したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

人生における分岐点

69藤原肇:2010/07/20(火) 10:43:06
日本では医師の専門化が早すぎるために、基礎的な訓練が手抜きで医者になり、国家試験は知識が中心であって、医者としての臨床実地テストがないし、成績も評価された形では公表されない。しかも、臨床医学や倫理はほとんど問われず、一度合格すれば免許は一生有効で、その後の勉強は要求されないために、医者の免状が利権化しているから、最新情報を学ぶ必要さえもないし、いざとなれば開業医になれば良く、実力は問われないで生活できる。
藤井先生が嘆息していた問題点は、現在の保険制度は点数制だから、一人の患者に一時間を掛けて診ると、一時間に二十人の患者を処理する医者に、収入で二十分の一になってしまい、良心的な治療は全く成り立たない。しかも、患者が医師を神様扱いしており、先生にお任せしますという態度で、自分の命について他力本願であるために、病気への勉強が停止してしまうのだ。
医者は総てについて万能ではないし、質問を始め意見や発言があれば、それを下に医者と患者の対話が始まって、そこから本当の診察に移るのに、そのプロセスが日本では欠けており、医者が気楽な商売になっている。それは医者が患者と対話することにより、自分の病気や治療の可能性に関し、患者の問題意識を高めるプロセスにおいて、先生としての医者が患者を甘やかし、病気について勉強するのを怠るために、患者としての訓練が不足してしまう。
対話のある診療法が成立するには、医師が個室の診察室を幾つも持ち、その部屋にいる間は患者が主人で、医者は患者を訪れる立場という、往診という原点に立ち戻る必要があって、米国ではどんな医者でもこの方式だ。だが、日本では医師が診察室の中央に腰を据え、そこに患者が訪れるのが普通で、患者は診てもらう立場に置かれてしまうし、医者は時間を支配する側にいるから、患者は数としてこなされることになり、対話の始まりにと結びつかない。
ギリシア語のクリニコンの意味は、患者の隣に座り対話することで、聴診や検診をする行為を指している。だが、現実の診断の多くが望診と問診だけで、三分診断の商売が蔓延しているから、医者が緊張を欠き商売をしてしまい、優しいがもたれ合いの関係になり、患者は自分の病気に対して無知に近い。

70藤原肇:2010/07/20(火) 11:48:44
それは医者に限らず大学でも同じで、日本の学生は予習をする習慣がなく、ただ講義に出席して聴講することが、勉教だと思い込んでいるために、先生に鋭い質問する者がほとんどいない。だが、話を聞くだけなら参加でなく、その場にいたということに過ぎず、それでは学問ではなく寄席になる。
学びの原点は質疑応答にあって、良い質問は問題の所在を理解し、議論を通じて認識が深まっていくのだが、そのためには準備が必要である。最近の日本の大学生は本を余り読まないし、教師に積極的な質問を試みずに、出席して単位を取ることだけを考えて、学問をする姿勢に欠けている。
質問をするのは答えを知るのでなく、考え方を理解するためであり、答えを知ったら考えようとしないので、答えは教えないのが良い先生だ。しかも、条件次第で答えは幾らでも変わるから、条件についての考察が大切であり、世の中には正解のない問題は多いし、答えがないのが正しい場合がある。
そして、正解がないことを確認した上で、次善の策を考えだすところに、思考する上で戦術的な出発点があり、それが正しい実行の方法になる。病気に対しても学問に対する場合でも、これが選択し学ぶことであり、戦略の中に正しい戦術を取り込む営みになるが、今の日本ではこの姿勢が崩れているために、亡国現象が蔓延しているのである。
こういうことが機能していない原因は、豊かになり過ぎて緊張感に欠け、セロトニン神経の機能が低下したためで、真剣勝負をする体制が整わずに、パニック状態になって切れてしまうか、緊張を失い弛緩することになる。
だから、大学の授業や医者の診察において、観光と同じ体験の集積になってしまい、受身で学びの場を使っていても、成果を上げる場として完結しない。成り行き任せの農耕民型でなく、獲物を捕える狩猟民型でない限り、健康を手に入れるのが難しくなるが、この体質と習慣の克服が決め手になる。
そうであれば、診察と診断が終わった段階で、医者が「何か質問は」と言った時に、すかさず質問を浴びせることで、治療への出発の始ま理に転換できる。アメリカの医者の場合は診察してから、どの医者も「質問はないか」と尋ねるので、感心したしチャンスだと考えて、それから先は納得するまで議論したが、それが診断料の価値ある使い方だし、それをしないと診察効果は半減する。

71千々松 健:2010/07/20(火) 23:28:34
かつて「日本医師会のドン」と言われた武見太郎は晩年に大病して入院手術するが、病人になって初めて感じたこととして、看護師が医者より頼りになる存在であったことを打ち明けておられた。
医者は病人の検査をして、診断して、手術して、確かに病は治すかもしれないが、一人の人間としての全体を見ていられない程に忙しく、安心を与えてくれるのは看護師の方に軍牌が上がろうというもの。
今年、亡くなられた大島正光先生も、医療現場にて看護師の果たす役割を重視されていたことが思い出されるし、100歳に限りなく近い日野原先生も看護を大変重視されて実践されて来られました。
ケアすることは一人の個人を全体的に看ることになり、看護師は患者を「安全地帯」にいつも置いてくれる存在なのでしょう。

72T.N.:2010/07/21(水) 01:31:46
>68、69 林輝太郎著「株式上達セミナー」に、長い間外国銀行に勤め、為替の売買をやってきたという方の
話が紹介されています。

”日本人には自分で努力せず、立場で儲ける、という考えが強いと思う。政治家がワイロを取る。商品の流通が複雑。
株でも早くニュースを入手(できる立場になろうと)する。そういう立場になろうとするのが”努力”だと思ってい
るが、この考え方は、少なくとも為替の売買には通用しない。”
”日本語の投機という言葉はあまりに限定的で、悪の代名詞になっているし、日本語の投機は努力によることを否定
している。だから努力をせず、坐っていて利益を得られるよう組織をつくり、手数料を高くする。”

 実力よりも立場を重視するのは、日本のほとんどの既得権益層に当てはまるように思います。

73藤原肇:2010/07/21(水) 10:14:02

医師の先祖は魔術師の仲間だったから、奇しき技の持ち主として薬師とも呼ばれ、医師はマギとして尊重されていた。天文、地文、人文の領域に精通して、大宇宙と小宇宙の照応関係が分かり、賢者として司祭や医師は尊敬され、マギはマジックと共通するだけでなく、不思議な威力を持つものとして、マグネチズムやマグネシウムとも結びついている。
キリストも実態は治療師だったことは、彼の生涯を見れば分かることだし、それを宗教として利用したのはペドロで、ヴァチカンがそれを事業として組織化した。だから、テンプル騎士団の発祥の歴史を見ても、医者や看護婦は患者に奉仕する者であって、医療の原点は慈悲心に出発があり、ホスピタルもホテルも共通の語源を持ち、公共の施設という意味がある。
また、仏陀も自らを治すために修行して、最初は荒行でノルアドレナリンの制御をしたが、限界に気づいて菩提樹の下で瞑想し、ヨガの腹式呼吸法の活用により、セロトニン神経の制御法を確立した。それが不老不死の健康法であり、南北の磁場を生かして北枕で涅槃し、マギとしてマグネットの方向に従い、マジックとしての長生法を開拓したが、弟子たちがそれを宗教の形に改変した。
このような偏見で宗教の歴史を見れば、総てが生命体の健康に関わっていて、地球上の生命現象の基本原理は、自然現象の形で読み取れるのだし、大自然は生命学のテキストに他ならず、自然が生きた聖典だと理解できる。そして、この理解に達した者が賢者と呼ばれ、その智慧の神髄が「賢者の石」であり、それは地球の生命活動として、原子転換のメカニズムに連なるし、自然学としての錬金術の体系を構成する。
地球を調べて来た私がガイアとして、調べられる立場に置かれたことで、内が外になり外が内になったから、百一連環のメビウスの輪が繋がった。

74藤原肇:2010/07/22(木) 07:07:27
私は自分がガイアになった立場で検査され、どんな結果が出るかに興味津々だったから、血液検査や腫瘍検査だけではなく、CTスキャンでの観察について関心があり、ほとんどのテストを体験してみた。CTスキャンや超音波検査は実質臓器である、肝臓、腎臓、膵臓、脾臓など詰まった臓器に、がんが移転しているかを調べる装置であり、形態的な情報による検査に使われる。
それに対して最新式のMRI(磁気共鳴映像法)を使う検査は、原子核を一定の磁場の中に置いて、特定の周波数の電磁波を与え、共鳴現象でエネルギーを放出させ、生体組織の機能や化学変化を映像化し、断層図として観察するやり方である。私の場合は腫瘍ががんらしいが、大腸だけで移転はなさそうだから、とりあえずはCTスキャンだけにして、MRI検査はこの時点で行わなかった。
それでも、医学の研究において最先端にあり、新しい分野を開拓している米国で、どんな手順で検査をしているかや、装置の利用への知的好奇心は、自分が患者だという立場を忘れさせた。
生理から病理へと変化するプロセスが、健康管理と診断の基礎である以上は、それに対応できる頭脳の存在こそ、何にも増して重要なものであり、この面で日本の現状はお粗末の極みだ。だから、政治評論家の平野貞夫さんと一緒に、「生理と病理の診断と日本の健康な国づくり」と題して、対談を発表した直後だったことが、大いに好奇心を掻き立てた原因になり、実験台に上る気持ちにしたに相違ない。
fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai100401.html
平野さんは四国の医者の息子だったので、二年ほど医者の勉強をしたのだが、政治の世界で一生を送った人だが、私の本を読んで共鳴したせいで、それがこの対談実現に結びついていた。だが、生理と病理の政治診断を試みの意味で、「さらば暴政」を書いて上梓していたのに、日本のメディアからは完全に黙殺されて、この本には書評がほとんどなかったのは、『小泉純一郎と日本の病理』の時ほど徹底していないが、言論弾圧が関与していたのである。
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293053?tag=asyuracom-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=4860293053&adid=1H11R4HHWAJPHC4E58NH&

75藤原肇:2010/07/23(金) 06:27:20
私は地球の医者として自然の観察を通じて、鉱床や鉱体は地球における「がん」だと理解しており、がんを見つけてがん退治するビジネスに生きてきた。しかも、共生していたものが突然変異で異常化し、異常な鉱物が資源として人間に役立つ効果のお陰で、鉱山は昔から開発されてきたのである。
普通の健全なものが地球においては岩石と水であり、熱や水で岩石が風化して土になったものに、再び火と水が作用して生命誕生の秘密が生まれ、そこに病理が発生して鉱床や鉱体が出来るのが鉱床学の基礎だ。そして、固まった鉱物の腫瘍状態が鉄や銅の鉱床だし、有機物に富めば炭田の発達になることもあり、それが腐敗して炭化水素になった形で油田が開発され、その上に文明が育ち産業が生まれたのである。
このようなマクロメガの次元と人間の活動が、幾度かの革命を経て文明を発達させ、情報革命を通じて第三文明期を迎えて、現在に至っているという歴史観に基づいて、私はホロコスミックスの理論を生み出した。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/paper/meta/meta.htm
この私の世界観を人体のレベルに移して、生命現象との関連で瘀血の問題を考えれば、現象としての血便の観察のプロセスにおいて、瘀血が排出するようになった状態というのは、健康回復の始まりという理解に結びつく。しかし、便秘に苦しむという症状のために、旅先で医者を訪れたのが契機で、私は西洋医学という対症療法の罠に落ち、そこからの脱出が困難になったが、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」だから、虎児としてのがん細胞を探すことにした。

76藤原肇:2010/07/23(金) 10:17:51
カリフォルニアには創価学会と統一教会が根を張り、会員の看護婦が大量に働いていることで有名だから、変な病院を選べば危ないので、その面での配慮と手配にも気配りが必要だった。創価学会には看護婦の組織として、白樺グループという集団が細胞活動を行い、外交官の大鳳会と同じように、世界的な規模でがん化活動を続けており、天下取りのための準備を整えている。
繁殖力を誇る絶対服従の細胞組織が、ファナチズムな使命感で活動しており、がんの手術で抵抗力が低下した時に、看護婦として接触する危険性を避けるのは、防疫学の点からも必要な予防措置だ。しかも、手術をしないで済ますのが最良だから、いろんなオプションを探したし、用心して危険回避を試みるために、一ヶ月以上も費やしたのも事実である。
なにしろ、創価大学の加州分校があるだけでなく、サイモン・ウィーゼンタール・センターを始めとして、ロスには宗教カルトの組織が根を張り、日本からの信徒団体がシオニスト組織を訪れ、門前市をなす奇妙な光景もある。また、ロスは荒稼ぎの場所になっていて、いかがわしい日本人がドサ廻りの形で訪れ、講演会の名目での出入りが目立ち、元航空幕僚長や右翼評論家が出没する。
しかも、暴力団ややくざ関係者までが進出し、山口組の武闘派の後藤組の組長が、UCLA病院で臓器移植の手術を受け、FBI絡みで新聞種になったことは有名で、ロスには戦前の上海や満州に似た雰囲気がある。
http://www.japansubculture.com/news/theindependent/fbi%E3%80%81%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E5%9B%A3%E5%B9%B9%E9%83%A8%E3%81%AE%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E6%89%8B%E8%A1%93%E3%82%92%E5%B9%87%E5%8A%A9/
しかも、韓国や香港のマフィアの活動も盛んで、そんな話を各国のジャーナリストたちから聞いて、私はロスには近づくのを避けていた。ロスは現代版の満州に似た性格を持っており、敬して遠ざかるのが利口だし、用心するのに越したことがないので、私は百キロ離れたニューポート・ビーチを選び、そこにある医療設備を利用することにした。

77T.N.:2010/07/24(土) 01:46:18
>73、76 口の悪い人に言わせると、宗教は病気が治ったとかの奇跡を売り物にしているということになります
が、実はそちらの方が本業だったと考えれば納得できますね。
 かといって、組織化された宗教が組織の部分機能を持たせるために、学校や病院の経営に乗り出すのは、原点回帰
とはとてもいえないですね。

78藤原肇:2010/07/24(土) 11:08:36
富裕階級が住むこの海辺の町には、プレスビタリアン系として知られた病院があり、ガン治療ではカリフォルニアで最高に属すし、ホテルと見間違うほどの立派な建物と共に、最新の設備を持っているという。建物や設備はハードだからカネの問題であり、ソフトとしての人材が決め手だが、腕のいい医者が結集しているというので、この医療施設を使うように忠告された。
そこでこの病院に登録する外科医で、四十代の外科医を三人ほど選択して、その中で最も頼りになる経歴を持つ、大腸がんの外科医の診察を受けた。これまで受けた検査の結果を総合して、開腹手術が必要だという所見なので、彼が考えている手術の手順の説明を聞き、リンパ節まで削り取るのかを始め、治療による障害の発生率の低下などに関し、質疑応答を二時間ほど実行してみた。
だが、外科の医師で大腸がんが専門だから、伝統的な手術は得意であっても、漢方や免疫学にはそれほど詳しくなくて、瘀血の概念の説明には苦労した。それでも、径絡や気脈については理解したので、出来るだけ小さく切る路線と共に、横ではなく総て縦線で切る点で合意した。だが、この段階では不明な点が余りにも多く、オンコロジストの判断では腫瘍は良性で、95%は第一期だが5%は第三期であり、開腹手術をしないと結論は出ないという。
僅かだが第三期の可能性があるのは、腫瘍の下底がリンパ節に届かず、粘膜下層までならば問題はないが、リンパ節に浸潤しているか否かは、開腹手術してみないと分からないという。そこで、他の医者の第二意見をチェックし、似たような結論だったので仕方なく、この外科医に執刀して貰うことになり、手術と入院の手配をしてもらった。
私の場合は緊急を要しない症状のために、入院まで三週間の待ち時間があり、その時間を使って別の可能性を求めて、開腹手術をしないで済む療法を探した。ホープ市には末期がん専門の施設があり、そこには全世界から患者が来て、特別な療法をしていると聞いたので、私のケースについて打診したら、それほど重症ではないからと断られた。また、ロマ・リンダ医科大学には特別施設があり、イオンをメスに使った重粒子照射療法は、患部だけを狙い画期的な療法だという。
そこで腹を切るのを回避するために、それが使えるかと問い合わせたところ、大腸がんには余り効果が期待できず、骨髄がんや前立腺がん向けだし、治療時間が長くかかるそうであり、開腹手術が残った選択になった。二週間の日程でアメリカを訪れたのに、手術までに一ヶ月半も費やしてしまい、その間にいろいろと勉強になったが、結局は各種のテストと多く医者と出会って、最終的には開腹手術の決行になった。

79藤原肇:2010/07/25(日) 06:03:34
手術の前に医者と質疑応答を繰り返して、納得がいくまで議論をしたとはいえ、二回ほど議論がこじれて医者と対立し、結局は私が折れて妥協することになった。血圧が高くて循環器内科医にまわされ、心臓を詳細に検査されてから、血圧降下剤を処方されたために、私は血圧が呼吸法で調整できるし、セロトニン効果で血圧を降ろせるから、血圧降下剤は不要だと反論した。
それに対して循環器医は異議を挟み、老齢者は肺炎になる可能性が高く、上が160で下が120は高すぎるから、手術をするには危険だと言ったので、五分ほど時間をもらい腹式呼吸をした。そして、看護婦に血圧を再度測らせたら、上が120で下が85になったので、私は血圧降下剤の服用をしなくて良くなり、この時はヨガの威力を有難いと思った。
だが、二回目は手術の二日前から節食し、腸を洗浄するための塩化水を飲み、同時に抗生物質を飲めと言われて、それでは腸の酵素が死滅するから、飲みたくないと主張したがダメだった。その理由は腸の開腹手術の時に、雑菌のせいで併発症を起こす可能性があり、その予防のための措置であるし、感染症や肺炎は老齢者には危険だと説得され、これには従わざるを得なかった。
手術の三日前にマーカーを付けの作業で、シャワーに入っても消えないように、
専門の技能士が皮膚に印をつけたが、全米に一校だが専門学校があると知り、分業化が進んでいると実感した。また、看護婦だけでなく看護士も多く、若い人が失業ではなく訓練を受ければ、仕事は幾らでもあることが分かった。
医者は目の前で所見を記録して行き、文書の形にまとめて仕上げると共に、
特にカルテを記録する作業のために、医療知識を持つ秘書が活躍している。そして、医者や看護婦を雑用から解放して、分業化と専門化を推進しているのは、いかにもアメリカらしいやり方であり、ビジネス並みの能率主義が採用され、記録を残すシステムが医療に浸透し、情報の公開性の進み方が分かった。

80藤原肇:2010/07/25(日) 06:18:59
手術の前日から断食と腸内洗浄があり、手術の日は朝六時に病院に行き、登録手続きと腕にタグを付けられたが、この瞬間に生年月日が登録番号化して、名前に対し生年月日がコードになる。まず、病室に入って手術衣に着換え、看護士が手術用のベッドを押して、手術室に送り込むのだが、その前に入る検査室のチェックに際して、生年月日を反射的に答えさせられ、英国鈍りの英語を喋る麻酔医を相手に、麻酔について説明と質疑応答を済ませ、最終的に手術室に入ることになった。
それにしても、病歴や家族のアレルギーの有無を始め、麻酔の危険性の確認書だけでなく、私が輸血を拒否した確認書まで、署名を繰り返しさせられたのには、毎度ながらうんざりさせられた。幾らアメリカが訴訟社会でも、医者の責任を回避する姿勢の強さには、患者としてすっきりしない気分だが、「郷に行ったら郷に従え」ということだろうか。
手術は五月七日午前九時に始まったが、点滴の中に麻酔剤が入っていたようで、五時間かかった手術は記憶になく、目が覚めた時には病室に横たわり、その間に夢を見た記憶もないし、開腹手術をしたという実感も皆無だった。だが、寝たり起きたりを繰り返した後で、全身麻酔が切れ始めたことにより、咳も出来ないほどの痛みを感じた。
そして、身体髪膚を傷つけた苦痛だけでなく、がん患者の仲間入りをしたことで、新しい人生が始まったと強く意識したが、目の前にある点滴が情けなかった。なにしろ、食料や栄養などのエネルギー源から、医薬品の総てが点滴を経由しているので、私の生命力はハードなものに依存し、自分で生きているという実感がない上に、無性に眠くて仕方がないからである。

81千々松 健:2010/07/27(火) 21:01:32
日本では2002年の法律改正により、これまでの看護婦と看護士の呼び方が「看護師」に統一されて、「白衣の天使」の女性看護婦や「精神病棟」の男性看護士のイメージが解消されてしまった。
多分、男女平等精神の集大成なのでしょうが、ビジネスマンをビジネスパーソンと呼び替えたりしたのと同様に、余り一般化してはいないようです。
USAの「緊急病棟」などのTVドラマでは、いわゆるナースマンが多数活躍していて、日本でも若手人気男優がナースマン役でドラマ化されたりしました。
今後は少しずつ男性の看護師が日本でも増えて行くのではないでしょうか。
ところで、人間工学や色彩学の観点からも、ナース服の白衣が現在では「ピンクやブルー」に殆んど変わっているようですが、特にピンク色については大島正光先生のご意見が大いに影響したと聞いています。
確かに、薄いピンクは老若男女を問わずに好まれるようですね。

82千々松 健:2010/07/30(金) 12:16:24
7月30日は露伴の命日です。「昭和22年7月30日、幸田露伴肺炎および狭心症で死亡。享年80歳」
最期は市川の「蝸牛庵」で武見太郎が看取ったという。その年の夏も大変に暑かったそうだ。
戦前から銀座教文館ビルの3階に診療所を開設して、自由診療を貫いてきた医師武見太郎の人脈の広さに今更ながら驚かされる。

83通りすがり:2010/07/30(金) 21:35:30
武見太郎は大学を出てから理研に就職するまでの8年間が空白に
なっているといわれている。長い浪人生活を送り、主流の路線を逸脱した
はずの者がどうして覇権を握れたのか、比較していいかどうか、
同じ理研出身の田中角栄の権勢の源も理研といわれてるがそこいらに
何があるのか無いのか興味深い。
晩年胃がんを患い亡くなったそうですが、
癌研歴代の所長が一様に癌に倒れていることなどとも思い合わされます。
人の一生生き様にはいろいろ学ぶことがあるようですね。

84T.N.:2010/08/01(日) 23:39:40
>26 今日のNHKの夜7時のTVニュース、トップは日本テレビ記者らの秩父市山中での遭難死。記者の事故死
を大きく取り上げるのなら、記者の変死はジャーナリズムそのものの否定の可能性があるのですから、もっと大
きく取り上げるべきですが、こういう情報は大手メディアはほとんど扱いません。真面目に活動している記者を
支援できない社会は、大きなしっぺがえしを食らうのでしょうね。

86藤原肇:2010/09/16(木) 09:11:30
(台湾ではインターネットの接続が不調で、ネットで記事も読めないし発信も出来なかったが、電磁波障害のあるコンピュータは使うなという、天の命令があったのかも知れない。それでも、80で途絶えていた記録をカンボジアに来てネットが繋がったので書くことにした)
***手術後の麻酔からの覚醒と無気力
手術を行うために施した全身麻酔で、何時間くらい意識がなかったかは、麻酔が切れる前後の意識が朦朧であり、いつ目覚めたのかもはっきりしない。
途中で誰かが体に触れたようだし、声をかけられた感じもするのに、体も脳も自分のものと思えないようで、ただ自律神経だけが機能している。
意識の頼りなさは暗中模索に似た状態で、模索するだけの気力もないし、見ようという気分も湧き上がらないが、死んでいないことだけは分かる。
ふと蘇った意識で見たのは青空か天井か、頭上にあるのが公平で善良な青空ならば、それはアウステリッツの戦場の青空と同じで、横たわったアンドレイ公爵が見上げた、雲の上に広がる遠く高い永遠の空の続きだ。
麻酔のために朦朧とした意識だが、体を動かすと耐え難い痛みが下腹部に走り、本能は苦痛で悲鳴が渦を巻くのに、頭脳は混迷の雲に覆われて夢遊状態で、隣にナポレオンがいてもいなくても良く、たとえ「若い人」と間違って言われても、そんな言葉は無価値に思えた。
アウステリッツ会戦での朝霧に似て、おぼろげに霞む中で戦闘が始まり、飛び交う銃弾や砲弾で死傷者が増え、遁走と壊走の混乱が支配したように、何が何だか分からない状態の後に、自分がチューブだらけだと気づいた。
腕には点滴装置で鼻には酸素パイプが、腕には血圧計の布帯がはめられ、亀頭にはカテーテルが取りつけられて、べッドに横たわっているのは自分でも、取り囲んでいるのは人工的なものばかりで、自立精神に反し情けないことこの上ない。
目覚めたり昏睡に落ちたりを繰り返し、何度目かの目覚めで看護婦と会話し、いつの間にかまた寝込んでしまい、はっきり目覚めたのは夕刻らしく、執刀した外科医がチェックに訪れた。足指を握ってから足裏をくすぐり、それが握手代わりの挨拶だと教わったが、子供の頃に学んだホッテントットが、挨拶に鼻をこするという話に較べて、足と手の握手の交換はユーモラスだ。

87藤原肇:2010/09/19(日) 22:24:51
***看護婦による病院の管理システム
 腹を切っただけに体を動かすと痛いが、手術から半日も経てば麻酔は切れ、意識は手術前のレベルに戻ったので、自らの体験の記録を取ることを始めた。
まず、電動装置で武装したベッドが、15畳位の白壁の個室の中央にあり、海を見渡す広い窓の下には机があって、電話機の横に見舞の花が並ぶ仕掛けだ。
 机の上の電話機は入院すると同時に、個人用の電話番号が付いたそうで、外線と直接に繋がっているそうだが、幾ら鳴っても一度も出なかったし、病人の私が受話器を取る理由もなかった。
 人間は二種類のタイプに区分されており、一つは時間を支配する自由人で、他は時間に支配される奴隷だから、私は携帯電話を持ったことがない。携帯は首輪がついた犬の手綱と同じであり、自由を拘束する存在だと思うので、こんなものを好んで持てば奴隷の仲間だ。電話が鳴ればストレスの元になるし、緊急の用事はそれほどないのに、盗聴は自由自在にやり放題だし、取り次ぎがあれば相手によって、出る出ないはこちらの勝手だから、病床の電話機は無用の長物なのだ。そういえばチェチェンの大統領が爆殺されたのは、彼が携帯電話を持っていたからで、携帯は埋め込みチップの代用品である。
ベッドの横には点滴ホルダーが立ち、その後ろには隣室の洗面所で、シャワーと便所が洗面装置と共に並び、ちょっとしたホテルに似た雰囲気を持つ。そういえば病院の玄関はバレー駐車で、車を乗り付ければ後はお任せであり、そんな仕掛けに満足してしまえば、病院が医療ビジネスだと気づかなくなる。
 ベッドの正面の壁に掲示ボードがあり、毎朝底にメッセージが書き込まれ、日直看護婦、担当看護婦、補助看護婦の名前が、毎朝そこに書き込まれるのだが、八時間勤務のローテーション制だ。日直看護婦は免状を持つベテランで、日本では正看護婦と呼ばれているが、担当看護婦に指揮を与えており、病室には必要に応じて現れるだけで、ほとんどの仕事は担当看護婦が行う。
担当看護婦の多くは外国系の女性で、自国で看護婦の経験を持っており、現在は医学部の看護婦養成学校や、医療専門学校に学ぶ学生が多く、夜間勤務の顔ぶれには現役の学生が多い。日本では看護婦が不足するために、フィリッピン出身の女性が看護婦要員の形で訪日し、試験を受けて看護婦になっているが、日本語が壁で試験の合格者は少ないという。
これから日本の社会の老人化が進み、看護婦や看護夫が必要になるので、若者に新たな職業の就く機会を与え、住みやすい社会を作るために、医療要員を養成する専門学校をもっと作り、必要な人材を確保する政策が必要だ。日本語が出来る日本の若者に職場を提供し、真面目に働く人に敬意を払うことが、明るい社会を作る上で不可欠であり、大学に行けばいいというものではない。
 私の入院は合計で六日間だったが、その間に私の病室の担当看護婦は、ルーマニア、ヴェトナム、コスタリカ、チレ、ラオスの出身者で、日直看護婦にはアメリカ人がかなり多く、英国とロシア出身のベテランもいた。奇妙に感じたのは当直医師が存在しないで、総て看護婦だけで運営しており、医者は当直しないで直接に病室に来て、自分の患者と接触して診断しているが、コンファレンス的なものがないらしく、こんなことで良いのかと驚いた。
 アメリカでは人件費が高いために、低賃金の移民を使って経費を節約して、利益を上げる病院もあるだろうが、それで当直医を置かないのだろうか。また、アメリカで医療関係に従事するために、わざわざ米国に来て試験を受け直し、医者や看護婦になる外国人も多く、年配の人にはそんなケースも目立つ。
その辺のことは本格的な調査が必要で、基礎研究や臨床医学の分野では、アメリカの水準は非常に高いと定評があり、日本人の医者や研究者も米国留学する。だが、日本人の医者で留学する人のほとんどは、研究や実験のためというケースが圧倒的で、臨床体験のための人は珍しいらしい。

88藤原肇:2010/10/07(木) 10:36:34
***書類作りと疲労している看護婦たち
 一般の病院は大学病院や研究所と違い、病院と連結したプロの医者の仕事場で、人材育成や病理研究は行っておらず、治療を専門にしているのであるが、それにしても主体が看護婦であり、担当医がいないのは驚きであった。看護婦が集まっている制御センターには、多くの看護婦や看護夫が働いているが、ほとんどが書類作りのために忙しくて、役所や事務所の雰囲気に近かった。
 入院して二日目から運動しろと言われ、病院の廊下を歩く訓練の開始になり、車輪のついた点滴タワーを押しながら、一回に千歩から千五百歩ほどのペースで、病院内をゆっくりと歩き始めた。無理に動くと腹部に激痛が走るために、どうしても亀の歩みになってしまうが、これには担当看護婦が付き添って歩く。
 それにしても白っぽい患者衣を着て、体に点滴やカテーテルの管を付け、点滴タワーを押し亀の歩みの患者が、ウルトラマリーン色の制服を身包み、話をしながら付き添う看護婦と並んで、のろのろと廊下を歩いている光景が、二時間ごとに繰り返すのだから珍妙だ。
 私が地球を患者にした医者であり、その医者が手術を受けて患者になって、西洋医学と東洋医学の違いを始め、ドーパミン分泌の呼吸の秘密や、現代医学について意見を述べると、彼女たちは熱心に聞いて質問をした。藤井さんから学んだ医学の知恵については、『間脳幻想』に書いたことであり、「医者は包帯するが、治すのは神様と患者だ」とか、「医者は治る患者しか治せない」という叡智の言葉は、分かり易いのでとても喜ばれた。
最も歓迎されたのはリュック・サックの話で、医者は背中にリュックを背負うし、患者はその中に手を入れる義務がある。農民はニンジンを漁師は魚を入れ、商人はカネをそこに入れて神に感謝し、何もない人も手を入れる必要があり、感謝の気持ちを籠めて手を入れる。それを着服するのが医者であり、診察料は神への感謝の横取りの別名だから、感謝の気持ちこそ大切だというと、嬉しそうに頷いた後で病院内に伝染した。
医療については著書の中に書いたから、医療を意味するクリニックの語源が、ギリシア語のクリニコンに由来する言葉で、患者の隣に座り喋る行為だと教えて、それが医者や看護婦の仕事だと言ったら、座る暇もないほど忙しいと嘆息していた。
看護婦たちは休息に飢えているらしく、散歩に行こうとさそいの声がかかり、廊下をぐるぐる歩くだけだったが、そぞろ歩きの訓練は楽しく過ごした。中にはインターネットで私の名前を検索して、経歴から著書まで調べた看護婦もおり、退院するまでに歩行だけは正常に戻った。
 彼女たちは奉仕の心で看護婦になり、患者の役に立ちたいと思うのに、亀のように歩む私に付き添って、一息ついているのでは気の毒の限りで、そこに労働強化の片鱗を感じた。おそらく、散歩が終わって通常勤務に復帰すれば、患者の身の回りの面倒を見てから、次には書類作りをしなければならない。自己の可能性と理想を追求して、天職として看護婦への道を選んだ若い人が、休息する間もなく働くのでは可哀いそうだ
最初の数日間は手術した縫合部が痛くて、寝返りも腹式呼吸も出来なくて、顔をしかめるのを見た看護婦が、痛み止め用のボタンを押せば、点滴の中に鎮痛剤が加わると教えてくれた。だが、それがモルフィネだと分かったので、ボタンは一度も押さないことにして、自力でエンドルフィンの分泌を試みたが、出るのは慣れたドーパミンらしくて、陶然とする気分までには至らなかった。
 三日目からは病院食を食べ始めたし、二度目に外科医が往診した機会に、カテーテルをはずして貰ったお陰で、ようやく自分のペースになったが、不満だったのは病院内の医者の不在である。
定期的に行われた血圧の測定では、二時間ごとに血圧と体温を測るのだが、これは数字合わせの保険料請求のためで、それほど意味があるとは思わなかった。体温は高いほど免疫にプラスだし、血圧は呼吸法でホルモン分泌を調整すれば、低くすることは幾らでも可能であり、治療においてそれほど重要でないのに、そんな二次的措置に明け暮れている。
五日目に手術をした外科医が姿を見せ、私の胸に聴診器を当てもせずに、数分で病室から立ち去ったのが不満で、看護婦に胸苦しいと訴えてみた。そうしたら、レントゲン装置が病室に持ち込まれ、二時間後に呼吸器科の医者がやって来て、次の日からプラスチック製の息吐装置で、肺炎を予防する訓練をさせられてしまった。病院内感染の筆頭に肺炎がくるので、私の年齢を考えた病院側として、肺炎だけは回避したいと思ったに違いない。

89藤原肇:2010/11/18(木) 14:18:07
順序がだいぶ飛ぶが、日本に戻ってからのことで、主治医を決めたことについての部分を以下に貼りつける。
***日本への帰国と新たなホームドクター
 二週間の台湾滞在の後でカンボジアに行き、一か月ぶりの七月半ばに東京に戻ったら、後続の菅内閣は役人の手玉に取られ、鳩山政権の政治路線を大幅に後退させ、無能のために参議院選挙に惨敗していた。しかも、惨敗の責任を取らずに居座った菅直人の鉄面皮は、無能と無責任の点で安倍並みで、その問題は『さらば暴政』で論じたことだから、繰り返す必要もないので目を反らし、日本の政治については若い人に任せ、醜悪なものは見ないことに決めた。
 アメリカを去る時に医者が助言した、手術後のチェックの必要性に応じて、検査設備を持つ病院と主治医を決め、診断と治療のバトンタッチすることが、次の手続きとして不可欠だったので、その手配をしなければならなかった。大病院は芝の済生会病院の外科だが、主治医は藤井先生の銀座内科を引き継ぎ、
銀座に診療所を持つ九鬼先生に決め、米国から持参したデータを手渡した。
インテルメッツオ(Intermezzo)-23
http://www.asahi-net.or.jp/~mh9n-kk/kisha.html
九鬼先生は変わった経歴の持ち主で、朝日新聞の記者をやっていた間に、取材で藤井先生の存在を知っただけでなく、周辺医療に関心を持って漢方を学び、
10年やった記者生活を打ち切って、富山医科薬科大学の学生になっている。そして、40を過ぎて医者としての人生を始め、成田の赤十字病院に勤務した後で、藤井先生の銀座内科を引き継ぎ、漢方と西洋医学を組み合わせて、診療所を開いている「赤ひげ」先生は、「記者のち医者ときどき患者」の著書を持つ。

 人間にとって最初の出会いが勝負所で、東洋医学では四診と呼ぶ診断があり、望診を始め聞診、切診、問診などを活用して、医者が患者の病気と病状を読み取る。望診は視覚で患者の全身や部分を見て、動きを始め形態や色で診断するが、聞診は言葉や呼吸の他に排泄物で、切診は脈を始め体に触れるし、問診は文字通り質問データの活用により、情報分析で診断するやり方である。
同じことは人間の出会いでも通用し、会って最初の一分で相手を見抜き、性格を始め思想や実力を見抜くのが、眼力と胆力に属す人生の奥義である。
九鬼先生に主治医をお願いした時に、最初の診断の後で漢方薬の処方を頼み、どんな処方が現れるかと待ち構えたら、十全大補湯だったので安心して、これからの付き合いが楽しみになった。抗がん剤の話が出たら縁が切れて、免疫と生命観について相手の理解が分かり、主治医を任す気持ちにはならない。
台湾には別の親しい劉博士がいて、彼は蒋経国の主治医だった人で、霊芝研究所で霊芝培養の指導をしている。米国で研究した劉博士は漢方と共に、東洋医学の全般にも精通しており、健康の基本は食事にあると主張する。
彼がある日のこと不老長寿を論じて、その秘訣を伝授してくれたが、それは「朝日を浴びバナナを食え」で、朝日はセロトニン分泌を活性化するし、バナナはカリウムに富んでいる。だから、副交感神経の活性化で免疫を高め、平常心を養う秘訣をズバリ断言して、誰でも分かる言葉で表現したが、奥義は説明抜きで真理を突き刺すのである。
同じように「がん」は血液の汚れで、血液の浄化のために腫瘍ができて、体内における調和の乱れを直すことが、健康維持にとって第一であれば、バランスの取れた生活をすることだ。そう考えたら総ては至って簡単で、ストレスの少ない生活を実践することであり、そんな環境を求めることに意味がある。

91藤原肇:2010/12/04(土) 09:00:11
コトとモノの100回目に千々松さんがピタゴラスについて書いているので、私の「がん」体験の『生命知の殿堂』の中に書いてある、ピタゴラスについての記事を貼りつけてみます。
***ピタゴラスの宇宙観と数学の神秘
ピタゴラスの定理で知られたギリシアの哲人は、森羅万象の中に興味深い比率関係を読み取り、「モナド」としての1が総ての始まりで、それがあらゆる自然現象を生み出すと論じた。彼の個性的な数論の骨組みは、「1が始源で1から2や3が生まれる。1は点で2点は直線を構成するし、3点は面を作り4点は立体を生む」であり、彼は霊妙なテトラテュクスの理論を発展させた。
テトラテュクスは1,2,3,4,5・・という具合に、点を積み重ねてピラミッドを形成するが、そこにパスカルの三角形が出現するし、同時にフィボナッチ数列の存在が浮かび上がってくる。そのメカニズムと幾何学については、『宇宙波動と超意識』に詳しく書いておいたので、その本を参照して頂くことにする。また、自然界を支配している偉大な法則であり、宇宙における統一原理を示すフィボナッチ数列の応用例は、数学者の張錦春先生と対談した『宇宙巡礼』に、詳細な説明があるのでここでは論じない。
最も有名なピタゴラスの功績は定理だが、その他に弦の比率を使った音響理論があり、振動数の比率の関係の中に調和が成立し、それが宇宙を支配する律動原理だと主張している。「オクターブは1対2の美しい関係であり、完全5度は2対3で完全4度は3対4である。また、長3度は4対5で短3度は5対6か6対7になるし、長2度は7対8の整然とした整数比である」と論じて、音楽に見る比率関係は宇宙を体現しており、それが数学、幾何学、天文学の基盤だと喝破している。
だから、健康のために心身の乱れを治めるに、ピタゴラスは魂を鎮める音楽まで作曲しているし、「豆を食べるな」などの戒律を定めている。しかも、弟子たちに心を清めた生活を求めただけでなく、「断食は頭を良くする薬」と言って結社を作って、ストレスのない共同生活を営んでいる。
原始仏教やヒンドゥ教との関係を維持して、インドから伝わった数学をフルに活用することにより、天界の音楽を薬に使う療養成所で人材を育成し、数学者はヴェーダと共通の真理を伝えた。ピタゴラス教団とヴェーダの関係が分かれば、古代史の謎が明らかになるはずだが、生命活動が呼気と吸気に基づいているので、ヨガの影響についても解明できる。
ピタゴラスは旅の人としての人生を送り、その旅は魂の浄化のための遍歴だったし、理性の力による気高さを会得することが、真に生きることだと信じていた彼は,哲理を愛す者という意味で自らを哲学者と呼んだ。それ以前の賢者は自らを智者と呼んでいたが、彼は自らを「真理を発見しようと努める人」と定義し、智者よりも謙虚な用語の哲学の人と名乗った。

インテルメッツオ(Intermezzo)-42
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9
ピタゴラスは著作を何も残していないし、伝記としても神秘的な内容のものが多く、エリート主義の精神的な貴族意識が反感を集め、民主派の市民の攻撃を受けて殺されたというが、死因についても謎に満ちた人物である。若いころにエジプトやバビロニアを訪れて多くを学んだが、ことによるとインドにまで足を延ばして数学を始め、ヴェーダの哲理を学んだ可能性もある。
ピタゴラスは総ての根源は数であると考えて、宇宙の音楽についての考察を展開したが、輪廻転生の考えを持っていたことから、インド哲学との結びつきを予想させるだけでなく、プラトンに大きな影響を与えた点で、哲学における彼の貢献は予想以上に大きいものがある。

92藤原肇:2010/12/09(木) 21:42:56
明日の午後の便で久し振りに米国に飛ぶ予定なので、その前にピタゴラスに関しての記事の続きを貼りつけておきます。
***ピタゴラス が遺言した墓碑銘の宇宙と空海の智慧
ソクラテスは何も著作を残しておらず、プラトンが描いた対話編に基づいて、西洋哲学の始祖はソクラテスだとされ、その思想が西洋哲学史を支配して来た。だが、同じように著作のないピタゴラスは、宇宙の大法則に精通していた点で、哲学史上ではるかに偉大だったのに、それが正当に評価されないままである。
数式以外に書いたものがないから、ものとして残った記録に基づいて、復元を試みるから間違いを犯すので、書かれていない物の背後にある、書かなかったことに注目する営みが重要であり、それを一般にインテリジェンスと呼ぶ。インテリジェンスは通俗レベルとしては、「行間を読む」営みを意味している。
だが、書いた文字が作る行は物の領域に属し、それは形のある粒子が構成していて、網の結び目(ノッド)に現れる物(色)が粒子で、産業革命から君臨した物の理学の物理学の世界が、ものを基盤にしていた歴史に対応する。それに対し、ことは関係性の全体と結びついて、ネットワークで繋がる波動の状態で、場の中を流動している生命体だし、情報革命の渦の中で主役になった、生の理学としての生理学の中心概念は、中空に命が宿る波動としての空である。
この粒子と波動の興味深い関係は、量子力学の生みの親になったし、それを「色即是空」と「空即是色」と喝破して、僅か276文字に封じ込めたので、「般若心経」は智慧の教えになっている。大空を宇宙で中空を生命と考えて,小空をパラサイトや原子を指すと見なし、原子と宇宙の構造に相似象を認め、そこにあるフラクタル関係を繋いで、裏が表になり表が裏になるように、メビウスの輪として描いたのが、ホロコスミックスと名付けた宇宙図である。
私は幾何学が好きだから図にして、トーラスから陰陽の太極図を描き、ホロコスミックスの論文を仕上げたが、それに気付いた空海は文字の人だから、即身成仏にことよせて以下の文章を書いた。

「六大無礙(ろくだいむげ)にして、常に瑜伽なり       
 四種曼荼(ししゅまんだ)各々離れず
 三密加持(さんみつかじ)し、速疾(そくしつ)に顕わる
 重々帝網(じゅうじゅうていもう)なるをして、即身と名づく

空海が宇宙のフラクタル構造に精通し、ホロニックな関係に注目したことは、帝網という言葉の使用で明らかであり、天の網の結び目にある宝珠に、総ての光景が鏡映し合うイメージ力は凄い。しかも、物としての文字を抜けた空海は、更に言葉の響きの普遍性に言及して、「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり」と論じて、ものとことで構成された帝網の心象風景が、詩にすると数字になると伝えている。
ビタゴラスの場合は数学者らしく、宇宙は聖なる秘数で出来ていると信じ、図形に表現すると円、三角、四角になり、それを立方体の形で表した場合には、球、三角錐、円柱の形を取ると考えた。だから、自分の墓に「円錐:球:円柱=1:2:3」と刻印して、墓碑銘にしろと遺言したそうである。
「円錐:球:円柱=1:2:3」の関係は、数学的に興味深いテーマだったので、多くの数学者が頭の体操をしており、円錐足す円錐は球になる関係が、円錐足す球が円柱になる数列として、フィボナッチ数列の受胎を告知している。また、○△□の面積を比較した場合には、断面積ではπ:2:4になるし、表面積では2:Φ:3になる事実があり、フィボナッチ数列の受胎から成長が観察できる。
しかも、「宇宙巡礼」の掲示板に書き込まれた、千々松さんが展示会で発見した報告によれば、仙突が書き残したの○△□絵図には、「宇宙」という意味の英語タイトルが付けられていて、仏教の世界とピタゴラスが結びついている。

インテルメッツオ(Intermezzo)-43
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai.html
江戸時代の臨済宗の僧侶だった仙突は、自由奔放に生きた僧侶として知られ、雲水として旅をし禅画や狂歌を残した。新任の家老が悪政を行ったことに対して、「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」という狂歌を詠んだが、彼のセンスで日本の政治を観察して、狂歌を一つ作ったら傑作が生まれるだろう。

空海や仙突の宇宙観を知ることによって、ピタゴラスの凄さを再認識するが、空海やピタゴラスが残したものに、数字が秘数の形で表れているのが、非常に興味深いことだと思わずにいられない。

93藤原肇:2011/01/30(日) 11:05:40
久しくご無沙汰したのは、電磁障害で血圧が高くなり、コンピューターの使用を避けるようにと診断されたためでした。
「『生命知』の殿堂」は半年前に草稿を完成させ、編集者の希望に従って組み換えまでして五か月が過ぎたのに、未だに出版の決断がつかない状態を前にして、日本の閉塞感に支配され退嬰的な状況に対し、ほとんど愛想を尽かしかけています。
私の本が売れそうもないというのが理由らしいですが、今の時代に多くの読者を獲得できるのは、幼稚な漫画の世界かエンターテーメントしかないのが、幼児化した日本という国の実情なのに・・・。
また、次の対談集も草稿は出来ているのに、対談は売れないので分かりやすく解説した、時代論として書き直して欲しいといって、いつもの通り断られ続けています。
総論的なものにしか関心のない私に、学者や官僚が好むような各論を仕立てろというのは、テキスト崇拝という日本の特性のせいですが、70を過ぎた人間に30代の人間と同じように、知識を主体にした解説書を求めて、智慧や閃きを感じさせるものを退ける国民性を守り続ける限り、モンテーニュの綴ったようなものは生まれません。
そんなことで、暫くは書くことを止めて古典を読み直し、メコンの流れの畔でアジアの将来に思いを馳せているうちに、血圧も正常値に向かって近づきやれやれと思い始めています。
ついでながら、数日前に出た「ニューリーダー」に古い友人で日経アメリカの社長をやった大原進さんと、「ウィキリークス事件は何を示唆するのか。――『秘匿と公開』、『知る権利と情報操作』――」と題した対談を発表しておきました。

94千々松 健:2011/01/31(月) 21:57:39
モンテーニュのエセーについて「フィボナッチ数列の殿堂への夢」レスの162,163で触れたことを一年ぶりに想起しました。
「天の配剤」を【アマノオルドナンス】とヤマト語+フランス語の造語にするのも面白いかなと思ったりしております。
チベット高原を水源にして中国雲南省の山々からインドシナ半島の国々を通り抜ける国際河川のメコンの畔にて、美空ひばりが歌う「川の流れのように」の詞の調べと共に、きっと身も心も癒やされて「アマノココロ=天心」に通じることが出来ることでしょう。

95千々松 健:2011/02/03(木) 12:27:56
古代のユダヤ暦では「日暮れ」から1日が始まっていたそうです。さてヒグレは「190」の語呂になりますので、1,2,3,4,5,6,7,8,9 9=0と考えた「ひふみ算」や「カバラ算」を考えると1の前に0(レ)が存在して、新しいモノゴトのスタートラインと考えたのでしょう。9は0に変換されて次の次元を準備する究極であるのです。9は0であり、地球が太陽の回りを1周して、次の新しい周(一年)に入る境になるのです。
さて、旧歴では本日2月3日が正月で明けた4日が立春になる訳ですが、上記から類推すると3日の日暮れはもう4日の立春にカウントされるコトになります。
3日の節分は、日没近くに僅かな明りで見える内に豆を撒いて厄介な鬼退治をしょうとするのですね。暗くなったら我々の目には鬼は見えなくなってしまうからでしょうか。そういえば、陰陽の世界でも陰が初めで陽が後に来るというコトは納得できますね。
『鬼は外、福は内』良い年に為りますように。

96千々松 健:2011/02/03(木) 22:10:35
源実朝の自撰とされる663首が掲載されている『金槐和歌集』の藤原定家所伝本から冒頭の3首を引用します。
1)正月1日よめる
 「けさ見れば山もかすみて久方の天の原より春は来にけり」
2)立春の心をよめる
 「九重の雲居に春ぞ立ちぬらし大内山にかすみたなびく」
3)故郷の立春
 「朝霞立てるを見ればみづのえの吉野の宮に春は来にけり」
鎌倉幕府の3代将軍で、甥の公暁により暗殺されて短い生涯を閉じた天才歌人の源実朝が時空を超えて詠いかけて来ます。

97千々松 健:2011/02/12(土) 17:53:32
2月12日は冒険家の植村直己が生きていれば70歳を迎える日である。ちょうど63歳の誕生日にマッキンリーの登頂成功をしたが、その直後に消息絶ってしまっている。
その模様を現地から第一報したのがテレビ朝日のディレクターをしていた大谷映芳である。彼もヒマラヤのK2を登った山男で、今はドルボ基金を立ち上げたりNPOで活躍している。
昨年トルコ東部でアルメニアに近いアララト山を登ったようだが、ノアの方舟の木片でも見つけたいと思ったのだろうか。それにしてもアララト山が富士山にそっくりであるのには驚いた。

98亀山信夫:2011/02/12(土) 18:57:31
えっ、植村直己は2月12日生まれですか…、小生と同じです!

それにしても、今生きていれば植村直己も70歳…。もし、生きていた既に山を下りて、今頃はモンゴルが旧満洲辺りで、颯爽と馬を駈っていたかもしれませんね…。

99村山:2011/05/11(水) 19:33:49
藤原さんが再び分岐点に立っているようです。
http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/741.html

100千々松 健:2011/05/11(水) 21:50:07
>99 究極の99
「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る」というタイトルの本を松丸本舗で買ってきたばかりです。
人生の分岐点も「天の配剤」(アマノオルドナンス?)の如くのようです。
本場フランスワインの美味しく飲めるメコンの河畔が呼んでいるような気がいたします。
それにしても、天災はある意味では諦めがつきますが、人災は何としても避けたいものです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板