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三毛猫ナナの社会学解読講座

8未入カ:2003/09/30(火) 08:01
ここまでの考察を踏まえて、ひとつ例えをしますつ。

客としてラーメン屋に入った三毛猫ナナと相手Aがいるとしますつ。
ここで、ラーメンがうまいかまずいかの議論になりますつた。
三毛猫ナナはラーメンがまずいと主張し、相手Aはうまいと主張。
三毛猫ナナはラーメンがまずいことを証明するために、相手Aがその
ラーメンをうまいとする論理的な説明をせよと相手にせまりますつ。

相手Aの説明内容はこの際なんでもよいのですつが、相手Aがなんら
かの説明をしたとしますつ。
三毛猫ナナは相手Aの説明内容の如何に関わらず、「自分(三毛猫
ナナ)が相手Aであるかのように、相手Aの【うまい理由】を否定」しま
すつ。これは、相手の視点を乗っ取っていると言えますつ。

さらに、三毛猫ナナはこのラーメンのまずさを立証するために、「ラー
メン屋として間違っている」「店の立地が悪い」「店主の生い立ちに
問題がある」「ラーメンを求める姿勢に行き詰まりがある」「ラーメン
を作る態度が不正義である」など、店の成り立ちについても論じは
じめますつ。
しかし、本来は「店がどうであるか」は、店側(店主)の主体の問題
であって、客である三毛猫ナナが論じる問題ではないのですつが、
三毛猫ナナは、「店主の主体」を乗っ取って、ここでも「自分が店主
であるかのように」、【主体的】にラーメン屋の店のひどさを論じはじ
めるですつ。

本人はその場合も「自分(三毛猫ナナ)の主観的な感想だ」と強弁
しますつ。しかし、「主観的な感想」を述べるのに、「主体の視点」
を乗っ取ってしていいというわけではないわけで、ここでも三毛猫ナ
ナは、「自分以外の(本来は相手にとっては客体の)視点をすべて、
自分の主体の視点」であるかのように便利に使うことで、「神の視点」
すらも「自分の主体の視点」と言い張ることになりますつ。

例を取ってみてもわかりにくい話ですつ。
スマソ。


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