)認められない場合も有るかもね

って言う、まぁ概ね多数からの同意を得られるような(逆に言えば大した事を言っ
て無い既出の)意見を誤読を誘うような小難しい文体で、しかも蛇足の持論であ
る「法に根源的根拠は無い」っていう部分を付け足して述べているだけで。

オマエは「法に根源的根拠は無い」って言いたいだけじゃないかと・・・
って言いたくなるような冗長な述べ方で。
難しいことを簡単に説明するのは難しいけど、簡単な事を小難しく述べるのは
ただの労力の無駄使いだって気付いて欲しいモンですがね(w

32転載:2004/03/06(土) 21:20
age忘れてた。

猫。お前はここを見ておけ。
お前とのコミュニケーションに他の議題は崇高すぎ。

33三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/03/07(日) 06:33
『難しい事』は何一つ述べていません。
『世界は本源的には無規定な存在である』と
述べているだけです。『世界は普遍的なもの
で絶対的な決まりがあるんだ』とする考えが
誤りである事は過去の研究により明らかにさ
れている事実です。
(マルクス主義以前ならともかく、言語論的転換
以降の構造主義以降、絶対的な真理を主張する
ものなどないのです)。

問題点は『猫の話が難しい』と述べる貴方達に
あります。では質問するよ『何が難しいのか?』
難しいのではなく貴方達的には『ありえない』事
実だから『受け入れられない』だけでしょうが(笑)

討論をするだけなら話は簡単なのですよ。
上でも言ったけど『世界は無規定です』で終わりです。
違うと言うなら『常識だから正しい』『法だから正しい』
と言った『回答になっていない回答』ではなくて私の質問
にキチンと答えてみなさい。出来ないのなら、『オマエガ
ナー』『ソレガナニカ?』と言う類の非論理的な回答が出
来ないのであれば、貴方が納得しようがしまいが討論として
は猫の勝ちなのです。

ただ猫の真の目的は(うろちい氏、ぼーん氏も同様と推察します)
世界には普遍的真理があると疑わない者、選択の自覚すらない者
をどの様にすれば私の望む反応を引き出せるかを調査する事なの
です。
(ぼーん氏の方法は70〜90'sには有効なものでしたが、現在では
受手が変化しているので、そのまま使うわけにはいかないのです)

34三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/03/07(日) 07:04
×非論理的な回答が出来ない
○非論理的な回答しか出来ない

35二毛猫ナナ:2004/03/07(日) 13:04
>>33

小難しい用語をかみ砕いて言えないうちは、アンタには無理。

36二毛猫ナナ:2004/03/07(日) 13:20
『世界は本源的には無規定な存在である』

実はこれと同じことを、三毛猫ナナが『わかってない』と
断じている論者のかなり多くが言っている。
ただし、違う言い回し、違う表現で同じことを言っている。
が、三毛猫ナナは『違う用語』や『違う言い回し』が出て
くると、それを理解できない。

『猫の話が難しい』というのは、論理についてではなく、
『相手のレベルや知識に合わせた、かみ砕いた説明が
一切できない、猫のボキャブラリの低さ』を指している。

それこそ、

『人は分かり合えない』
『世界は相対的で絶対的な基準点などない』

これでも理解される意味は同じになる。
それが理解できないところに、猫の『懐の狭さ』や『視
界の狭さ』があると言える。

『言っても分からない相手』については、巷では『バカの
壁』というベストセラーによる共通認識ができている。
その壁を越える方法を模索しているのは猫だけではな
く、その壁の反対側にいる側も同じ。

『壁』というのものは、それが崩れないうちは両側から
同じように見あげて溜息をつくもの。
『自分だけがわかっていて、壁の向こうの奴らにはわか
っていない』
と思ってしまった時点で、猫もまた自分が指摘したパラ
ドックスに自分ではまりこんでいる。

37三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/03/07(日) 20:48
>>36の二つの発言『人は分かり会えない』と
『世界は相対的で絶対的な基準点などない』
これが矛盾している事すら気がつきませんか?

貴方は『人とはこういうものだよ』と言ってい
るではありませんか?それは言い替えれば私が
上で述べた『○○とはこういうものだよ』と同
じ事ですよ。
世界が無規定で社会は相対的なものであると真
に理解しているのであれば、貴方の様な矛盾し
た発言は生まれないのです。
貴方は口では『僕と猫は同じ主張をしている』
と述べてますが、貴方と私は似て非なる者です。
社会学は相対化する学問と言えますが、貴方は
口では相対化と言いながら『人間はそういうも
のである』と規定しているではないですか(笑)

他の方々も同様で、彼らが多様性を容認するの
は彼らの彼ら自身で選択した境界を越えない範
囲に置いてのみではありませんか?
境界は個々により違いますが(常識とか、特定の
学問分野の範囲)結局は『境』を越えるものに
対しては『そんな事はありえない』的な発言で
片付けようとしているではありませんか?
(ヤスツ氏やイカフライ氏は言うに及ばず、壱学
生氏も結局は政治学で定めた境界は越えられない
、越えようとしませんからね)

貴方が話が難しいと感じるのは私の用いる言葉と
いうよりは貴方が『口では相対化を言いながら、
行為に置いては相対化出来ていない』つまり自分
自身の選択に無自覚である為なのです。

38(´-`):2004/03/08(月) 01:24
(´-`).。oO(猫ちゃん、最近自己批判にハマってるの?)

39二毛猫ナナ:2004/03/08(月) 15:22
>>33
ぼーん氏はもういないから問わないが。

うろちい氏は、三毛猫ナナと同じ考えなの?

>ただ猫の真の目的は(うろちい氏、ぼーん氏も同様と推察します)
>世界には普遍的真理があると疑わない者、選択の自覚すらない者
>をどの様にすれば私の望む反応を引き出せるかを調査する事なの
>です。

とあるようだが、『思い通りにならない相手を、自分の望んだ通りに
反応・選択・行動させる』というのは、政治の分野ではないかと。

つまり猫は『相手の意志を変える方法』を探求している、と。
うろちい氏もそれと同様だと猫は思っている、と。

うろちい氏は猫と同様の考えなのかどうか、知りたいところ。

40二毛猫ナナ:2004/03/08(月) 15:33
可能な範囲で相手や自分が傷つくことなく、対立する意志を調整し、
できることならば『相手の意志を変える』ことで対立する問題を解決
したい、と考えているのは、別に三毛猫ナナの専売特許や画期的
な命題ではなく、この板やその他の掲示板に出入りしている多くの
論客の目指すところでは。

それが、反戦主義、非武装平和主義、戦争容認論、反省懐疑論
のいずれであっても。問題はそれをするための手段に対する模索
やアプローチが違うというだけで、三毛猫ナナが言っていることは
ある意味では『いまさら何をいうのか』というレベルの話では。

三毛猫ナナが『おまえは無自覚だ』という批判を行う場合、これは
『おまえ も 無自覚だ』ではなく、『おまえ は 無自覚だ』という
非難の形態になっている。相手が無自覚だと言うことを断定する
のは、『自分は自覚している』という先覚意識が働いていることは
その論旨からも容易に窺い知ることができる。

そうでないとすれば、『自分は例外』または『自分は自覚をしてい
る』、『自分のように貴方もなるべきであり、自分は先導者である』
という自覚が、『〜しなさい』『〜なのです』といった、上から見下ろ
す断定的な態度の根拠になっている。

たぶん、三毛猫ナナは鏡に向かって叫んでいるのではないだろう
か。三毛猫ナナにとって、『無自覚な相手は、越えられないバカの
壁の向こうにいる』という前提になっているはずだ。自分は『無自
覚な選択をしない』『自分は自覚している』という保証のない確信
から、バカの壁を越えている、と思いこんでいる。

しかし、その壁は越えることで先へ行くという性質のものではない。
考証しなければならない相手は常に壁の反対側にいる。
必要なのは、相手が壁を越えないことを非難することではなく、壁
を越えることができると主張する人間が、その壁を自分の意志で
自在に往来することができることを実証することにある。

ここで三毛猫ナナは言う。
『なぜそんな証明を貴方にしなければならないのですか?私にそ
んな義務はありません』

41& </b><font color=#800000>(70zeVo/k)</font><b>:2004/03/09(火) 22:18
>>40
>多くの論客の目指すところでは。

とは思うけど、負け猫が「問題を解決したい、と考えている」とは思えないなぁ。

>『なぜそんな証明を貴方にしなければならないのですか?私にそ
>んな義務はありません』

の理由が、「あなたが嫌いだからです」じゃねぇ(苦笑

42三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/03/09(火) 22:41
やっぱり貴方全然解ってない(笑)

三毛猫ナナは他者の意志を変える気などありません。
私の選択と貴方の選択が同じでなくとも構わないのです。
それは私と貴方の好みの違いー例えば『あのラーメンは
おいしいね』『いや、おいしくないよ』ーその程度の事
なのです。

多様性を認めると言うのは相手に気がねして言いたい事
を言わなかったり、言わせない事でも意見を合わせたり、
変えさせることじゃあない。
『おいしい』と感じる奴も『まずい』と感じる奴がいても
構わないじゃないかということなんだぞ?

そもそも『自分が傷つく』『相手が傷つく』とはど
ういう事なんだい?
私は全然傷ついてませんよ?だって私は私ですからね。
私が例えどの様な者であっても世界は私を受け入れてくれる
(だって世界にキマリなんてないのですからね)という根源的
な所で自己受容・自己尊厳があるから、別に意見が違おうが
否定されようが『へえ、そうなんだ』程度の事ですよ。

貴方が『傷ついた』と繰り返すのは、私が私の意見を
述べる事に対してですか?
人の多様性を認めると口にしながら『意見を否定』され
たら『傷つくから止めろ』ですか?
それは尊厳を『他者の判断』の様な外部の物に求めてい
るからでしょう?

43非関西弁:2004/03/09(火) 23:10
>>42
40じゃないけどさ、

>そもそも『自分が傷つく』『相手が傷つく』とはどういう事なんだい?

文脈でわからんか?文字通りだと思うが。
物理的に怪我をすると言う意味じゃないのか。

>貴方が『傷ついた』と繰り返すのは

このスレでは「傷つく」って1回しか出てない気がするが?

>『傷つくから止めろ』ですか?

誰も「止めろ」と言った奴は居ない気がするが?

44誰だろ:2004/03/09(火) 23:19
このスレで傷の出てきた回数
>>40 1回
>>42 5回
>>43 2回(引用含まず)
>>43 5回(引用含む)

>>42 三毛猫ナナ (p3wi1A.I)さん
>貴方が『傷ついた』と繰り返すのは、私が私の意見を
>述べる事に対してですか?

どこを読んだらこのような言葉が出てくるんですか?

45三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/03/09(火) 23:20
壁のお話ですが…結論から言うと全ての人間が越
えられるものではありませんし、越え方も同じと
は限りません。

例えば、ぼーん氏の『覚醒』の仕方でイカ氏が覚醒
するとも限らないし、覚醒そのものが出来ないかも
知れないのです。

少なくとも『僕を助けてくれ』的な態度の人には
壁は越えられないのでしょうね。
『信じる者は救われる』と言うのは誰かが助けてく
れるのですか?神様は助けてくれないよ。
助けるのは結局は自分が助けるのでしょう?

それと同じ事ですよ。

46非関西弁:2004/03/09(火) 23:27
一人言キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

で、いつものごとく都合の悪い事はスルー、と。

47(´-`):2004/03/09(火) 23:36
(´-`).。oO(覚醒‥‥‥猫の人は、超人ロックかラグナロク・ガイか)

(´-`).。oO(なんにせよ、猫の人がどんどん宗教じみてきたことは確かのようですが)

48緋影:2004/11/30(火) 04:23
壁を越えるのも人、その逆も然り。。。

49緋影:2004/11/30(火) 04:25
主観を並べるだけではずっと平行線のまま、

議論でもなんでもない。。。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板