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回文と魔方陣との相関関係

1藤原肇:2006/10/08(日) 02:40:12
「賢者のネジ」の表紙に印刷されたアラブ文字が、絶大な魔力を秘めているらしいことについては、[「学問は光なり」と「賢者のネジ」の表紙にあるロゴの持つ秘力の意味]のスレットで論じた。
このロゴを何度も眺めていて思い出したのは、英国のローマ時代の遺跡から出土した一種の魔方陣で、五次元の文字の魔方陣と呼ばれるものに、よく似ているという相似関係についてだ。
最上段は左から右にSATORとあり、右の上から下に向けてROTASと来て、それが回文(palindrome)として続いていく。二段目にはAREPOがきて、四段目にはOPERAがくるので、それでこのロゴの再構築が出来る。
こうした回文は平安時代から伝わっていて、藤原隆信が作った和歌が有名であり、「白浪の高き音すら長浜は必ず遠き方のみならし」などがあって、これは藤原定家や藤原公任などの和歌を使った遊びに、当然につながっていると思う。
これは江戸時代には狂歌や狂句となり、「眺めしは野菊の茎の初めかな」と詠まれたし、その伝統は小泉時代の拝金主義の中で、「世の中ね顔かお金かなのよ」という具合に、回文は庶民が暇に任せて愛用している。
これもまた相似現象という観点からすれば、Hyporogicsの遊び編かもしれない。

9珪水:2006/10/18(水) 13:23:00
的外れでしたら失礼をいたしますが守護者様が扱われている数学は私がレッスンを受けた陰の数学のように思われます、私は今、生きて生活(ファミリーを養う・利益を得るために効率よく労働する・世間とかかわりを持つ・等など)をしていますのでもっぱら陽の数を扱い、陰の数を扱わなければ成らないときは専門家にお任せしております。

10『神の数学』守護者:2006/10/18(水) 23:59:59
さあ、約束した現代人の未だ求め得ない「究極の真理」の正体を戴いた数字回文の中から見つけてみることにしょう。数字回文の姿は全体的に最も整った美しく、これ以上の均整のとれたものはないと思う。左右対称形、それはすべての生命ある生物が取っている形であり、神を模した形とされているものである。要するに『神』とは左右対称の姿をとった完全無欠なものとされる事実、それを現在の人はいざ知らず、遠い昔の古代人は知っていたようである、何故なら昔の神の名前には左右対称の文字(シンメトリ−文字)を持った神様が大勢いるからである。例えば「天の御中主」の神、この天・中・主の文字には左右対称概念を見出すことが出来る、そしてこの左右対称には必ず中心基軸があり、基軸を中心点として左右に同じ形が延びているのである。我らの祖である古代人はこの中心軸にこそ偉大なる、ものの生成に必要な時間性と空間性が秘められすべてはここから始まり、両端に延び広がっていくことを知っていたのである。ここで言うものの生成点である中心軸とはすなわち、現在の宇宙物理学で言う時空の出発点、宇宙の始まった時点を指すものである。(左右対称な神の名‥中未分主大神、天一天柱主大神、天一美柱神、国萬主大神、天日豊本黄人皇主天皇見光神の上古天神達であり、その後の神は天御中主神、天の常立命、国の常立命、大国主の命、一言主の神等であり、そのあとの神は左右対称性が薄れてくるのである)、まことに相済まぬことに最初の目論見とは異なったものなってしまった、お許しの程を。
次回こそ数字回文の秘密を明かす事を約束したい。御免。

11『神の数学』守護者:2006/10/19(木) 23:39:39
さあ、今回こそ約束を果たし申そう、それには余計な口をきく事を抑えて最初に約束の品をお目通ししておくことにする。これらは表と図を用いれば甚だ簡単にお目見え出来るのであるが、なんせ文章のみで説明しなければならないので少々苦労する。まずは戴いた回文数字表の最後にある12345678987654321から始めてみよう。よく見て戴きたい、これは17という奇数から成り立っている鏡面数列である。そして直線という性質から右と左の2方向に力が及んでいるものである。ゆえに中心数は2ケと考え、中心数の9をダブらせて99と置くのである。すなわち数列は123456789987654321となる。後は数字がそれが正しいかどうかを全てにわたって教えてくれる、すなわち数が口をきくのである。中心軸を境にした対極数を加算していく、1+1=2、2+2=4、3+3=6、‥‥。すると次の答数字が並ぶ、2,4,6,8,10,12,14,16,18, これを一桁化する→ 246813579という正しい秩序を持った数が現れ、真ん中の数字を重複させる手法は正しいと言うことが証明されたのである。分からなければもう一度シッカリ紙と鉛筆を手に考えて、戴いた回文数列のすべてにわたり調べて欲しい。納得した方は次にHP「神の数学」・佐藤に記された「ひふみ‥方陣表(神の方陣)」に挑んで戴きたい、中心にある数字(1ケ)の計算は上下、左右の四方が方陣の性であり、方向性であることから4回だぶって計算する、例えば中心のセルの数が2ならば、2+2+2+2=8と置くのでる。おっと忘れた、すべての回、すなわち枠を取り出して中の数字を加算するのである。驚くべき整数比が現れるはずである。真実証として今度は、それぞれの回、枠にあるセル(小四角枠)を加算してその比を出して欲しい、驚くべき事にその二つはすべて同じ比を持つのである。それは『神の方陣』のすべて、百、千、万、宇宙大にわたって同じ構造をもっているのであり、世界の誰一人として知らない『神の秘密』であり、「宇宙普遍の知」である。長くなった、申し訳ない。

12『神の数学』守護者:2006/10/22(日) 23:57:20
9>珪水様お久しぶりです。皆様が音無しの構えに入ったのは懸命に「数の道」を確めているからだと思います。その間に貴方様と指しで内緒話をしましょう、今このブログで皆さんと検討中の回文などに見られる「鏡面対称性」についての現実的な現われ、すなわち日常的にそれがどのような影響を持っているのかですが、貴方様のように風水を日々の生業(なりわい)としている方にはピンと来るものがおありでしょう。私が強く思い出すのはかねがね祖母が写真を三人で撮ってはいけない、何故ならその真ん中にいる者は若死にするから」と言っていたことです。それは私が11>で申し上げた「奇数の場合、中心にはダブルの力が働く」が大いに関係しているのではないかと懸念されます。如何でしょう、何か同じような事例はありませんでしょうか。もう一つ、「鏡面対称」の姿こそ神の加護を持つ姿であり、神の写しであると申し上げた事についてです。つくづく世の中を見ると、威勢のいい企業は何となくシンメトリックな名前を持っているのはなぜであろうか。自動車企業では「豊田(TOYOTA)」、「本田(HONDA)」、「三菱(MITUBISHI)」、松田(MATUDA)、日産(NITUSAN)、大発(DAIHATU)、
富士重工(SUBARU)等で、何となく直観的にシンメトリ−な文字が多いほうが業績がいいような気がするのですが、いや馬鹿な妄想かも、お笑い下さい。
弟子E様はお元気ですか、不明なところは遠慮なく尋ねるようにおっしゃって下さい。

13坂本:2006/10/25(水) 10:20:30
安倍晋三が書いたと称す「美しい日本へ」という本が、統一教会の久保木修巳元会長が書いて出版した「美しい国・日本の使命」の引き写しだったことは、安倍が自分の言葉も思想も持ち合わせていない証拠である。
安倍が自民党総裁に選ばれた背景にあったものは、この本が宣伝用に大量にばら撒かれたからであり、それを出版元の文芸春秋の担当者が演出したのだと言われている。
これは日本の首相が統一教会に操られて安倍はその傀儡に過ぎないということだ。こんな政治家に日本の政治の舵取りを任せて国民が何も言わないでいるのは、何とも情けないことだと思わずにはいられないことだ。
安倍のゴーストライターがが本の題に使っている「美しい日本」は逆さまから読むと、おぞましいことに「憎いし苦痛」になるということが指摘されている。
そうなれば、日本と国の組み合わせを考えて日本を国で置き換えて「うつくしいくにへにくいしくつう」と回文の形にすれば、日本が消え去って奇妙な国という文字に化けてしまい、統一教会の呪いの文句が現れてくるという次第だ。
安倍の背後にいるのが霊感商法でカルト集団の統一教会だと言うにしろ、安倍内閣の登場にこんな呪いが懸かっているとするならば、何とも不吉で恐ろしいことだといえそうだ。

14藤原肇:2006/10/31(火) 06:27:33
ヒロイエさんに書名を教えてもらったおかげで、中野さんが書いた本が見つかって読み直しました。どうも有り難うございます。書名が余りにも品のない言葉を含んでいたので、書棚に並べるには抵抗を感じたために、カバーを裏返しにしたので見つけにくくなり、本が行方不明の状態になりましたが、書名を教えてもらったので探し出せました。
人に知られると恥ずかしいような本の場合に、カバーのひっくり返しや雑本の山の中に積み重ね、それが行方不明の原因になることが多く、中野さんのこの本や上野千鶴子の本などが、卑猥な感じの本と共に書棚から姿を消すのです。
それはともかくとして、中野さんの本で回文の所を読み直してガッカリしました。文章としての回文は戯作趣味に属しており、戯言や呪いと言う特殊な目的をのぞいて、大して意味がないように感じた次第です。
数字における循環数や魔方陣の場合は意味があり、なぜかを考えるだけの価値があるけれど、言葉の遊びとしての回文は次元が低いので、時間を費やす価値がないという感じが強烈です。それに気づかずにスレッドを立てたのは、申し訳がなかったと痛感し謝りたいと思います。

15珪水:2006/11/01(水) 11:42:39
12に関して、主観ですが守護者様の数のアプローチの仕方と私のアプローチの仕方の相違点ですが、例えばギリシャ人は大地と天は初めから存在しているものだったのですが、ヘブライ人によると終わりのない夜の暗闇の中で、神が「あらしめよ」と発した一言から、天と大地が生まれたことになっている(ナポレオンと言語学者より)いろいろ考え方があります。(1)私は古代においては〇と言う数字は使いません、ですから9は0ではなく1にします。守護者様は何を持って古典の9を0になさるのか?(2)宗教、占術の世界では陰の数字・寸法(回転といいますか?元のところに戻る?)を多用しますが私の生活の中では夜しか使いません、守護者様の数学というか数のくくり方は陰を扱うくくり方のように思います、陽を連れて来なければバランスしない(解りやすく言うとお金の縁が希薄になる)と思われますがどうなのでしょう?私は昼は5を使い夜は6を使い9は布団に入り1に成ります、私が気体にならない限り0ではなく1です。私という物体が9即ち1です。又、易占の類を為されている方は(能力のある方に限って)大変なご苦労を為されております。私が思うに陽を扱わないからと推測されます。

16『神の数学』守護者:2006/11/02(木) 23:30:33
14>の中で藤原様のおっしゃった「数字における循環数や魔方陣は意味があり、考えるだけの価値がある」との言葉はまことに我が意を得たもので、大変有難いお言葉です。戴いた数字回文について誰かがその真実を解き明かし、花を添えてくださるものと期待していたのですが、未だその兆候は見えません。誰も鉛筆と紙を手に謎解きに挑んだ方はいないと言うことですか、残念です。今からでも遅くありません、大変簡単なもの、恐らく小学生並みの知力で十分に解ける現代数学手法で事足りるものです。試みて下さい。

17藤原肇:2006/11/08(水) 14:31:08
回文についての考察として始まった議論において、数字に関連した回文には意味が発見できるという点に関しては、ポアンカレの名著の「科学と方法」(岩波文庫)のなかの記述に、その本質を告げる文章があるので引用します。
「・・・それは異なった部分の間の調和、対称、均斉、換言すれば細目が秩序ある統一的全体として、観取することを得しめるもの、かかるもの総てが優美の感を起こさずにはおかないのである」。

18『神の数学』守護者:2006/11/08(水) 23:40:52
16>では持ってまわった言い方をしてしまい申しわけない、藤原様から援護的な発言を戴いたので戴いた回文数字に潜む「大いなる秘密」を見てみることにしょう。まことに戯児の遊びであるような簡単なものではあるが、どっこいそこには驚天動地の物語があるのである。若しこの回文数列が西洋の学者、もしくは数理家が見出したものなら、恐らくとうに答は割れているであろう、しかし日本人の手になるものであればまだ気がつかないであろう、何故なら彼等はおおらかで、最後の局面までは追求しないからである。

[不思議解法(1)]、

原数列のΣ(総加数)を求める。
①0(Σ)=0=0×0=0²
②1(Σ)=1=1×1=1²
③121(Σ)=4=2×2=2²
④12321(Σ)=9=3×3=3²
⑤1234321(Σ)=16=4×4=4²
⑥123454321(Σ)=25=2×2=5²
⑦12345654321(Σ)=36=6×6=6²
⑧1234567654321(Σ)=49=7×7=7²
⑨123456787654321(Σ)=64=8×8=8²
⑩12345678987654321(Σ)=81=2×2=9²

要するにこの回文数列は宇宙物理学で言う「テンソル図(次元図)」の形を描いている数字碑文である。要するに縦×横の正方形の図である。次回は「それは異なった部分の間の調和、対称、均斉、換言すれば細目が秩序ある統一的全体をなす事が分かる」との藤原様の発言あやかり、それを証明したい。まずはこれを[不思議解法(1)]として次回に繋ぐことにしたい。

19『神の数学』守護者:2006/11/09(木) 22:51:48
7>の瀬川様、少々教えて戴きたい、そこに「ホロコスミック」とありましたがその意味がどうしても判らない、何となく宇宙的な響きがあるように思えて、大変気にかかる言葉です。色々な辞典、英英辞典まで引っ張り出して調べたのですが皆目不明です、ここに万端窮まり教えを乞う次第です。

20亀山信夫:2006/11/10(金) 04:31:41
『神の数学』守護者様


ホームページ【宇宙巡礼】を管理している亀山です。いつも貴重な投稿を有り難うございます。

さて、お問い合わせの「ホロコスミック」ですが、その由来は『間脳幻想』の77ページにあるアーサー・ケストラーの「ホロニック構造」(有機的ヒエラルキー)になると思います。そして、「ホロコスミック」そのもののについては、『宇宙巡礼』(藤原肇著 東明社)の49ページをご覧下さい。そこにありますように、「ホロコスミック」は宇宙の上の次元である宇宙システム、さらには「空」の次元までもが示しています。また、「ホロコスミック」は、同書の63ページにあるメビウスの帯(エッシャー原図)と深く関連していますので、再度『宇宙巡礼』全体に目を通していただければ幸いです。その上で『神の数学』守護者様の「ホロコスミック」についてのご感想をお聞かせいただければ有り難く思います。宜しくお願い致します。


ホームページ【宇宙巡礼】管理人・亀山信夫

21瀬川:2006/11/10(金) 19:51:52
『神の数学』守護者様

「ホロコスミックス図表」は、宇宙巡礼トップページの図表を開くと掲載されております。
とても刺激的な図表です。私が「回文」と書いたのは、「空」から影を通って点に結びつけているところが、回文の発想だと思ったからです。
影の部分では、時間や空間が逆転しているのだと思うのですが、また点に結びつけているアイデアは、まさに間脳の生み出した幻想だと思いました。
『神の数学』守護者様の数学も「0から∞への数の拡散」ではなくて、「0からまた0にもどる数の循環」のアイデアがどことなく回文を思わせました。

22『神の数学』守護者:2006/11/10(金) 23:38:07
亀山様、瀬川様、諸処の御説明有難う御座いました。確かに「宇宙巡礼」のトップ挿絵にありました、私も一通りは読んだのですが。何せ70歳を過ぎると小さな文字までは気が届かないので大変失礼いたしました。図は確かに空(0)から始まり、宇宙の上に所在する宇宙システムが0の本質を持つので0で終了し再び空に還っている事を表すものと思います。しかし残念ながら、何故宇宙システムが空であり、0であるかの説明がなされていません。要するにそのあたりはめいめいで考えて欲しいと言っているのでしょう。答を出したくてもそれがまだ出ない、現段階の科学ではその理論がまだ出ていない、悲しい人類の未完思考による作品にとどまっているものと思います。いや、考えによっては、それぞれ個人が気ままな空想の夢を膨らませ、自由に楽しく描けるものだからそれでいいのかも知れません。

23『神の数学』守護者:2006/11/12(日) 00:05:31
再び、続けての登場となり、辟易しているかもしれません、でも大いに議論、討論をすすめ、戦わせてこそ本当のブログの意味が発揮されるのではないでしょうか。さて、瀬川様に申し上げます、本題になっている数字回文の示す次元回路、すなわち 0²,1²2²,3²,4²,‥‥の持つ数答はまさに「宇宙巡礼」のホロコスミックそのものであることに気がつかれたでしょうか。姿は変われど内容はまさに同じものなのです。その上、この数字答は貴方様の言うところの「0から始まり再び0に還る宇宙自然万物の循環態」を表しているものです。ではそれをついでに掲げて置く事にしましょう。

[不思議解法(2)]、

原数列の�堯 。亜ぃ院■粥■后■隠供■横機■械供■苅后■僑粥■牽韻魄豬絏修靴泙后△垢襪伐爾里茲Δ焚麒舷怵鵝紛戚命怵鵝砲ⅳ修譴泙后�

0 1 4 9 7 7 9 4 1 9 の数列です。これを(0=9)を用いますと見事な意味のある0 1 4 0 7 7 0 4 1 0が現れて来ます、これが0〜0に還る自然次元回路の姿です。今度はこの数列が正しいものか否かを検証してみましょう。
各右の数から左の数を減算してください、するとそこには135702468の純然たる秩序を持った数列が現れます、これが正しいという証拠です。何故ならばこれは宇宙諸原則を描き出している「宇宙原理次元表(ひふみ‥九九算)にある数列だからです。ではまた[不思議解法(3)]で原数列の次元的回路を示す姿そのものをお見せしましょう。ご期待下さい。
(なお、18>の⑩の答2×2は9×9の間違いです、訂正してください)

24瀬川:2006/11/12(日) 13:55:48
神の数学守護者様
私は、10進法に慣れ親しんできたので、9進法については今一つ理解ができません。また、数学的才能もないので、守護者様のホームページを覗いてもわからないことだらけです。宇宙原理次元表(ひふみ・・九九算)の数列が「神の数学」とのことですが、今後、徐々に謎解きを進めてくださるようですので楽しみにしております。
藤原先生の対論集「賢者のネジ」(たまいらぼ出版)では、「ガイヤ(地球)の恵みと生命力の根元」で、「般若心経の読経を聞いてメビウスの輪が閃き、ホロコスミックスが統一の場の理論だとわかり、大発見だと思わず飛び上がった。」という藤原先生に対して、佐藤住職が「読経によって閃いてわかったということは、言葉の持つ波動性の威力のせいでであり、『言霊』のおかげだと思う。」と応じています。
賢者同士の対論は、すばらしいですね。
他力本願というわけではありませんが、藤原先生の「独創力」のほんのひとかけらでも私にこぼれてこないかなと、たびたび宇宙巡礼の掲示板を訪問している次第です。

25『神の数学』守護者:2006/11/13(月) 00:00:59
24>瀬川様、コメント有難うございました。この「ひふみ‥九九算」とは別に目新しいものではなく、子供でも知っている九九算を古神道の祝詞「ひふみ‥天地の歌」の示す通りに10進法の数字を一桁に変えただけのものです。(なあに、神は人間に秘密を盗まれることを嫌って十進法を与えて複雑にし、秘密がばれないようにしただけです。旧約聖書にある話、人間は知恵の木の実をたべてはいけないと言ったと同じことです。その証拠に十進法の数字を一桁にするだけで神の秘密などはいくらでも見出せるからです――ハハハ、これは私の密かに思っていること}。貴方様の言っていた「メビュスの環」もこの「ひふみ‥九九算」の中にありますよ、大変面白いものです、探して見て下さい。要するに表と裏の逆転現象とその表れです。おそらくそれは21>で仰っていた時間や空間が逆転現象のことですし、また世俗の言葉で言えば「あの世」と「この世」、又は先端物理学の「超ひも理論」で言う「実の世界」と「影の世界」と同じものでしょう。

26『神の数学』守護者:2006/11/16(木) 00:22:07
再々の登場でご迷惑の段、平にご容赦のほどを、なんせ頭の中にあるものを早く吐き出さなければ次に進めないもので。さあ、約束のものを展開しょう。
図にすれば一発で納まるのであるが言葉の説明では果たして無事了解に漕ぎ着けるのかそのあたりが少々心配でもある。

[不思議解法(3)]、原題の数字回文は次元回路の道標である。

まずは0²、1² 2² 3² 4²‥の次元図を紙の上に書いていただく、すると四角マス(セル)の数が1ヶ、4ヶ、9ヶ、16ヶ‥‥を持つ「方陣図」が姿をみせる。その各次元図(方陣図)にあるセルのすべてを対角線的な目で見て、そのセルの数を対角線的に加算するのである。すなわち、1次元図は―1、2次元図―121、3次元図―12321、4次元図―1234321、以下同様な作業により原題の回文が一つづつ姿を現すことになるはず。それはすなわち、次元図(方陣図)は斜めに解くことにより「神の秘密」を手に入れることが出来るとの啓示そのものである。出来れば頭で理解するのではなく、鉛筆と紙を持って図を作って理解して戴きたい、要するに心と体で理解する、己の魂で理解して欲しいと言うことである。すべてがそうである。例えばHP「神の数学」でも読んだだけでは判るものではない、なんせ、歴史上の智者達が数千年かけても解く事が叶わず、ただいたずらに空白な時を送ってきたものだからである。紙と鉛筆を手から離さず、自分で数を括り付けてその理、あるいは他との関連を吐き出させる事が肝心なのである。言葉を眺め、数を見つめていただけでは決して埒の明くものではない、ただ数に馬鹿にされ、嘲笑されるだけである。

27『神の数学』守護者:2006/11/18(土) 00:03:56
[不思議解法(4)]、原題の続き、その真実を求めて。

まったく反応が無い、ただ静まり返っているだけである、如何したことであろうか、恐らく無明の闇に飲み込まれて動きたくても動けない、どうしていいのか分からないのか。それとも斜めに解く事により「神の秘密」が現れるなどいい加減な事で誤魔化そうとしている等の疑心暗鬼に騙られて、発言するのも馬鹿馬鹿しいとのご宣託なのであろうか。
では一つ私の言葉を確めてみようではないか、HP「神の数学」にある宇宙次元原理(ひふみ‥九九算)<みどりの部>を紙に写して戴きたい。そこで斜めの視線、すなわち対角線に平行な状態ですべてのマスの数を加算していただく、要するに26>の数字回文を斜めに解く要領で数字を加算するのである。そして答の数字を一桁化してその順に数字を並べるのである。その上で『神の数学』で用いている減算(右の数から左の数を引く)を施すのである。そこには明らかな鏡面対称数列が現れ、そして何事かを囁くはずである。右上がりの対角線に平行なもの、左上がりの対角線に平行なもの、その二つを見出ししっかり考えて戴きたい。貴方は世界の誰も知らない「神の秘密」を覗き、それを自分のものにしょうとしているのである。少しぐらいは自分でも頑張り、求めなければ。発奮とご健闘を祈る。
関心があるがどうしても解けない、しかし答が欲しい、その方は資料(宇宙次元原理表○秘原図No15)を請求して欲しい。但し返信切手代くらいは礼儀として同封することを望む。

28松本英樹:2006/11/24(金) 07:59:36
『神の数学』守護者様
ご無沙汰しております。
26>「次元図(方陣図)は斜めに解く」に反応しての投稿になります。

数に秘められた「神の秘密」には到底行き着く力はないのですが、対角線を中心に
据える考え方に「黄金分割フレーム解析法」にも通じる考え方だなとの印象を持ちました。
□◇のワンセット、45度の回転√2、大きさを変えるだけで宇宙次元へと誘う。
私の場合、囲碁の魔方陣からヒントを得たようなもので遊び感覚ですが(笑)

数秘学には疎く、誠に初歩的な質問なのですが、数字の一桁化の原理がよく理解できません。
生年月日による占いでも用いているようですが、原理そのものが神秘なのだ言われても腑に落ちない
気分で過ごして参りました。この機会に是非ご教示願えませんでしょうか。

29『神の数学』守護者:2006/11/24(金) 23:56:14
松本様、お久しぶりです。お元気で何よりです。一番単純で、最も難しい問題をグサリと出してきましたね。要するに「数の走り」と言うものの基本概念の見方の違いです。
≪説明〔1〕≫ あなた方の世界では数とは1から始まり234と一直線に数を走らせ、無限を目指します、大きい事はいい事だ、大を目指してさあ走れ、すなわち欲望を第一にした世界「直線世界」(物質世界)です。それに対して、私の世界は数は目盛は9までしかない時計の中の世界(閉じた世界)、しなわち「循環世界」(意識世界)です。ですから数字は0から9までしかありません。ここは簡単なのですが、よく考えて下さい、時計の1の位置から始まって最高数字9を最終位置、時計の12時の所に置きます。さあ、1から始めて最後の位置数9までをカバ−して下さい、123456789ですね、問題はありませんね、これが貴方がたの世界の知であり、その常識です。でも私の世界ではそれは間違いです、なぜなら、この場合肝心な9から1にかけてのエリアはカバ−していません、その部分がまったく欠けて無いのです。ですからその点を補正する為には(0=9)を置き、0から始まり123‥‥789とつながらなければなりません。まことに簡単な自然の姿であり、原子をはじめ自然のすべてはその姿をもっています。
要するに同じ場(点)でも始まる時、出発点では0であるが戻ってきた時は9の姿になるのです。貴方は外出する時自宅から出て自宅に戻ります、それが循環です。でも「現代数学」では1と言う自宅以外の外部から出て自宅にもどるのです、すなわち自宅から外部1までの区間が省略されているのです。だから私は「現代数学」の基本には欠陥があると言っているのです。蛇足ですが欧米の先端数学者グル−プのブルバキと言う集団も「自然数は0から始めるべきである」と主張しています。ちなみに現代数学の自然数の定義は12345‥で0はありません。「1から9までの世界」とは何事ぞ、信じられないと言う方はコンピュタ−を見て下さい、そこは「0と1の世界」です。「1から9までの世界」よりもまだ簡素化した早い世界をあなた方は容認しているではありませんか。また次回に。

30松本英樹:2006/11/25(土) 07:54:15
『神の数学』守護者様、早速のお応え有難うございます。
なるほど「数の走り」2進法、10進法、9進法の基本概念の相違でしたか。
9進法は(0と9)が消えたり出たりで戸惑いますね。了解しました。

囲碁の魔方陣も「天元八方位」(四隅・四辺・天元)、天の源から出たり消えたり
しますから似たようなものかもしれませんね。(笑)
無限界(意識)を有限界(物質)に閉じ込ませているのですから。
ちなみに無理数(Φ)を有限界に閉じ込めたのが黄金分割フレームです。

私のような初心者に対して、丁寧なご回答、重ねて感謝致します。

31松本英樹:2006/11/28(火) 06:34:36
30>補足
「正方形(方陣)の対角線(√2)を基準に読み解く神の道」には共感するものがあります。

斜めに半分にすると(1:1:√2)、これを直角三角形の転がし運動で導けば
(√Φ)数列。√の中身は1:1:2:3:5:8:13:21:34:55・・

Φ数列の代表格はフィボナッチ数列ですが、無理数を有限界に閉じ込めるという概念を取り込めば
(√Φ)数列は無数に存在します。(図形に無理数を書く事は不可能なことですが円も描く事だし)
整数領域は稀少な存在で、フィボナッチ数列がいとおしく思えるほどです。

例えば直角三角形の転がし運動で生じる(√3:√4:√7:√11:√18:√29:√47・)
も√Φ数列になりますが、√ルートを外した中の(整数の)数列もΦ数列になります。
直角三角形の適当な数字を当てはめてもかまいません。外面に囚われず中身を見ましょうという
ことですね(笑)

直角三角形の三辺で構成される(三位一体の思想)が「神聖なるルート(道)」
と呼べるのかもしれませんし、その姿は黄金率螺旋として現わす事でしょう。

32松本英樹:2006/11/30(木) 09:17:52
>31では、直角三角形という二次元の世界で切り取った姿を表現しましたが、
回転運動を加味すると三次元の姿になろうかと思います。

12進法・9進法は(4:3)の関係と考えれば(それぞれ対立するものでなく)
球体の体積(4/3×πr^3)とΦと√2の要素からなる宇宙の姿を解き明かすのかも
しれませんね。(9=0、0の始め)は、そんな想像を掻き立てられます。

「πとΦ」の仲を取り持つ天使(キューピット)
(6/5×Φ=π)は古代エジプトの尺度①キュービットから導く事ができます。
※5キュービット=Φの2乗(2、618)、6キュービット=π(3,1416)

古代人がそれを(五芒星)(六芒星)の図形で残し、伝承させたように(4:3)
も・・すこし妄想が過ぎたかな(笑)失礼しました。

33松本英樹:2006/11/30(木) 09:29:22
>32訂正です。
×(6/5×Φ=π)
○(6/5×Φの2乗=π)
∴1,2×2,618=3,1416
①キュービットはメートル換算で0,5236mとしています。

34『神の数学』守護者:2006/11/30(木) 10:34:02
松本様、色々とご指導戴いていますが、到底私の知では歯が立ちそうにもありません。恐らくこれから徐々に説明し合い、歩み寄りながら真実を摑まえていくことになると思います。
31>で述べておられた「斜めに半分にすると(1:1:√2)、これを直角三角形の転がし運動で導けば(√Φ)数列。√の中身は1:1:2:3:5:8:13:21:34:55・・に向かう」とフィボナッチ数列の出現を正方形の対角線に求めていましたが、これは偉大なる数学上の発見と思います。今までの数学者は数学上の発見としては、①「フィボナッチ数列はパスカルの三角形が生み出したもの」、②「フィボナッチ数列において隣との比が黄金比とされるφ(ファイ)を生み出す」とあるだけで正方形の対角線うんぬんに触れたものは無いと思います。(但し、私の狭い知識の範囲内の見解です)では次回あたりでフィボナッチ数列を『神の数学』手法で解けば何が現れるか試してみたいと思います。

35松本英樹:2006/11/30(木) 16:55:17
『神の数学』守護者様、直角三角形の転がし運動には前提条件がありまして、この
前提条件を数学的に証明されなければ「数学上の発見」とはならないと思います。
パズル遊びの範疇で気楽に楽しめますが・・しかし、このことが数学的証明のヒント
になるとしたならば幸いなことです。

36『神の数学』守護者:2006/12/03(日) 00:34:01
「フィボナッチ数列」、これはその数と隣の数を足すとその次の数が現れる、そのようにしていくと何処までも数列は延びていく、これは面白いと一応数学者達の目をひいたのであるが、その後800年以上の数学史の間には何も新しい発見が無く、単なる語り草になって数学上の玩具と化している感じである。だから今でも好事者達の好奇心の対象になって時々姿を現すものであろう。この数列は今でも数学の本、数学の歴史書には必ず取り上げられているようであるが、何のことは無いただ誰にも分からないから面白半分に載せているだけのように思える。
数学者達が「その数と隣の数を足すとその次の数が現れる」ことを見出し、どんどん後ろに延ばしたなら、では私はその現実にある「フィボナッチ数列」の最初の数、すなわち1の前のある「隠されている数」を見出し、どんどん前方に展ばして見た、要するに「無いもの」、「虚の数」をである、当然『神の数学』の手法を用いてである。するとそこには‥‥‥1,5,6,2,8,1,0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55‥‥‥が見出されたのである。当然、そこにある1562810は「虚界」の数である。疑いの方はこれらの数を調べるがよい、「フィボナッチ数列」の条件を満たすものである。(但し『神の数学』の定理9=0を用いる)
しかし何も真理的なものは見出す事は出来なく、落胆した事を伝えておきたい。

37松本英樹:2006/12/03(日) 09:15:48
『神の数学』守護者様。そうですか、鏡面対称のような真理的現象は現れませんでしたか。

小生は「フィボナッチ数列」そのものは古代の知識の「再発見」ではないだろうか、
その源流はエジプト・ピラミッドまで遡るのではないだろうか?と推察しております。
何故なら(1:√Φ:Φ)そのものがピラミッド本体だからです。
ピラミッドに含まれる要素○十◇のうち⊿は4分の1にしかすぎませんが、直角三角形の
転がし運動から「フィボナッチ数列」を導くように、まだまだ他の真理的謎が含まれている
気がしてなりません。⊿も4つの働きが一つになって(左回り、右回り等)真理的現象が
現れてくるのかもしれませんね。これも妄想ですが(笑)

38:2006/12/03(日) 13:58:08
昨日出張から戻り大雪に閉口しております。久しぶりに投稿を見させて頂きましたら一つ気になりました、黄金率は真理です、見出す事が出来なかっただけでしょう。少しでも理解が出来れば劇的に生活が変化をするでしょう(一般に言う地位・名誉・財産・健康等など思いのままでしょう)私がなぜ「間脳幻想」をひょっとしたら著者以上に読み込んだかを?

39珪水:2006/12/03(日) 15:05:08
人間は道具を使いこなせるからこの地上で優位性があるのです、例えば箸があっても使い方が解らなければ食事をするのに不便を感じるように黄金率も意味が解らなければ唯の数字です、箸の場合は使い方を知らなければ薪にもならずゴミでしょう。

40松本英樹:2006/12/03(日) 17:11:25
>39珪水様。ご無沙汰しております。
どちらの投稿に対してのコメントか存じませんが、一連の投稿に対してと思いレスを
つけさせて頂きます。
黄金率の意味も今だ判らない身ですので、少しパズル遊びが過ぎた投稿でしたね。
まあ、「人間は考える箸」ということでご容赦ください(冗句)ゴミれすでした。

41珪水:2006/12/03(日) 18:11:01
謎解きをしている時は本を手にしたのが良かったのか悪かったのか?よく考えましたが。今の私があるのは10数年前に手に入れた「間脳幻想」の本が経済と健康に多大な影響を頂きました、すべては理解できておりませんがファイのルートは経済に、ファイは健康(若返り)にツールとしてありがたく使用をさせて頂いております、これを遺して下さった先人に、またフィボナッチ数列と紹介された著者に(間脳幻想)言葉にならないほどの想いがあります。ファイを道具として使えるまでに10年程かかりましたが占術(ニュートン力学・電磁場、地磁気・象学の世界)を躾されておりましたのでなんとかチョットだけでも理解ができたのでは?と思っております。それでも10数年寝ても覚めても間脳幻想をそばに置きコンパスと分度器・三角定規、幾何学の膨大な参考書を読み漁り仕事もせず世間に変人と思われながら・・・・・本を手にしたときは「あとがき」だけを読み捨てようと思っておりましたがなぜか全部読んでしまい宇宙を考えてしまった、それが2年3年と手をつけすぎましたので途中でやめれなくなり何がなんでも何か役に立つものを持ち帰らなければ世間で言うように本当の変人というか異常者と思われ人生を生きるのだけは避けたかったのでしつこく謎解きをしましたが特に役に立った参考書はゲーテのファウスト(ゲーテはΦを理解しております、人類の数少ない真理の人と確信をしております)ですが、これを何冊も読み(訳者が変わると微妙なニュアンスが変わりますので)「魔女の九九」を解いてからΦの意味が解るようになって変わった人(世間一般の人達の生活には程遠い生活をしており)には見られても異常者には見られなくなりました。順調に生活をさせて頂いております。

42松本英樹:2006/12/03(日) 19:10:16
>41珪水様。
そうですか、其の節はいろいろとご教示頂きありがとう御座いました。
当方もその後恙無く過ごしております。

宇宙巡礼の旅は果てしなく。

43『神の数学』守護者:2006/12/03(日) 23:56:29
36>に記した「フィボナッチ数列」の持つ『虚の数列』について申し上げておきたい。数学者でさえ存在を知らない『虚の数列』の出し方をここに明記したほうがよさそうである、それは何も難しくはなく、大変易しいものである。恐らく小、中学生並みの頭脳で十分こと足り、10分もあれば正解が得られるはずである。どういう訳か、従来の学者達は物事を難しく考え、複雑にして挙句の果てにはお蔵入りさせて有り難がっているようである。それは歴史が証明している。「フィボナッチ数列」、「黄金比」などもその類かもしれない。何故ならそれらを巡って後代の者達が甚だ難渋しているからである。「フィボナッチ数列」は800年前、「黄金比」はおよそ2500年前のピタゴラス時代の産物である。考えて見れば、今我々の用いている現代数学は「ユ−クリット数学(幾何学)」と呼ばれているものである。その名ユ−クリットは今から2300年前に存在した数学者である。なんと我々は2300年以前の古代人(日本で言えば縄文時代の人々)の編み出した数学手法を用いて「現代文明」を築き上げてきたのである。それでいて古代人達は知を持たなかった愚かな存在と侮蔑し、自分達の優位性を主張する不思議さは一体なんであろう。考えると、西に「ユ−クリット数学」があれば東には『神の数学』在ったとしても何ら不思議はない、何故なら『神の数学』は三千年を誇る「古神道」から現れてきたものだからである。それとも日本民族は西洋民族に比べて知的に数段劣っていると思いたいのであろうか、今の民族間の知の情勢あたりから見てもとてもそうとは思えない。いかがであろうか。さて大分脱線したようで申し訳ない、『虚の数列』の出し方は次回に延期したい。

44『神の数学』守護者:2006/12/04(月) 23:56:46
どなたからかの反応(質疑、補助説明要求、反対意見)があり、議論は白熱化すると思ったのに何も無い、少々淋しい。一般的な話から始めよう、F数列(フィボナッチ数列)と黄金比(Φ)の関係とはすなわち、F数列におけるある数とその次の数の比の関係から始まるのである。例えば1/1=1、2/1=2、3/2=1,5、5/3=1,66666‥、13/8=1,625、21/13=1,61538‥、‥‥と続き、最終的には1,6180‥にどんどん近づいていくのである。要するにこの最終点1,6180‥が黄金比(Φ)なのである、この二つの数学要素は大きくつながっていたのである。もう一つ別な面で見てみよう、F数列はどんどん大きくなり無限大に発散する。一方、黄金比(Φ)はある一点を目指しそこに収斂されていく、しかもその一点と無限大は関係あるはずのものである。それを求めて大勢の学者達は挫折を繰り返しているのである。そこには私のようなチンケな学者もどきの入る隙間はまったく無いのである。そこで学者達の思いも寄らぬ簡単で、奇想天外な方法を持ってF数列を一刀両断にしてみたのである。要するに彼ら学者達が隣の数字を加算して次の数を求めるなら、私はそれぞれの隣の数字を減算することによりその前の数字が出ることを逆に利用してやろうと考えたのである。それにより最初の数字のその前にあるはずの数字を次から次へと引っ張り出せるはずと思い引っ張りだしたのが36>にある「虚界の数字」‥‥1562810なのである。別にこれは頭で考え出した数ではなく、簡単な計算がもたらした数字答である。さあ、ここまでヒントを出したのであるからそれぞれ諸君の手で計算をし、結果を発表していただきたい。この方法は先端物理学では「S行列式」と呼ばれ「見えないものを見る」手法である。要するに数字の滑らかな関係を利用し、その先にある「無いもの」を見ようとするものである。正しい計算方法と答は諸氏が求めるなら、いずれ出すつもりである。

45松本英樹:2006/12/05(火) 08:03:38
『神の数学』守護者様。
>36において、フィボナッチ数列(Φ数列)に鏡面対称の原理を見出せず、落胆されたと
述べておられますが、私はその鏡面対称なるものをφ(0,618)数列に求めます。
φ(0,618)×Φ(1,618)=1
0←φのn乗 ・ Φのn乗→∞ 
両者は別々に存在するように見えるが、実は同時進行している。といった世界観です。
富める者あるところ、貧しき者の上に成り立つ。一方が巨大になれば反作用が働く。
一番しっくりするのは「孫悟空とお釈迦さまの掌」のお話ですね。
自信家の孫悟空が意気揚揚と引き上げてきたが、実は、お釈迦様の手の指にイタズラ書きを
していただけだった。というオチは最高傑作だと思っております。
これは(0と1と∞)の世界を現わしていることでもあり、私は大好きです。

虚数の世界観は到底私のようなレベルでは理解できないし、そこに留まる意思もありません。
知識不足、語彙不足で拙い投稿にお付き合いして頂き感謝致します。ありがとうございました。

46『神の数学』守護者:2006/12/05(火) 21:53:47
松本様、少々お待ち下さい、44>で私が「虚数の世界」と述べたのは現代数学の意味する「虚数」とは異なるものであり、「見えない世界の数」と言う意味合いで使ったものです。貴方様みたいに探求心の強い方、一つのものにこだわり続ける貴重な方にはF数列に関する取って置きの面白い情報を是非伝えておきたいと思います。是非調べ上げてその結果、その意味するところを私と皆々様に教えて下さることを強く望みます。このF数列の面白い所は隣り合った数字同士を減算してもなおかつF数列がそこに現れて延々と残っていくことです、それはどこまで行っても同じ結果であり、果てしなくF数列が現れ無限へと我々を誘い続けるのです。しかもそれは回を重ねていくにつれ一歩々右側へと移動後退していき、その歩に合わせて左側から新しい見知らぬ数字が現れてくるのです。その数字が私の意味する「虚界の数」なのです。まず一回目の引き算で0が顔を出し、その後にF数列が並び無限へと続きます。2回目の引き算では0の前に1が現れ、その後にF数列が続き1,0,1,1,2,3,5,8,13‥‥となります。3回目では813〜F数列、4回目では2810〜F数列、5回目では62810〜F数列となって引いても、引いてもF数列は崩れずに、必ずその確かな姿を現すのです。そんな馬鹿なと頭で考えないで手を使って計算してみて下さい。それからその理由とそこにある意味を考えるのです。残念ながら私は計算方法とその答の数字は知っているだけで、その奥に潜む意味は考えてはいません、70歳を過ぎたので、もう脳が枯れかかっているので想像力がないからです。それからそこに次々と現れる「虚界の数字」もすべてF数列になっていることは計算すれば分かると思います。

47松本英樹:2006/12/06(水) 08:25:06
『神の数学』守護者様、秘伝は秘伝としての役割であって、私のようなパズル遊びを
趣味とする者には荷が重過ぎます。
なにしろ、直角三角形の転がし運動は雪だるまが山頂から転がってきた「夢見」から
発想したもので、これでは雪だるまに押しつぶされてしまいます(笑)

(0と1と∞)の世界
孫悟空が帰ってきた時、お釈迦さまはパン!と両手を一叩きしたという。
全てが1に帰する。両手を合わせ、拝むことがここから始まった。(冗句です)

「見えない世界」
例えば<気の世界>も左右の両手(φ次元とΦ次元)を合わせることから始まる。
両手から発する気のパワーに通じるのかもかもしれませんね。(合掌)

48『神の数学』守護者:2006/12/10(日) 23:01:15
≪「魔方陣」通信①≫ このプログ本題にある『魔方陣』と言う言葉には日本民族はなんとなく魅力を感じ、尽きぬ想いを寄せているようではある、それは一体何故なのであろうか、一つそのあたりを考えて見よう。なんせ世界の中で最も熱狂的に「魔方陣」を支持し、その姿に憧れ熱い視線を今でも注いでいるのは日本民族なのである。驚くなかれ、世界最大「300方陣」と言うとてつもないものを完成させたのも我々日本人である。そこには大いなる訳があるのであるが、それは誰も知らず、思いもしないものである。それは大いなる過去において魔方陣、いや「魔方陣」の原型に当たるものを所有していたのは古代の日本民族であり、我々の大いなる祖先だったからである。それが当時の中国からの留学生であった伏儀と神農により中国に持ち帰られ、彼の地で大いに研讃究明されて「易」と言う名で勢いを揮い現在に至っているのは歴史上の真実である。そのあたりの仔細は非本の超古代文献「竹内文書」に記されているので読まれた方々はご承知であろう。但し、正確には「数で記された方陣表らしきもの」であり、本当の『秘伝された本当の方陣表』ではなく、「そのまがいもの」とその説明うんぬん等が持ち出されたと言うべきであろう。なんせ日本民族の古くからの『秘伝』であり、おいそれと与えられる筈がないものである。その後その『ほんもの』は時代の波に呑まれ何時しか埋没してしまったのである。ところがひょんなことから二十世紀末に日本にそれは再度姿を現し、名前を変えてしっかりと諸氏の前にお目見えしているのである。これぞ「シエルドレイク理論」の言う「過去の形の場」の共鳴による再現であり、一つのシンクロニシテイ現象であろう。また歴史家トインビ−の言う「歴史は繰り返す」のいい例でもある。面白いではないか、一方では古びたいかさまの「魔方陣」で世界一を勝ち取り、他方では新しい真実の『神の方陣』で世界の座を目指そうとしているのである。しかも同一時間上にあってである、その何とも言えないちぐはぐなものの本当の姿をこれから諸氏と共に語り合って行こうではないか。拙問、愚問、珍問、遠慮は要らない、大いに歓迎したい。

49『神の数学』守護者:2006/12/11(月) 23:34:11
プログ「魔方陣」(2)
とんでもない爆弾的な証言により、貴方の頭は烈火の如く怒りに燃えているであろう。無理も無いことである、何せ、数千年来調べに調べ、頼りに頼ってきた中国の「易」がまがいものであり、いささかも「自然の真実」などは内蔵されてはいないと突然宣告されたのであるから、しかし、ここは冷静に考えて欲しい、そもそも「易」の真実とは単なる「3次方陣」の表、すなわち「河図」、「洛書」の図から果たして得られるであろうか、それはいくら巨大なコンピユタ−をもってでも割り出しは到底不可能であり、無理と言うものである。ただ古来からそう伝えられているので我々はそれを信じているだけなのである。ただの物語であり、いわゆる一つの歴史神話と言うものである。日本では伏儀、神農伝説が有名であるが当の中国ではとうに歴史上から消されている名である。例えば「易」の解説大典である繋辞上伝の第十一章には「河、図を出し、洛、書を出して聖人これに則(のつ)とる」とあり伏儀等の名は出て来ず、聖人とあるだけである。また、「論語」の子空篇にも孔子の言として「鳳鳥至らず、河図を出さず、吾やみぬるかな」とあり、河図の名に触れているだけでそれ以上のことは知る由も無いのである。ただそこには孔子が「易」に向き合い、その解明の難しさに悩みに悩んでいる事がしげしげと伺えるものである。かの地には「伏儀」、「神農」の名は一切無く、それら両名の名を何時までも歴史上にとどめているのは日本のみである。おかしな話である、大いなる矛盾と言うべきものではないのか。

50『神の数学』守護者:2006/12/15(金) 00:27:21
≪「魔方陣」通信③≫
通信①にて「易」の初源は古代日本であると述べたが恐らく信じる者はいないであろう、しかし本当の「易」の本型そのものは今でも日本に「秘められた形」となって隠然として生きていることは知って欲しい。しかも日本民族の90%以上、そんじょそこらの小学生でもしっかり身につけている知なのである。ただそれを解き放ち「易」の基本図までの型にするためには古神道の祝詞『ひふみ‥‥天地の歌』の力を借りる必要がり、それにより完全な姿が復活するものである。しかるにそれが果たして本当に『易』の内容に通じるものなのか、それが果たして中国の「易」では一向に不明であった諸々の宣託の出所を明らかに出来るのか、例えば「「易」に太極あり、この大極が両義を生み、両義は四象を導き、四象は八卦を生ず」と易書にはおしなべて、さも当然として謳っているが一体何のことであり、何処からそれはもたらされたのか、それらをはっきり紐解けるのか、YESである。そもそもそれをはっきり印してある基本自然図、或いは自然道が我々の身近に存在し、誰かがその事実を確めた上で中国の「易」は作られているのであろうか。いやNOである、「河図」、「洛書」を初めとしてどの「易」の基本形を形づくっているものの中には一切無いのである。そこにはただ言葉だけが朗々と流れ仔細深げに述べられているだけである。また、「易」の大典である繋辞上伝には「易は天地と準(なぞら)う、故によく天地の道を弥綸(びりん)す」(易は天地の道に準拠して作られている、だから天地の道を完全に網羅して、条理整然とおさめてある)とあるが果たして何処からそれが出てきたのであろうか。今まで人々は頭から信じ、疑うことなどはなかったのである、しかしよく考えると、その規範となるもの、その大元になったものは何処を探しても無いのである。ただそこには哲学的な言葉とサイン文字があるだけで肝心な出所由来が欠けているのである。

51『神の数学』守護者:2006/12/17(日) 00:24:21
≪「魔方陣」通信④≫
さあ、このあたりで諸氏の疑念を一掃しょう。長らく封じられ、すっかり忘れられていた日本所在の真実の「方陣」、すなわち『神の方陣』についての詳細を申し述べて置きたい。その解法の発端は古神道の祝詞「ひふみ‥‥天地の歌」にあるのであり、それを学ぶ事によりすべては明らかになるのである。その事を是非覚えていて欲しい。
(一)『神の方陣』の本体図、すなわち全体本図はまず横にしても、又は90度回転させて縦に置いてもその方陣図は変わらぬ姿を持ち、しかもそれは「陰」でも「陽」でもなく「究極の本質0」を持っているものである。その事実は数がしっかり教えてくれることを知って欲しい。これがすなわち「易」で言う≪太極≫の姿であり、≪無極≫と称されるもの、すなわち両義と呼ぶ「陰」「陽」に分かれる前の中庸性を持った本体である。中庸性とは右でも左でもなく真ん中、すなわち0を意味するものである。
(二)『神の方陣』の本体図を二つに等分割する、その一つは陰の性をもち、もう一つは陽の性を持つことが数によりはっきり証明され、ついでに「陰の形」と「陽の形」の違いとその意味を知ることが出来るのである。しかもその陰の数と陽の数を合一すると本体の≪本質0≫になると言う不思議さを持っているのである。これがすなわち「易」の両義であり、その性質を備えているものである。
(三)『神の方陣』の本体図を二つに等分割したものを更に等分割し、4つに分ける、するとそれぞれの対極位置にあるもの同士が確かな陰陽の性を帯び、しかもその二つを合一すると≪本質0≫が現れるのである、これが「易」で言う四象にあたるものであろう。
(四)さあ、そこでもう一つ先に歩を進め、(三)で現れた4つの図を更にそれぞれ等分割し、8ヶの図にしてみょう、要するに「易」における八卦の姿である。すると驚く勿れ、その8ケは対極位置にある個々の図はすべて「陰」と「陽」の関係にあり合一して≪0≫になるものであり、≪本質0≫を示すものである。
これらすべては「数」が示し、案内してくれるものである。また、これ以上の数多の真実、すなわち人知未踏の超知がそこにははっきりと示されているものである。まことに奇々怪々と言うべきであり人知を超す大いなる何ものかの存在がある事の確たる証であり、そのものの作としか考えられないものである。

52『神の数学』守護者:2006/12/18(月) 23:52:07
≪「魔方陣」通信⑤≫
④の続きを少々述べたい、前回までに(一)〜(四)にまたがる『神の易』、すなわち『神の方陣』についての驚くべき天質について解説し、最後の8ケの図(八卦)に至ったのはご覧の通りである。そのあたりの諸般については好奇心と理詰めに強く、覇気凛々とした方には十分に理解できたことと思う。なお、前回少々言い残した事があるのでここで述べておきたい。「この8ケの図(八卦)を更に細分しその限度までもっていく、するとその最小単位にあるすべてのものが対称関係において0を示す、すなわち陰と陽を合一させると≪本質0≫になるのである」。これらの毅然とした答の示すものはすなわち、現象世界のすべては「陰」と「陽」の二元から成り立ち、それが正常値にならないものは顕象化不能であり、現象としては現れては来ないと言うことであろう。自然界とは無秩序に見えるが、とんでもない、そこには美しい秩序と確たる規則性があり、しかもその背後にはそれらを統一する基本原理の存在が横たわっていることを知って欲しい、残念ながら現代科学ではその匂いさえも分からず、夢想だにしたことも無いものである。
これは未だ人間の知らぬ『超知』であり、歴史上いわくのあるものである。しかも至ってシンプルであり、容易なものである、恐らく小中学生でも解き放つことが出来るはずである。願わくば、「神の数学・佐藤」に記してある本文とつき合わせながら、心いくまで熟読玩味していただく事を期待するものである。
そして貴方の意識が新しい旅立ちに向かって向きを変えんとすることを心から願ってキイを置くことにしたい。

53『神の数学』守護者:2006/12/25(月) 23:34:18
≪「魔方陣」通信⑥≫
どうも皆様の盛り上がりが一向に無い、まさに暖簾に腕押しである。恐らく余りの理不解により言葉も失っているのか、それとも馬鹿馬鹿しい、いい加減にして欲しいとの意志表示なのであろう。無理も無い、現代人が数千年かけても見出す事が出来なかった『神の理』を肩書きや学歴も無い凡々とした一市井人が滔々と解き明かそうとしているのであるから。確かに(0=9)などは現代知を身につけている学識者達には到底理解ができないであろうし、鼻であしらうだけであろう。しかしよく考えてほしい、真実を曲げて理解すれば何時かは悲惨な結末に至り、我と我が身を滅ぼすことになるのである、それが因果応報という大いなる宇宙の理である。さて、最後にこの(0=9)の正しい証明、宇宙普遍の正理であることの証明を示してこのプログからおいとまする事にしょう。
「a×bの方陣をつくり、そのマス目に12345‥‥80123‥となる古神道祝詞『ひふみ‥天地の歌』の循環数を入れて戴きたい(a,bは自由な数)。次はその図の中心点から対称位置にある二つの数を加算する、すると今まで人類が予想もしていなかった驚くべき答を数がはじき出すことを目撃するであろう。それはまさに「神の律」の現れであり、大いなる「数の神秘」の存在である。それは決して現代人の持つ不整合きわまりない「10進法」などでは見出すことは出来ず、ただただ『宇宙の理』と波長が合う「神の数学」手法だから同調可能なのである」。詳しい内容は「神の数学・佐藤」にあるのでそちらを参考に自分の手でじっくりと解明し、検証されることを望みたい。【「神の数学」真理講座④から抜粋引用する】

54珪水:2007/02/11(日) 11:38:49
少し投稿が低調なので頭の体操をして勝利を掴むトレーニングをしましょう。先ず神の数学者様の「真実の九九算」がいかに素晴らしいか(私の独断ですが)?ヒントは「魔女の九九」と同じであります、頭の体操には面白いと思います、又ファウストという参考書も手に入ります。1から10までの九九算表を作り例えば5×7=35これを3+5=8と一桁にして九九算表に当てはめてください、「真実の九九算」になります。又私は「魔女の九九」を考えた当時はこれが「魔方陣」だとは思いもよらなかった。

55明智秀康:2007/05/04(金) 22:07:57
脱藩道場の仲間から「こんな面白い見方を知った」といってURLが届いたので、情報を分かち合う意味でそれを皆さんに紹介します。
謀略史観の一種にしても考え方を知るのは役に立ち、魔方陣について考察するのと同じで頭の体操になるので、パズルのつもりでチェックするのも面白いかも知れません。
http://www.glennbeck.com/news/05172002.shtml

56藤原肇:2007/05/30(水) 14:51:20
「英語版JZPの出版について」の63において「世の中には求心型と遠心型の二種類の思考形態があり、日本は求心型でドンドン集約して行くので、縮み思考の日本文化と言われているのに対して、ヨーロッパ型は遠心的で背景に向かい拡散する。」と書いた。
そして、求心型でドンドン集約していく思考形式を用いながら、反転させて大宇宙をそこに濃縮させる志向の代表が、日本列島における文化形式を現しているものに、超古代における「カタカムナ」と王朝時代から戦国時代にかけての「和歌」の世界があると思う。
しかも、『古今和歌集』でカタチが決まった和歌の形式は、『新古今和歌集』を経て藤原俊成・定家親子により、一子相伝の奥義として『百人一首』として結晶し、日本文化の精髄にまで高められたのだった。
和歌に関しては感性と結ぶ世界という印象が強いが、藤原定家による十次元の魔方陣の世界があり、これは数理的な理の世界に属しているものだ。だから、和歌に関しては「回文と魔方陣との相関関係」に場を移して、議論を復活させるのが良いのではないかと考えるので、久しく途絶えていたこの欄での活発な議論を期待したい。

57瀬川:2007/05/31(木) 05:23:29
「反転させて大宇宙を濃縮させる志向」という言葉に惹かれます。
和歌に関しての知識が乏しく、議論に参加できそうもありません。
私は、日本語版JZPしか読んでいませんが、今の日本の政治状況が、
藤原博士の洞察通りなのに驚くばかりです。
天木直人氏がネットを利用して参議院選挙に出るそうです。
以前、藤原博士は天木氏と対談しております。
私は、彼がWeb上で新しい風を起こしたと見ているのですが、
どうでしょうか?
私の思考が遠心型なのか求心型なのかわかりませんが、
ネットの力で日本政治が大きく転換すると信じたいですし、
その起爆剤が藤原博士であるということを信じたいです。

58松本英樹:2009/08/13(木) 05:31:25
千々松様が「虚の数列」「鏡面対称」に触れられているので、『神の数学』守護者様の
解説を「フィボナッチ数列の殿堂への夢」近くに寄せてみました。


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