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「フィボナッチ数列の殿堂」への夢

1藤原肇:2009/01/22(木) 04:57:09
古希の歳を迎えたのが一つのチャンスとなり、十二月の初めに一通の招待状が届き、それにいざなわれて新年の挨拶を皆さんに送り、偵察を兼ねて仙境で新しい年を迎える旅に出ていましたが、元気はつらつとして砂漠に戻って来ました。
私的なことの公開は恥ずかしいとは思うものの、喜びを分かち合ってもらいたいと思うし、今回の旅路の報告にしたいと考えたので、とりあえずは招待状の最初の部分を紹介して見ましょう。
「Dear Dr. Hajime Fujiwara, I was deeply impressed with your Holocosmics: Beyond the new horizon of an unified theory in the Meta-Sciences which forum was held in 1994. And I am very pleased to invite you back to Taiwan again to prove into further research in relation between the mother earth and the human lives.」で始まる十二月一日付けの手紙は、『賢者のネジ』の対談の冒頭に出てくる台湾・日本研究学会の名誉会長で、国際美育自然生態基金会の謝森展会長からのものです。
年末で座席の確保が難しかったが期待に満ちた気分に包まれ、私は台北行きの直行便で太平洋をひと飛びしました。そして、大晦日の夜を北投温泉で過ごして時差ボケを治し、元旦から暫くは静謐な謝さんが作った「恵森自然休間農場」で過ごして来ました。ということでこの物語は始まります。

2千々松 健:2009/01/22(木) 11:58:36
「フィボナッチ数列の殿堂」への夢 スレッドオープンを祝して
台北の北投温泉は確かラジウムの多く含まれた岩石の「北投石」で有名なところですね。秋田県の秘境にある玉川温泉と同じく身体にとても良いと聞いています。

空海はその昔、日本各地で温泉を拓いていますが、弘法大師も元は地質学者であったわけですね。藤原先生も地質の専門家であるのですから不思議なめぐりあわせです。

「母なる地球と人間生命との関係」は温泉や岩石を通じて考察する道があり得ますね。
太古の生命は海底火山の噴火口周辺から生まれたと聞いていますから。・・・ちょっと短絡的過ぎるでしょうか(笑い)

3藤原肇:2009/01/23(金) 11:46:52
謝さんはこれまで十回以上もゼミや講演に招いてくれ、十年ほど前に人材育成に「藤原塾」を作るから、台湾に拠点を移して住む気はないかと誘ってくれたが、アルプスに近いスイスとイタリーの国境地帯に住みたかったので、この恵まれた申し出の実現に私は手間取っていた。
だが、数年前に再度の招待を受けたときに、二万冊近くの蔵書があるのでそれが問題だと返答したら、図書館を作ってあげるから持って来なさいと言われて、それならばと真面目に転居を考え始めた。
本拠地を地球の他の場所に移すことで、日常性を新しい気分で脱構築できるし、旅人にとって人生に味わいが増すに違いないし、多くの人がこの幸運を生かさない法は無いと助言してくれた。
しかも、伝記で学ぶ近代の芸術家たちの晩年は、パトロンである王侯貴族に招かれたケースが多いし、デカルトやヴォルテールのようなユマニストの場合も同じであり、芭蕉の場合は弟子や読者を訪ね歩く過ごし方をして、旅路として実り多い人生を仕上げていたから、一種の憧憬が私の深層心理の中に定着していた。
その意味では謝さんとの交友に基づく台湾生活は天の恵みだから、現代版の孟嘗君や春申君の食客を体験するのも、人生を彩るエピソードとして面白い体験になるというのが、2009年の元旦における私のささやかな抱負であった。

4藤原肇:2009/01/24(土) 01:13:27
デカルトの場合はクリスチーナ女王に招かれたが、折角のスウェーデンの滞在で風邪を引いて安眠してしまい、食客の生活にとって健康は何にも増して大切だと身を以って教えていた。また、フリードリッヒ二世に招かれてポツダムを訪れたヴォルテールは、サン・スウシー宮殿で色んなトラブルに巻き込まれて、最後には王と対立して著書を焚書される運命を招き、晩年はスイスの周辺で右往左往している教訓によれば、スイスに住むという気持ちを冷やすのに役立つ。
そんなわけで、台湾での私は如何に死ぬかを熟考することになるのだが、山荘を提供される仙境の持つ大地のエネルギーは、セドナ渓谷よりも強力だという事実があるし、新天地が秘める牽引力の磁性は絶大なのであり、珪化木を並べたストーンサークルの威力が素晴らしい。
そして、2009年の元旦の霊気を恵森農場で吸い込んだのだが、謝さんから「発足させる研究センターの名前として、場所が明昇丘の南面に位置するので、日の出も日没も素晴らしい景観だから明昇研究所はどうだろう」と言われた。
確かに、明は月と日の組み合わせで昇にも日があるが、月が陰をシンボライズする存在だとはいえ、私には余りにも陽の気が強すぎるという感じがした。そこで、陽の日に対して陰としては星を照応させ、仏教における最高の知的な状態の智慧を生かして、智慧という言葉を活用できないかと提案したら、謝さんは「智慧研究センター」が良いと賛成し、それで一月一日の議論は一段落して新しい年が始まった。

5村山貴子:2009/01/24(土) 10:53:02
芸術家は奉仕人だけど思想家は自由人なのです。だからデカルトやボルテールの人生に似た生き方をするのは、脱藩のやり方として素晴らしいチョイスです。
ただし、デカルトさんはお気の毒にも風邪を引いてしまい、最初は疲れで安眠したかもしれないけれども、それが結局は災いして永眠に繋がったのだから、どうか健康管理にはご注意をお願いします。
それにしても「智慧研究センター」というのは素敵な名前ですね。

6千々松 健:2009/01/24(土) 12:03:30
「智慧」の付いた名称は良いですね。一つの案ですが「明昇智慧研究中心」ではどうでしょう。その土地柄(固有名)が入っている組織名は安泰であると伺っていますから。

【ところで「智慧」という漢字の組成を少し考えてみましょう。知恵の古い字体が智慧です。「智」という漢字の下には太陽を表している日が付いています。その昔、太陽が東から上り、西に沈み、夜が来ると一日をカウントしました。どうも 365回数えると、同じ場所から太陽が出て来るし、同じ草花が咲き、昆虫たちが出て来るので、これを一年としたのです。長い経験から納得して知る、すなわち腑(ふ)に落ちて知るというのが智の意味です。
また「慧」の字の彗はハレー彗星の彗ですから星を意味しています。夜空に輝く星たちを見て、古代の人々は多くの「星座」を心にイメージしたのです。このように「人類は古くから天体観察を通じて智慧をつけて来た」といっても言い過ぎではないでしょう。】
【 】内は下記からの引用です
 http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/mmdl/11.51kitte.htm

今年はガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡を手作りしてから400年目に当たる「世界天文年」ですから、仙境に移られるには丁度良いタイミングではないかと思います。
「青によし 芝山(しざん)の森は いま青春(さかり)」(green spring!) 張錦春
恵まれた温泉も近くにあり、いつでもhot spring cureが可能ですから、安心です。

7藤原肇:2009/01/24(土) 12:58:31
千々松さんの智と慧についての字解を感謝すると共に、それをどう扱うかについては次回にすることにして、とりあえずは初夢について書くことにする。
元旦の夜に見る夢のことを初夢といったと記憶するし、「宝船の歌」を枕の下に強いて寝たら夢見がよくて、それが回文になるという説を「百人一首の魔方陣」だかで読み、福禄寿がウロボロスとは面白いと思ったものだが、謝さんの息子の出版社で出してくれた「Mountains of Dreams」には、ウロボロスで組み立てた五輪マークが満載である。そのせいで初夢が狂ったかどうかは知らないが、「一富士、二鷹、三ナスビ」ということにならず、その夜の夢はナスがメビウスの輪の形で現れただけでなく、富士山が逆立ちしたピラミットとして登場した。しかも、逆立ち富士はアインシュタインの相対性理論において、そのモデルとして使うミンコフスキーの概念図では、現在から未来に向かうパターンを現しているので、それはホロコスミックスのパターンだと気がついたし、それが目覚めたときに幸運にも記憶に残っていた。
時差ボケのせいで目覚めは夜明け前の時刻だったから、数百年昔の浮き彫りで飾られた樫か檜で出来たベッドの中で、夢に現れたものの意味について夢想していたら、ふと「逆序の理」という言葉が浮かび上がってきた。

8藤原肇:2009/01/24(土) 17:36:46
昔から「順人逆仙」といわれており、道家は「逆なれば仙」という密語を尊ぶようだが、この言葉の重要性を私に徹底的に教えてくれたのは、『賢者のネジ』で長寿について対談した赤木厚史仙人だった。
赤木さんの説によると「逆序の理」は『易経』にあって、最悪の卦の天地(順)は否の形を示すが、最良の卦の地天(逆)は泰として表わされ、陽陰とは言わずに陰陽と表現しているように、始終は直線型で有限だが終始変わらぬという通り無限で、そこに総てを超える逆序の威力があるという。それを敷衍した赤木仙人の長寿の秘訣としての奥義は、少年、青年、壮年、老年に続く死ではなくて、老年の次に青年時代が来るという逆序の理があり、それが中国の仙道の極意だということになるのである。ここに至ったときに私の頭の中に閃光が走ったのである。

9千々松 健:2009/01/24(土) 23:25:39
7>メタサイエンスの最先端「宇宙巡礼」のウロボロスについての箇所を読んでみました。
P81『円運動には究極のエネルギーの均衡が表現され、拡散運動が循環運動に転化するメカニズムが機能しているが、私の動態幾何学はそれを更に複雑化して多重的に関連させているので、そこに美しい生命力が見事に現れて来る。』と張錦春氏は語っておられます。

これこそが「フィボナッチ数列の殿堂」の意味するところですね。今般の「神聖方陣とラセンモデル」=21世紀マンダラは偶然にそれと一致するものであると認識しています。

10藤原肇:2009/01/25(日) 02:08:04
智慧は仏教における最高の知的な状態であるが、それはあくまでも俗界の順序の世界におけるもので、仙界の逆序で考えるなら慧智になる必要がある以上は、「慧智研究センター」にした方が良いのではないか。
手前の太陽の背後に星があるのではなく、星の中に太陽が包み込まれることで「逆序の理」が成り立ち、赤木さんが仙道書の『道海津梁』から取り出した、次のような詩の一節と結びつくのである。
否泰者順逆也
地天曰泰、天地曰否。
止而悦男下女。
故、
不曰陽陰而曰陰陽。
不曰始終而曰終始。
始終是尽、終始無窮。
造化深機、在於順逆而已。
順生人物、逆成仙仏。
共此一機、惟逆不易知耳。

11藤原肇:2009/01/25(日) 19:40:13
一月一日の翌日は二日だから1,1,2となり、これはフィボナッチ数列の始まりと一致しているし、何となく黄金分割に縁のあるスタートだと感じたので、朝食後に謝さんに「慧智研究センター」の名前を示し、英語なら「Research Institute of Cosmic Wisdom」が良いと提案したら、彼は大賛成でそれにしようということになった。また、謝さんは国際美育自然生態基金会の理事長であり、環境問題に関しては台湾における最高責任者であるし、自分が経営する恵森農場には広大な有機農場を持ち、周辺の山には檜を植林して育てていることから、環境問題と宇宙原理についての研究施設として、そのセンターとして発展させたいと希望していた。
そこで、宇宙を支配している最も偉大な大法則はフィボナッチ数列だから、センターの研究課題の一つにしたらどうかと提案した。そして、渦巻きには右回りと左回りの違いの秘密があり、螺旋運動に生命力を支配するカギが潜んでいて、その問題がこれから挑むべき重要テーマだと示唆したところ、それは素晴らしいアイディアだから、具体的にどう展開するか考えようということになった。
有機野菜の昼食の後で「霊芝培養研究所」に行って様子を見たが、若い研究者や作業員が正月だのに熱心に働いていたから、正月休みをしないのか統括にも聞いたら笑われてしまい、台湾では月齢で旧正月を祝うのが自然の摂理だといわれて、農業を始め自然の成長と結びついた世界は月の支配下にあり、それを放棄したことで日本の農業が狂った顛末を改めて痛感した。なを、霊芝に関して「LA International」の2002年.九月号に掲載した記事は、『宇宙巡礼』の「記事」の欄に『不老長寿の仙薬「霊芝」』と題して収録されたお陰で、雑誌が廃刊になった後も多くの人に読まれて喜ばれている。

12千々松 健:2009/01/25(日) 22:22:25
もちろん「慧=恵」ですから、「慧智研究センター」と「恵林農場」は共通文字を持つことになりますからぴったりします。
まして宇宙創造論的な視点からも、暗闇が先にあって光が後になるわけですから、陽陰ではなく陰陽が良く、従って智慧よりも慧智の方の流れが良かったのですね。

「Cosmic Wisdom」を研究するために必要なIntelligenceに関する9つのIについて「宇宙巡礼」を参考にして纏めてみました。
第一グループ Imaginative, Intuitive, Insight.(想像的で直観的な洞察力)
第二グループ Inspirational, Inductive, Inference,(霊感的で帰納的な推理力)
第三グループ Intrinsic, Interrelated, Integration,(本質的で相互関係のある総合力)

そして、コンピューターには不可能な分野すなわち「慧智」で勝負する「人間力」を鍛える場<道場<塾<殿堂が構築できたならば大変すばらしいと思います。
また、同時にそこで「武士道の智仁勇」を学ぶならば、真に世に役に立つ人材が輩出されると確信しています。

13藤原肇:2009/01/26(月) 02:33:32
朝食を済ませた三日の午前中の散歩は尾根伝いに枯葉を踏み、野生のポンカンやキンカンを食べながら歩いた後で、版画に影響された印象派の絵描きや尾形光琳が好みそうな、直角に折れ曲がった梅の枝が並ぶ林を横切って茶畑を過ぎると、丘の中腹に二階建てのレンガの建物が聳え立っていた。これまで恵林農場には十回ちかく訪れているが、数十万坪か数百万坪かの広さを持つ山や谷を含むこの農場には、京都の鞍馬から大原に続く地帯の景観が広がって、この朝の散歩で歩いたのは初めて訪れた場所であり、丘の上に突然に現れた赤レンガの建物に目を見張った。
中に入ると吹き抜けになった広大な空間が広がっていて中央にビリヤードの台が鎮座し、二階に上ると中央の大きな部屋に私を導いた謝さんが、「藤原さんが送る本はこの部屋だけで十分だろうか」と言ったので呆然としてしまった。かつて謝さんが「図書館を作ってあげるから本を持っていらっしゃい」と言ったので、木造のバラックでも建てるつもりだろうと思っていたのに、レンガ立ての建物が出来ていたとは夢にも思わなかった。
このときまでここがその図書館になるとは考えなかったし、「幾ら待っても藤原さんが腰を上げてくれないから、二年以上も空けたままでもったいなかったので、前庭ではお茶を日干して乾かすのに使っていたけど、ここでゼミでもやったらキット成果が生まれるし、いろんな人が育って面白い結果が生まれるはずです」と謝さんは笑って言ったのである。しかも、建物の二階の東端の部屋には檜か黒檀で作った天蓋つきのベッドまでが置いてあり、「本を読んで疲れたらここで休養したらいい」と言われて、予想もしていなかっただけに夢を見ているような気分になった。しかも、話の様子ではここが謝さんが用意した「慧智研究センター」で、その中に図書館が併設されるらしいということが分かり、この驚きは陰から陽への転換で闇に光が差し込んだ瞬間に似て、逆序の理をそのまま図面にした幾何学的な情景であった。フィボナッチ数列の第四項の1,1,2,3はまさにビンゴになって、その日の夜にミーティングがあるといって、謝さんは五日に戻ってくると台北に帰っていったが、私にとって一月三日は驚きに満ちて感激のうちに暮れたのである。

14藤原肇:2009/01/26(月) 07:31:27
一月四日は終日にわたり霧雨が山や谷を包む日で、ある意味ではこの日は地水火風の「四大」が支配したが、『ファウスト』の中で自然の猛威として象徴的に描いた、地震、津波、火事、台風とは無縁の落ち着きに包まれ、私は読者から届いた『インテリジェンス戦争の時代』の校正原稿の朱いれをした。これは社会思想社が文庫本にする予定だったのに、倒産したせいでその実現が不可能になったせいで、改めて改訂版として書き込みをした原稿を再編集して、読者たちが電子版に作り直してくれたお陰もあり、ことによると再び出版される可能性を秘めた本である。
この本が1991年に出たときの思い出は印象深く、当時ロスに住んでいた友人のマッド・アマノに、歴代の首相の顔を五人分まとめて人物像として描き、その人が便所で拙著を読んでいる図柄として、描いて電車の中づり用のビラを作ったのだった。アマノさんは西洋便器に座った首相らしい人物が、『インテリジェンス戦争の時代』を読みながら「うーん、なるほどそうか!!!」と発声し、この排便中の人物の脇には朱色の文字で、「自民党の代議士諸君は大臣から陣笠まで、この本を便所の中でこっそり読んどるよ!!」(元閣僚の談話)とある。
それに続いて太い黒文字の活字で「しかし、国民の皆さん!! あなたは明るい所で堂々とお読み下さい。愚民政治を吹き飛ばす凄いエネルギーが生まれます。」とあり、ビラの右端には「日本政府は自民党に操られて完璧なまでに私物化され、インテリジェンス能力は限りなくゼロに近い。(本文より)」と書いてあって、野にある日本人が無能で横暴な権力者に対して放った批判の矢であった。

15藤原肇:2009/01/26(月) 16:58:53
この吊るし広告は東京の地下鉄と東京近郊のJRの車内に、四日間ほど新刊本の中吊り広告として吊り下げられ、多くの人の目に触れたはずのものであり、ギッシリ詰まった通勤の時の車内で見上げたら、思わず目に入って広告を眺めることになったらしい。だから、本の存在を知る人は意外なほど多かったが、現実に買って読んだ人はそれほど多くなかったのは、個人的に賭けに出て印税の四倍の大枚をはたいたのに、結果として二刷りで終わったことが証明していた。
だが、一刷りで終わる拙著で二刷りになったのは例外的であり、アマノさんが描いた痛烈なカリカチュアのお陰で、身動きの出来ない満員電車の中で注目され、書評は少なかったのに読者をかなり獲得した。本当は一週間か十日ほど広告をぶら下げたかったのだが、私の軍資金と出版社の広告予算を合わせたものでは、僅か四日ほどしかそれを実行することが出来ず、電車の中吊り広告費の高さについて痛感させられた。
今にして思えば四十代の私はまだ元気がよく、公共の場を使って権力への反抗を試みるにしろ、一緒にやってくれる出版人も健在だったが、今では本を書いても日本では活字にならないし、言論界自体が気力消失で低迷しているので、幾ら亡国の極みだとは言っても寂しい限りだ。
確か、当時は海部俊樹が首相だったと記憶するが、今にして思うとはるかにまともな時代であり、小渕首相が奇妙な形で葬られた後の密室の談合で、「フカの脳みそ」と言われた森喜朗が首相化して以来、小泉、安倍、福田、麻生とゾンビ首相が続いてしまった。しかも、マンガで脳軟化して完治も読めない麻生太郎に至っては、小学生からも嘲笑されるお粗末な常識力と恥知らずで、海部や竹下の一万分の一くらいの能力だから、20年昔が懐かしく思えるほどの体たらくである。

16宇都宮雅俊:2009/01/26(月) 22:08:17
政治だけでなく経済も含めて情けない状態になってしまった。それはテレビや新聞が駄目になり、国民が考える力を失った体と思う。
現在も生き残って反権力で活躍しているのはマット天野さんだけだが、反骨精神の原点が発見できて良かったと思う。

17宇都宮雅俊:2009/01/26(月) 22:13:55
訂正。16)の三行目の「体」は「ため」の誤り。15)の最後から三行目の「完治」も「漢字」の変換間違いだと思う。

18藤原肇:2009/01/27(火) 02:36:28
こんなことを山霧に包まれた仙境で思ったのは、四大の筆頭に来る地霊のロキの威力だろうが、その頃に台湾代表として訪日していた、謝さんに、その頃に出会いを持ったと私は思い出した。
外国住まいの私にとっての出版パーティとして、『インテリジェンス戦争の時代』は唯一無比に属しており、出版社の武重社長は民社党の曽根益書記長の秘書だった関係で、辞退したのに盛大な出版パーティを企画してくれた。彼は謄写版刷りの秘密文書を持ち出して、『外務省秘録』として出すために倒産出版社を買い、山手書房の版権を総てを手に入れて読破したらしい。
その中にあった『情報戦争』を見つけ出して、復刻して出したいと連絡があったので、全面的に書き直したのが『インテリジェンス戦争の時代』だし、インテリジェンスの中文訳が慧智というのも、慧智研究センターとの兼ね合いで奇遇に属す。
しかも、キャピトル東京ホテルを使い赤坂の芸者入りで行い、まるで政治家がやる出版記念会に似ていたし、余りに派手だったので私はびっくり仰天した。
共に今は故人になってしまったが、武山泰雄元日経編集主幹や『文学界』の西永達夫編集長がスピーチして、私に早く日本に戻ってこいとお説教してくれたし、藤井尚治先生までが薀蓄あることを喋って下さった。謝さんとの出会いは武山さんが主宰した「泰山会」の集まりで、それ以来の交友はかれこれ四半世紀も長く続き、この交友双六の上がりが恵森農園での滞在に結びついた。
また、藤井先生との交友は『間脳幻想』の「まえがき」にあるように、東明社の吉田社長による手引きのお陰であり、1980年代の初めは人生における絶頂期に相当するが、一瘤ラクダが二瘤ラクダに進化できるかは今後の問題である。

19石黒:2009/01/27(火) 13:36:41
逆序の考え方だと老年の次に青年が来るのだから、これから上りで青年期がきてらくだの瘤は二つのはずです。これからどうなるか楽しみです。

20藤原肇:2009/01/27(火) 14:49:04
一月五日に謝さんが台北から戻ってきたので、その日の昼食は三人の訪問客と一緒にしたが、ゲストのうちで英語を喋る一人を除いて中国語ばかりで、言葉の出来ない世界に迷い込んだ感じがした。それでも、謝さんが時によって日本語で内容を教えてくれ、農業や植物生態の話題が交わされたと分かったとはいえ、現地の言葉が出来なくてニコニコしているだけでは、実に情けないことだという悲哀を痛感させられた。
謝さんは週の半分以上は農園で過ごしているが、台北で顔を出さなければならない集まりも多く、片道100キロほどだから車で往復しており、台北に行く高速道路は有料だが二本走っている。明治時代の遅い東海道線を利用した頃でも、伊藤博文は大磯の蒼浪閣から東京に通っていたし、西園寺公望も湯河原から東京に出ていたのであり、現在では鎌倉から東京に通う人もいるのだから、都心から百キロはそれほどの遠隔感は伴わない。
私が恵林農場に住んでも交通の便はあるのだし、台北に出る途中には桃園国際空港もあるので、世界から孤立するわけでないしアジアは至近距離だ。空間的な距離より時間的な距離としてトポスの問題を考えれば、ロスの空港から300キロ離れた砂漠に住んで、世界に出かけていたこれまでに較べて、山紫水明の山の中の仙境に移り住むといっても、かえって便利な環境に恵まれることになるともいえる。
そう考えて北投温泉の近くにスタジオでも持ち、都会との結びつきを維持しようという邪心を放棄し、ものを持つ人生はオサラバしようと覚悟を決めた。

21千々松 健:2009/01/27(火) 22:09:53
昨年の紅葉の季節に念願の上高地を散策しました。穂高の盟峰が神々しく感じられ、40年前に北アルプスを縦走してここに辿り着いた記憶が微かに思い起こされたのですが、残念ながらバスの時間もあり明神池には行けませんでした。
「上高地」の名前の由来は神河内、上口であったようですが、神降地、神交池、神憩う地、であってもおかしくはないと思いました。
北穂高岳・西穂高岳があるのに南と東の名前がない訳ですが、奥穂高岳が南穂高で、明神岳が東穂高に該当すると考えて良いと思います。
「野ごころの歌」藤原肇の山岳誌から 6行6章のうち4章の部分のみですが引用させていただきます。

「野に在る心 野ごころは
エーデルヴァイスの明日の希望
移り行く黄昏に続く明暗の逆転の中で
若く清い憧れを袖に秘めて
この花は 深夜の咆哮を含んだ
峰の嵐に耐える」
・・・『黄昏に続く明暗の逆転の中で』からは逆転する独楽をイメージしました。
勢いよく回ると、ある時点でくるりとひっくり返って、軸棒で立ち上がるあの不思議なコマです。
メビウスの輪のような「捻り」が生じるのですが、動きは止まらないのです。

22藤原肇:2009/01/28(水) 03:15:29
客人を送り出して午後の散歩は新しく開いた野菜園方面で、その帰り道に珪化木で作ったストーンサークルに座り、これから「慧智研究センター」をどのような理念のもとに、運営して行くかについての打ち合わせをした。そして、環境問題を中心に取り組むセンターとして、地球をガイアとして捉える活動の拠点にすると共に、『経世済民の新時代』の第六章に書いたアイディアに基づき、人材ネットワークのハブにしたらということになった。
だが、それだけでは物足りないしチャンスを生かそうと思ったので、私はここに誕生する私の蔵書を集めた図書館の中に、フィボナッチ数列についての資料を集めて、慧智という言葉にふさわしい世界のセンターを目指し、世界に人材のネットワークを張ってワークショップを主宰すること。また、ファイにまつわる図面を蒐集してそれを展示したり、彫刻や建造物を配置したら人類の遺産になるので、そうしたことを目標の一つにしたらどうかと提案したら、謝さんは「それは面白いアイディアだ」と賛成してくれた。
それにしてもギリシァ語の大文字のΦがΟ、Ι、―、―の組み合わせで、Οを地球と見立てるとガイアを巡るジェオメトリカルな構図になり、┬と┴を組み合わせれば┼になることからして、このシンボリズムは意味深長なものを含むと感じたのは、ストーンサークルの放つエネルギーのせいだろうか。

23藤原肇:2009/01/29(木) 02:28:49
恵林農場の木立の中には彫刻が散在していて、大阪の万博に出品したユーゴのCherinaの青銅の作品が、裸婦や母子像を中心に置いてあるだけでなく、石造りの狛犬やサトウキビ用の石臼が大量に並んでいる。しかも、アリゾナには『Fossil Tree National Park』があって、入場料を払って化石化した地質時代の木の幹を観察するが、ここでは珪化木の椅子に座って議論でき、瞑想も可能だから地質屋の私には天国であり、高い大地のエネルギーを浴びるのは至極当然だ。
また、至極という文字は天文学のトポスと関係していて、夏至や冬至の至ると難局や北極を示すから、至極という言葉は素晴らしい意味を持つと気づいた。後になって、牧夫然とした感じで植生や農業について語り、昼食の有機野菜の味の良さを褒めて微笑んでいた、英語を喋った客人が前農林大臣だと聞いて、地位や肩書きのない田園生活の面白さを感じた。日本の農林大臣の場合は汚職で自殺したり、事務所費を誤魔化して顔に絆創膏を張るていたらくだが、この有機野菜の味を楽しむ人とでは好対照ではないか。

24千々松 健:2009/01/29(木) 13:39:20
ある場所や土地の心的固有性(雰囲気)を示す表現としてゲニウス・ロキ(土地の精霊)ということばがあるそうです。
新竹・北埔の恵森農場はこの「ゲニウス・ロキ」の多く集まる仙境であり、従って「至極」な場所(埔=地)に違いありません。

そこは『山々の頂きに憩いあり』の「穂高岳の頂き」であるかもしれないと思います。
もしかしたら「ホ・タ・カ」のホは地(トポス)、タは多、カは神(天)を意味しているのかもしれません。

25藤原肇:2009/01/29(木) 17:38:14
千々松さんに指摘されて驚きました。穂高の響きに心地のよさを感じていたのに、「ホ・タ・カ」の持つ意味に気がつかなかったのは迂闊であった。どうも有り難う。まさにカンタータの世界ということ。
渦巻きの話は星雲やDNAの話題として広がっていくし、それが螺旋運動の平面投影だと理解することにより、バッハがフリードリッヒ大王に招かれてポツダムに行き、サン・スウーシ宮殿で作った「音楽の捧げ物」の中に、得もいえないほど美しい「螺旋のカノン」の旋律を残し、一つの主題から無限を生む可能性を示していたことが、ストーンサークルの中心に座る私の頭上を渦巻いた。これはピタゴラスの数に対しての定義から始まって、これまで千々松さんや松本さんが展開してきたことだが、一には数量の始まりとしての一があるだけでなく、それと共に多くの部分を含む全体としての一があり、ピタゴラスは全体としての一をモナドと名づけている。
しかも、モナド論で知られたライプニッツは手紙の中で、「音楽は知らず知らずに数を数えることだ」と書いていて、旋律にフーガを使った波で円舞させたように、バッハは音を使って幾何学をやった芸術家である。こんな思いからホッホシュタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』が浮かび上がり、この難解な本を翻訳した野崎昭弘さんを思い出したが、野崎先生は私がグルノーブル大に留学していた時代に、客員教授としてコンピュータ翻訳の研究をされていて、数学の面白さについて色々と教わったことがあるし、一度フィボナッチ数列について質問したら、岩波から出た『π(パイ)の話』という本をくれ、「パイとピラミッドの関係です」と公案の答えみたいなことを言われた。
「ベナイオス河の場」でファウストがヒロンの背に乗り、永遠の神殿に向かうときに交わした言葉に、「私は動かずにいるが、時が私を巡るのだ」と言うが、これは一としての中心点の私と全体の円を現し、この2πrの関係を野崎さんは暗示したらしく、成程と感心した昔のことを懐かしく思い出したが、ピラミッドには黄金比が組み込まれているのである。

26藤原肇:2009/01/31(土) 05:48:57
『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は著者のお喋りが多すぎるので、読むのに疲れていつも飛ばし読みしてしまうが、こんな難解な本を訳した野崎先生を酔狂だと思ったこともあるのに、この本は部分を何度も読んでしまう不思議な書物であり、英語版と日本語版を台湾に持参することによって、このストンサークルに座って読むのが心楽しく思いやられる。
次に思い浮かんだのが『熊のプーさん』の遊びの『タオのプーさん』で、ゲーデル・エッシャー・バッハの三人をプーさんとすれば、誰かがここで『ファイのプーさん』という本を書くことにより、慧智の塊のようなものが誕生しそうだという予感がした。Pooは本来的にはoooであったと感じるのだが、それは私のE−mailに組み込んだ20002と同じで、ゼロが三つ並んだ無限のシンボルとして、密かに超無限をシンボライズしたものである。これはテトラテュクスを現しているだけでなく、パスカルの三角形としてフィボナッチ数を潜在させている。
そこから出発してメールアドレスにしたのであり、フジの22が超無限を含んで2Φ2を数値化したものだが、そこまで分かればプラトンのアカデミアの門を潜れる。しかも、pとoとの幾何学的な関係について考えるなら、oの接線としての補助線がついたものがpであり、点であり円であるものに補助線が加わることで、螺旋としての運動が始まり生命活動が動き出し、それが初源の生命現象としてのストロマトライトだったので、水酸化第二鉄が生命に如何に重要かが分かってくるが、この水酸化第二鉄の役割は珪水さんがおしえてくれたものだ。
バッハだって自分の名前のアルファベットを数値化して、Bachは14だがJ.S.Bachでは41にしている。それだけでなく、時間や一日を24や365の音符で表現しており、作品の中に名前を数字に転換してメッセージに使い、『ファウスト』の中で数字の象徴性を埋め込んだゲーテと同じで、十次元の魔方陣を楽しんだ藤原定家に似た遊びをしたようである。

27千々松 健:2009/01/31(土) 12:01:13
>22[ギリシァ語の大文字のΦ]
黄金比を示すギリシャ文字の「Φ」ファイの由来は興味深いです。もしかしたら、○と十で形成されたカタカムナ図象文字との関連が有るかも知れません。
「サ」の元になる図象は○を横に分けた印で、「キ」の方は○を縦に分けた印であるとすれば、Φは天と地を分けている「キ」のイメージです。
「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスベシレ カタチサキ」を自己流に解釈しますと、「1.2.3.4.5(昼の時間経過=順序) 回りて廻る 6.7.8.9.10(夜の時間経過=逆序) 阿吽(始めから終わりまで)の統べ(統一を)知れ カタチサキ」 カタチは天の叡智に、サキは先になると思われます。ベクトルがどの方向を向いているかが大切なことです。順序と逆序で元に回ってくるといっても、決して単なる円運動ではなく、ラセンを描いて成長してくのです。それは円を描いてはいるが、上に伸びているストーンサークルのイメージと繋がるのではないでしょうか。
また、○=0=ゼロは始点であり、「mod9」によれば9は0になるので、極まったところ(至極)がまた始点に置き換わるのです。

9の字は○と|で出来ています。丸い滑車を紐で廻す場合を想像すれば、9は時計回りになります。πとΦ(PHI)もPではじまりますが、|と○からできた文字に見えます。こちらは滑車で考えると反時計回りになります。「o,p,q」の連続するアルファベッドで、oは○に、pはπやΦに、qは9(キュウで発音も一致)になっているのも不思議です。

28千々松 健:2009/01/31(土) 12:32:44
【F数列とL数列の一般公式およびΦとπについて】少しまとめて見ました。
フィボナッチ数列=1,1,2,3,5,8,13,21・・・
リュカ数列=1,3,4,7,11,18,29,47・・・
とするとき、n番目のフィボナッチ数とリュカ数をそれぞれFnとLnで表わす。

Fn = Fn-1 + Fn-2  フィボナッチ数列
Ln = Φ^n + (-Φ)^-n  リュカ数列は黄金比の累乗で出現する
Fn = {Φ^n - (-Φ)^-n}/√5 フィボナッチ数列も黄金比の累乗と√5で表される
(Fn)^2 + (Fn+1)^2=(√F2n+1)^2 フィボナッチ数列とピタゴラスの定理の関係
 Φはラージ・ファイ(大黄金比≒10618)
 一般には Fn+m+1 = Fn+1 Fm+1 + Fn Fm
 また 2Fn+m = Fm Ln + Lm Fn これは三角関数の加法定理に似ている。

そこで「オイラーの公式」が思い出されます。
e^iθ=cosθ+i sinθ
θ=πのとき e^iπ +1=0 が導かれる。

そこで π≒6/5ΦΦ(円周率=黄金比の二乗×6÷5)を代入すると
e^i6/5ΦΦ +1=0 となり
自然対数の底eと黄金比Φと虚数単位iおよび0と1で表現されることになろう。
e^i6/5ΦΦ=-1であるから
オイラーの公式は (−1)+(+1)=0 と単純化できて
負+正=0 又は 陰+陽=0を意味することになる。
後は πとΦの関係式を厳密に成り立たせることができれば好いことになろう。

29千々松 健:2009/01/31(土) 22:49:49
>26
科学には疎いのですが「水酸化第二鉄」が生命の誕生に寄与したという事実からすると「二価三価鉄塩」の持つ酸化&還元作用は生命細胞にある秩序をもたらすに違いないと思いました。
そして、そのバランス効果?は人間のみではなく植物や動物にも共通してよい作用を及ぼすでしょう。

「間脳幻想」よりの引用をさせていただきます。

藤原肇:『秩序の形成というダイナミックな生命現象の基本には、普遍的な法則性が存在しており、それがフィボナッチ数列に他ならないのです。』P309 
『シナジェティクスの立場から、フィボナッチ数列に注目するのですが、脳内ホルモンの分泌と活動において、酵素が大きな働きを演じたのと同じであり、新しい形態をもって生命体が発展していくメカニズムは、促進物質と抑制物質の攻防戦にあり、それがより一段高い次元において統一された表現形式がフィボナッチ数列だ、と確信します。』P312
藤井尚治:『フィボナッチ数列の秘力を使いこなす能力に恵まれた、若い人材を沢山育てて、そういう人々を指導者にして、国づくりや組織づくりをしなければいけない、ということになりますね。しかも、日本といった小さな集団の利益のことだけを考えて、自分本位の動きをするのではなく、人類全体とか、生命体全部の調和とバランスのとれた秩序について考えることのできる人間が、リーダーとして必要になるということだな。』P310 

このように1988年の時点で、既に「フィボナッチ数列の殿堂」への夢の基本が示されていた訳ですね。

30千々松 健:2009/02/03(火) 16:17:22
>25,26
「ゲーデル,エッシャー,バッハ」(以下GEB)を近くの図書館から昨日借りてきました。やはり難解かつ大書ですね。でも絵や図が入っていてホッとしました。野崎昭弘をはじめ翻訳者の方々のご苦労が伝わってきます。
副題の『 an Eternal Golden Braid 』一つとっても「永遠の金の組み紐」「不思議な環状パターン」「もつれた階層」等々の候補があり、最終的に「不思議の輪」におさまったことが分かりました。私的には「黄金」の文字が入って欲しかったとも思いましたが・・・ 
そのGEBから若干引用します。

意識現象の理解のためには『脳状態の記述を信号レベル(ニューロン対ニューロンの低レベル)から記号レベル(モジュール対モジュールの高レベル)に移行させることが望まれる』本文P348

『数学の形式システム(つまり、意味を考慮せずに記号を機械的に操作するだけで限りなく数学上の真理を生み出す規則の集まり)に現われるゲーデルの不思議の環は、このようなシステムが「それ自体を知覚する」こと、それ自体について語り、「自己意識」をもつことを可能にするループであり、ある意味で、このようなループをもつことによって形式システムが自己を獲得する、と言ってもいいすぎではない。ここで、奇妙なのは、骨組みだけの「自己」が発生する形式システムが意味のない記号だけで組み立てられることだ。このような自己は、意味のない記号の間に起こった特殊な種類の渦巻き、もつれたパターンのみで生じるのである。』序文P-6

『脳を形づくっている物資ではなく、脳の物質内部に出現しうるパターンこそ鍵なのだ。』P-8

31藤原肇:2009/02/04(水) 07:10:28
『ファウスト』の「書斎の場」を思い出せば、入り口の敷居に描かれた五芒星の先端が歪み、その隙間からムク犬にやつしたメフィストフェレスが書斎に入り込んで、そこから悲劇の物語が始まっていることからしても、フィボナッチ数列を体現したペンタグラムの取り扱いは、宇宙の慧智を学ぶ上で最も重要なものである。高校生時代に西行や芭蕉の作品に親しんで、なぜ彼らの生涯は旅に明け暮れたのかと思ったが、大地の高いエネルギーを求めることでそれと共鳴し、自らの内部の生命力の充実を感じることにより、それを満喫したのだろうと実感することが出来た。
だから、『逆序の理』について素晴らしい考察を残した幸田露伴は、小説家としての漱石や鴎外を凌駕した文学者として、最後には素晴らしい『芭蕉七部集』の評釈をしたが、小説家のレベルを突き抜けたが故に文壇での評価は低くても、日本が誇る真の偉大な作家の誉れを残している。小説で知られた『五重塔』は白銀率で構成されているし、彼の人格の中には黄金率が輝き渡っているといえ、伝記作家の小島直記も幸田露伴は最高の作家だと言っていた。
ストーンサークルは久しく忘れていた露伴を蘇らせたし、フィボナッチ数列や五芒星について語り合うことで、「慧智研究センター」の発展の方向を指し示すことができ、次の世代にバトンタッチする基盤が確認しえたのが、一月三日に続く五日で1,1,2,3,5に相当していて、フィボナッチの序列に従っていたということは、何とも形容しがたい僥倖に恵まれたことだと言える。

32藤原肇:2009/02/05(木) 07:36:14
幸田露伴の話が出たついでに話題を移すことにして、閑話休題の形で台湾から一気にアメリカに移し、カリフォルニアに戻ってからのことを記すことにする。
というのは私が賀状としてE−mailや掲示板『あけましておめでとうございます』の欄で、「・・・2009年は四半世紀住み慣れた米国の砂漠生活に切りをつけ、古希を迎えたのを契機に人生の転機として、地球上の新天地に引っ越す予定で準備を進めています。・・・」で始まるメッセージを発信したところ、多くの方からE−mailや掲示板の書き込みがあった。
その中の一つに「カリフォルニアの砂漠を後に、今度引越しされるという[地球上の新天地]とは、いったい何処なのかと想像せずにはいられません。ご令嬢様がフランスのぶどう酒会社に職を得られたとこと、ワインが満更嫌いではない私としまして羨ましい限りで御座います。・・・」という文面で始まるメールが届いた。
この格調のある文章を書いたのが日本人ではなくて、生粋のアメリカ人だと言ったら驚く人も多いと予想するが、このメールの差出人はUCI(カリフォルニア大アーバイン校)のテッド・ファウラー教授である。彼との出会いは20年ほど昔に娘のカレッジ訪問旅行の時で、当時デューク大学の准教授だった彼は東京の下町に興味を持ち、『山谷ブルース』という本を書くジャパノロジストだった。
しかも、彼のお陰で私はアメリカで幸田露伴全集を読むことができ、中国の古典のエッセンスで構成された露伴の作品を通じて、意識しないで彼の「逆序の理」に親しんでいたので、それが私の人生にとって貴重な北斗七星の役割を果たしたのは、大上老君が三清の仙境を開き仙洞に導くせいかも知れない。

33千々松 健:2009/02/05(木) 23:48:05
幸田露伴の「寺田(寅彦)君をしのぶ」に出てくる「璿璣玉衡(せんきぎょっこう)」は「古から測天の器のようにも云われ、又北斗七星其物のように云われている。」とありますが、科学者の寺田はノーコメントであったと書いています。それは余計に興味が湧きますね。
露伴といえば「五重塔」しか知らずにいましたが、芭蕉七部集の評釈を52歳から最晩年の80歳までかけて完成させていることは知りませんでした。「奥の細道」を英語に翻訳する作業を進めている知人に今度詳しく聞いてみようと思います。

34藤原肇:2009/02/06(金) 02:43:38
過去二十年間に渡って日本語図書で利用した大学図書館は、延べ時間としてはUCSD(カリフォルニア大サンディエゴ校)であり、その次はUCI(カリフォルニア大アーバイン校)が来てはるか後にクレアモント・カレッジが続き、私が住むパームスプリングスの周辺で一泊旅行や日帰りが可能だ。
どうしても必要な場合は娘がいたのでシカゴ大が誇る最高の蔵書を活用したが、一日で往復できるのにUCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス)やUCR(カリフォルニア大リバーサイド)をほとんど使わなかったのは、蔵書が貧弱で日本関係の教授の質も低かったからだ。
UCIが意外に多かったのは幸田露伴全集があり、数十冊の彼の浩瀚な書を読むために通いつめたが、後で聞いた話だとUCIの教授に赴任したテッドの指示で、図書館にこの全集をそろえたとのことだった。ただUCIやUCRには日本人の司書がいないので本の選択がお粗末で、図書館の良さは司書の質に関わっているだけでなく、その大学の教授や研究者の問題意識が決め手で、最近の日本では良書の出版が少ないことが致命傷になり、アメリカの大学図書館にいい本がほとんど存在しない。
十代の露伴は中学は中退だが湯島聖堂の東京図書館に通ったので、彼にとっての大学は図書館だったのであり、あれだけ凄い漢籍の素養を身につけたのだった。
さて、私が米国を離れるということでテッドから自宅での昼食に招かれ、私が神田の生まれで上野で育ったという経歴を糸口に、折角のチャンスだから久しく中断していた対談を試み、「逆序の理」に始まって幸田露伴の文学談義を論じ、東京の下町について興味深い対談を録音したが、これから引越しなどがあるので活字化は来年だろう。
それにしても奇遇だと思うのは、テッドが修士論文のテーマとして扱ったのが『五重塔』で、小説時代の露伴を相手に悪戦苦闘したという話や、蒲田に住んで露伴の墓が池上の本門寺にあり、ジョギングしながら墓参りを楽しんだという青春談を聞いて、これも不思議な縁だということを感じたのである。


35千々松 健:2009/02/06(金) 11:37:35
露伴は五重塔の先端を飾る「九輪請花露盤宝珠(くりんうけばなろばんほうじゅ)」から露盤=>露伴のペンネームを考えたのではないかと夢想します。塔には三重塔、五重塔、十三重塔が多く見られる訳ですが、これも3,5,8,13のフィボナッチ数列ですね。(ただし、八重塔はなく九重塔に変化しているのは偶数を嫌ったからでしょう)

秋田の玉川温泉にも「北投石」が在ることに触れましたが、秋田の大湯環状列石は近くの地名に花輪とか十和田があるとおり、自然の花弁に多く見られる5という数値やその倍の10が伝わったものでしょう。
余談ですが、ヤツデ(八つ手)の葉は八枚ではなく九枚が普通です。

秋田は美人の誉れが高い土地柄ですが、特にストーンサークルのある鹿角市の女性は目を見張る美しさに溢れていました。30年前の体験的印象です。
「珪化木の椅子」のストーンサークルはまさに「殿堂」を意味していると思われます。

36村山:2009/02/06(金) 15:03:11
露伴の筆名が露盤から来たという仮設は興味深い夢想ですが、余市から彼が東京に逃げ帰ったときに、汽車がなかったので青森から郡山まで歩き、野宿をしたときに「露を友とする」という思いから露伴にしたと、物の書には書いてあったように思いますが、五重塔の九輪からの連想でフィボナッチ数列と結び付けるとは、素晴らしいイマジネーションだと感心しました。、

37藤原肇:2009/02/07(土) 08:27:45
幸田露伴が論じた魔法についての文章の中に、魔方陣について論じたものを見つけて書き写したことがあり、その部分のコピーから引用すると次のような具合になる。
<引用>「・・・洛書というものは最も簡単なマジックスクェアーである。それが聖典たる易に関している。九宮方位の談、八門遁甲の説、三命の占、九星の卜、皆それに続いている。それだけの談(はなし)さえもなかなか尽きるものではない。
一より九に至る数を九格正方内に一つずつ置いて、縦線、横線、対角線、どう数えても十五になる。一より十六を正方格内に置いて縦線、横線、対角線、各隅、随処四方角、皆三十四になる。二十五格内に同様に一より二十五までを置いて、六十五になる。三十六格内に三十六までの数を置いて、百十一になる。それ以上いくらでも出来ることである。が、その法を知らないで列べたのでは、一日かかっても少し多い根数になれば出来ない。古代の人が驚異したのに無理はないが、今日はバッチェット方法、ポイグナード方法、その他の方法を知れば、随分大きな魔方陣でも列べ得ること容易である。しかし魔方陣のことを談じるだけでも、支那印度の古より、その歴史その影響、今日の数学的解釈及び方法までを談じれば、一巻の書を成しても足らぬであろう。極ごく小さな部分の中の小部分でもその通りだ。そういう訳だから、魔法の談などといっても際限のないことである。・・・」
これを読んで分かるのは露伴が魔方陣に精通し、フラクタル的な発想を持っていたことが分かるし、十次元の魔方陣にも通じていただけでなく、無限次元の魔方陣についても理解がおよんでいた。だから、彼の該博な知識と薀蓄からすれば、百人一首の魔方陣に接近できたのは明らかだったのに、芭蕉の俳句の世界に遊んだので和歌とは繋がらなかったのは、彼が神仙の世界に傾倒したからだという気がする。

38千々松 健:2009/02/08(日) 08:45:11
露伴は住処を「蝸牛庵」と自ら呼んでいたそうですが、蝸牛とは良く付けたものですね。
かぎゅう、カタツムリ、デンデン虫、マイマイ・・・親しみがもたれる名称も漢字だと別な印象も生まれます。
虫と渦巻きと牛の構成からは、のろのろと歩く牛や蛇や海の貝を思い起こさせる。

Webで知ったことですが、貝類のうち陸に棲むものは巻貝の形を取るものだけであるというのも面白い。
右巻きが多く左巻きは少ないようで、そのことは種類にる遺伝子で決まっているが、稀に「逆旋個体」も発見されるという。雌雄同体で時には自家受精をして種族の保存もするという優れものですね。

39千々松 健:2009/02/08(日) 17:47:29
【露伴・蝸牛・ヤコブの階段の連想ゲーム】
ヤコブがベテルの地で野宿をしていた時に見た夢に「天からの階段」というのがあります。
ヤコブの階段は地上から伸びたのではなく、天から降りてきたのです。その階段(道・路)を天使が下ったり上がったりしているのを見たのでした。それは直線的ではなくて螺旋階段であったはずです。また方向性では「天地」と「地天」のそれは「順序」と「逆序」の違いになりましょう。

そこでまた「露伴」のペンネームに戻ります。確かに通説は村山さんのご指摘の通りだと思います。しかし、博学の彼のことですから、それだけではすまないのではないかと推理しました。
「露」:天から降りてくる雨と路を組み合わされた漢字が「露」であるのも偶然ではないでしょう。
「伴」:人間は一人では生きていけないので誰か善き伴侶が必要なのです。もしも伴侶が人でない場合は神様ということになるかもしれません。「いつもそばに居る何者か」が伴の意味になります。
そして、ヤコブも露伴も同じく野宿をした時にイメージされたということも不思議ではないでしょうか。

40千々松 健:2009/02/09(月) 08:24:49
現在はサイバー大学の教授をされている野崎昭弘氏の「πの話」岩波科学の本1974年から、また松本英樹さんから多くのヒントをいただきましたことを感謝します。
これも藤原肇博士のナイスガイドのおかげです。
多くの善意の人から恩恵を受けながら、最後は勇気を持って、孤独な静寂の中で自らの思索を展開することが大切であるということを、今回は身をもって体験した思いです。

「フィボナッチ数列や律動とラチオについて」の>155との関係で
「フィボナッチ数列の殿堂」はこの意味で「大ピラミッド」そのものであるといえます。
「黄金比」という言葉をあえて使用せずに、πをフィボナッチ数列とリュカ数列の比率という関係の中で表現できるのですから、関係の関係で二重の関係?が面白いと思います。
 
 『π/6≒{Fn+1)/L(n)}^2』

41藤原肇:2009/02/09(月) 09:39:32
露伴が若い頃に電信技官としての訓練を受け、モールス信号のトン・ツウという陰陽の卦に親しみ、リズムへの関心を持ち合わせていたことは、彼の和漢混交体の文体の旋律によく現れている。また、彼の人生のリズムが転換期の節目を持っていて、成功の絶頂期に惜しげもなく小説家としての人生を放棄しており、史伝や随想に続いて俳句の評釈をしているが、螺旋的に回帰して書いたのが連環論であり、遺作の『連環記』の主人公の慶滋保胤(かものやすたね)は文章生だった。
しかも、保胤は陰陽と天文の総帥の賀茂家の出であるだけでなく、安倍晴明の同僚だったことからしても、晴明紋としての五芒星が登場してくるので、露伴がフィボナッチ数列に結びつくことになる。また、露伴の連環は西周の『百一連環』にも結んでいるから、連環を行列式と見れば明治の人のカンの良さには、藤原定家から続く幾何学のトポスが生きていることが分かるが、子規や漱石が露伴と同じ慶応三年の生まれであり、へそ曲がり七人衆の話を誰かの本で読んだ記憶がある。
江戸時代に生まれて明治に活躍した日本人は、『四書五経』で大陸文明をマスターしたのに対して、明治生まれの日本人は「和魂洋才」と粉飾した。
だが、舶来技術の取り込みに熱中したとはいえ、芯棒になる古典を学ぶという点において、西洋の古典は翻訳中で東洋の古典は軽視していたから、結局は表面だけ輝くメッキで終わってしまったという。
この説は成るほどと思わせるだけの説得力を持っていて、現在ではマンガしか読めない男でも首相になれ、末世に似た状況を呈するに至ったのである。螺旋運動は良いほうに動けば素晴らしいが、逆周りになって動くととんでもないことになるのは、スワスチカの原理を始め色々とあって、回転運動が締まるか緩むかの問題になり、生命活動はこの締りと緩みの作用の現れ方だが、結局は『賢者のネジ』の問題に行き着くのだろう。

42千々松 健:2009/02/09(月) 13:25:53
「球」とそれに外接する「円柱」とその中にできる「円錐」との間には、ある関係が成り立つことは中学数学レベルですが、改めて見直してみました。
   体積比は  円柱:球:円錐=3:2:1
   表面積比は 円柱:球:円錐=3:2:Φ

 円に関する表面積の比率に「ラージファイ=Φ=黄金比≒1.618」が見られるのでした。
 元々「πとΦの関係」は深い仲なのですね。

ところで、この円錐については円錐螺旋がイメージされて、さらに「ヤコブの階段」の天から降りて来る螺旋階段に繋がり、やがてそれはクリスマスツリーの円錐型と上からグルグル垂らしたリボン飾りに到達しますが、一方では、露伴の蝸牛(カタツムリ)の殻の模様もイメージされます。
西周がフィロソフィーを「哲学」と訳したり、エンサイクロペディアを「百学連環」と訳したり、「五箇条の御誓文」の草稿を書いたらしいことや、「南方マンダラ」の南方熊楠も露伴と同じく慶応三年の生まれであることを「千夜千冊」の松岡氏のサイト等で今回知りました。

43石黒敏夫:2009/02/09(月) 17:17:36
DNAとか螺旋階段は円柱の周りにできた渦巻きですが、蝸牛とか巻貝はネジと同じ円錐を取り巻く渦巻きであり、これはネジ型で閉まったり緩んだりします。
そこで千々松さんの体積比の3:2:1において、中間の級に相当するものについて考えたら、地球を始め惑星の多くは球体をしているし、インドのヨガの本の人間の生態模型では、人体が球型として描いてあったのを思い出します。
インドで起こった仏教ではこの世のことを色というが、クは万という字を略したものだと言われ、この世が万の巴から成り立っていることは、多くの渦巻きという公案の解だと聞いています。
『間脳幻想』の中にあるミロのヴィナスのように、人体の比率には至る所にファイがあるわけで、要するに体積比と表面積比として人体には、ファイのデザインの衣装が纏い付いています。

44藤原肇:2009/02/10(火) 07:08:48
千々松さんが6で指摘した『宇宙巡礼』の対談相手の張錦春さんは、高等数学の名人でMacocaM(動態幾何学の精緻)を構想し、私のメタサイエンス思考に強烈なインパクトをもたらしたが、彼こそは『道徳経』の第47章が示している、「不出戸、以知天下、不窺見、以見天道。其出弥遠、其知弥少。是以聖人、不行而知、不見而名、不爲而成。」の人であった。
何しろ台湾から一歩も出たことがないのに、日本はおろか世界の古典名著を読破しており、特にライプニッツに関しての理解においては、驚くべき深さに達していただけでなく、張良の末裔として仙術をも身につけていたのである。
張さんについては『経世済民の新時代』の第六章に書いたが、彼は『宇宙巡礼』を日本語版から中文に翻訳したし、中文版の裏表紙の折り返しにある写真が示しているのは、彼が鉄棒で逆上がり回転をしている図である。
千々松さんが9)に引用した「円運動には究極のエネルギーの均衡が表現され、拡散運動が循環運動に転化するメカニズムが機能しているが、私の動態幾何学はそれを更に複雑化して多重的に関連させているので、そこに美しい生命力が見事に現れて来る」という言葉は凄い。
ある日のことだが張さんがこんな内容の発言をした後で、「私はそれを鉄棒で実践しています」と言ったのに対して、私か「どうやってそんなことが実践できるのか」と疑問を呈したら、「証明します」と見せてくれたのが鉄棒での回転である。
目の前でくるくると逆上がり回転を30度以上もやり、まるで人間の風車のように回る光景を目撃した私は、人間業を超えた行為のデモンストレーションに大ショックを受け、こんな偉才が読者としていることに対して感激したのである。

45千々松 健:2009/02/11(水) 08:10:48

20数年前に『千々松さん、あなたは「玉に毛あり」という言葉を知っていますか?』と電子計算機に詳しい渡辺茂先生に都立科学技術大学の学長室で質問されたことがありました。
もちろん私は知りませんでした。先生は単なる科学者ではなく、老荘思想に関心を示され、技術文化的な視点から万葉集の歌も分析したり、胎蔵界曼荼羅をコンピューターに類比されたり、その学問の幅の広さには感服しました。

卵が先かニワトリが先かの問題もありますが、順序と逆序という点からすれば、将来から現在を見る。あるいは現在から過去を見る。逆序の視点を忘れてはいけなかったのです。
その点で言えば、藤原博士の地質学は現在から過去を見なければならない「逆序の理」を働かせるフィールドであったわけですね。そして、それを磨けば、将来から現在を見ることも可能になるのでしょう。
今年こそ「フューチャーマネジメント」が大切になってくるのではないでしょうか。

46藤原肇:2009/02/11(水) 23:28:43
「玉にけあり」という言葉の連想で思い出すのは、張さんと円の接線について論じたときに、胎蔵界と金剛界の曼荼羅の構造が話題になり、スワスチカが「円に毛の生えた生命活動だ」として、それがエネルギー0の周辺に1が付きまとい、エネルギーを示すガウス座標のことだと納得したことを思い出す。
張さんの読書能力は実に驚くべきで超人的といえ、彼が読んだ本に詳細に付け加えた書き込みは、ページ数から引用記事を含めて絶大なものだった。彼からは膨大な数の手紙を受け取ったが、その多くは私の理解の限界を超えていてが、手元に残っているMacocaMに触れた手紙の文面には、次のように書いてあって誰かその意味を解説してくれるだろうか。
「・・・MacocaM数論では下記を補充すると完美せん。羅針盤を使う時に地南に置いた瞬間に、針は直ぐに真南を指さず左右に動揺数回後に定着する。その現象は地球がかつて反対廻りをしていたことを説明し、外に宇宙の「三体問題」を遭わずに起こる無限多体(原子爆弾破裂のあの複雑極まる微小多体の短時間の相互衝撃、ballの中心は空虚を立派に説明す。
車が角を曲がるときのU-turnであるが、まず前進速度の漸次減少・・それから0,それから返りのー、数論叙述では+1,・・0,・・−1.(今日でさえ数論は依然として未完成で、列に虚数や虚数群を巧妙系統していない。)ラグランジュの直線解では太陽系のorbital spin-off or back等のmeta-culvilenearを説明せんとすると、必ずや月は永久停止(即ち静態化されるのみ、宇宙論としては余りにもお粗末――永遠の満月)・・・)。
これに続いて英文の引用で三体問題について書いてあり、その後に「結局ニュートンは一体問題の範囲でさえ、culvilinearを考慮する智慧のゆとりがなかったので、straight lineの考慮にとどまった」とコメントし、「昔日、ある偉大な数学者が、数学理論の新構築は、あたかも偉大な名将が全軍、全艦隊を指揮して攻城、新国土の攻略に従事するのと全く同じで、Bold imagination, brain, braveを必要とする。その後には更に一連の後継行動と援軍を要す」と書いている。
一回の手紙の一割も紹介できなくて残念だし、時間がなかったので整理することが出来なかったので、残りの手紙はアメリカに置き去りにすることになるが、矢張り、張さんは張良の子孫ということだろう。

47横浜の教師:2009/02/12(木) 14:14:39
張さんが作った図面や書き込みのある本を見たときのショックは、余りにも凄くてガツンとくる強烈なものでしたが、鉄棒の回りで回転するなんて人間ワザとは思えません。
それこそ仙人の営みだと思うのですが、1人で1000人の仕事をこなしたということでしょうか。
1から1000まで自由自在に変わることができるのだし、数学者は数の秘術に長けていますから、最良の指揮官より数学者が優れているという考えに異議なし。
ユークリッドやデカルトが人類に与えた功績に較べたら、どんな名将軍の手柄も太陽の前のロウソクの灯に等しいと思います。

48藤原肇:2009/02/12(木) 16:55:29
ラグランジュと満月の関係についての話は荒俣宏の『帝都物語』の中にあり、それを読んだ時は平将門のことに関心を奪われ、江戸っ子の私にとっては神田明神の祭伸の将門が関心事だったせいで、三体問題に三角形が関係する程度のことしか理解せず、なぜラグランジュの方程式を登場させて、永遠の満月を論じているのか見当がつかなかった。
ただ、平将門を討ち取ったのが藤原秀郷であり、彼は平泉文化を築いた東北の藤原の宗主だし、若い頃に近江の瀬田の唐橋で大蛇に頼まれて、三上山の大百足を退治したことで有名だ。この百足は円錐形の山を七巻き半していたので、鉢巻よりも短いというオチになっているようだが、鉢巻は球(あるいは卵)の周囲を囲む渦巻きとすれば、円錐の渦巻きは球の渦巻きより劣位で、その間に円筒の渦巻きが位置していることは、射影幾何学からしても予想できるし、張さんの鉄棒を使った回転は円柱の周りの螺旋運動だ。
それにしても、天文幾何学を知っていたメソポタミアの古人にとって、永久に停止し続ける満月というアイディアは、どんな意味を持っていたのかが興味深い。
しかも、百足は鉄の別名で武士の宝の武器と争いを象徴し、竜宮は「金銀珊瑚綾錦」て平和な理想郷だから、ことによると「戦争と平和」のメタファーだったのかも知れない。
スワスチカ自体が回転方向によって逆になり、戦争を司る魔神のシンボルになるか平和の神になるかは、締まると緩むとのネジの回転と結びついているし、それはアドレナリンとドーパミンの関係と同じで、情動と理性の問題やミランダとクレデンダとして、文明と野生のいう具合の西洋的な二項対立と、インドで生まれたゼロがその間に入ることで、中庸で天地を総合する東洋の「ジャンケン」思想になり、それが目出度いトーレスの満月になりそうだ。

49藤原肇:2009/02/13(金) 07:33:30
その頃に『間脳幻想』の読者として珪水さんの接触があり、彼は修験をした北海道に住む晴明流の風水師だから、上京して締まると緩むについての秘儀を教えてくれたが、江戸っ子の私が知っておく必要があるといって、大手町にある平将門の首塚に案内してくれた。そして、現在の神殿は西向きだから人は西側から参拝しているが、これは間違いで南側にたって北の神殿に拝するのが、本来のやり方だと教えてくれたのである。
そして、寝るときも南北の方向に体を横たえることが、休養のための夜の過ごし方だからベッドを南北にして、そうやって寝ることが健康の秘訣だと示唆した。そういえば人間の血液には鉄が存在していて、これと磁性の関係は未だはっきり解明されていないが、鳥や魚の動きが磁性に支配されているのであり、大地の持つエネルギーである土地の気の正体は、磁場におけるホワイトホールとしてのツボだから、ことによると古代人は石を使ってストンサークルを構築し、そのエネルギーを満喫して讃えたが故に、神殿は地質学的に興味深い場所に立っていると考えていい。
また、神社が鎮守の森として大樹に囲まれるのは、天の気を受ける避雷針の意味があるのは確実であり、しかも注連縄には螺旋運動としての象徴性が秘められていて、出雲大社に行って圧倒的な注連縄を目撃したことで、渦巻きと螺旋への興味が果てしなく高まった。その頃に古神道の源流を求めて日本の神社を訪ね歩き、『パワースペース』に宇佐神宮の訪問記を書いたり、世界各地のペトログラフィの遺跡を訪れたが、ピラミッドを始めとして石を使った建造物には、興味深いことに黄金分割とパイが織り込まれているから、フィボナッチ数列の世界を満喫する上での天国であるといえた。


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