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首都圏・東京 地方政治綜合スレ

2967OS5:2025/08/11(月) 22:00:03
https://news.yahoo.co.jp/articles/488cd4636accddd7fc3f068727eaa96a983f1117防災庁誘致に本庄市が名乗り、明治初期には「本庄遷都論」も…利点多く「機能担える自信ある」
8/11(月) 21:15配信

読売新聞オンライン

本庄市役所から見た本庄の市街地。遠くには秩父方面の山々が望める

 政府が創設を目指す「防災庁」について、埼玉県本庄市は周辺3町と共同で誘致に名乗りを上げている。実現すれば首都機能の一部移転となる取り組みだ。実は明治初期に、本庄に首都を移転させようとした構想があった。約150年の時を超えて、今回こそは実現なるか。(徳原真人)

 「本荘(ほんじょう)ノ地帝都タラハ豈(あに)繁盛ナラサルヲ憂ヘンヤ(中略)二三年ナラスシテ東京ニ勝ルノ一大盛都トナル」

 明治初期、首都をどこに置くべきか、新政府内で議論が紛糾していた。日本赤十字社の創始者として知られ、元老院議官だった佐野常民は1878年に「遷都意見書」を起草。「本庄を首都にするべき」と独自の意見を唱えた。

 意見書では、外国船が東京湾内に侵入してきた場合、東京は艦砲射撃の的になってしまうと東京の弱点を指摘。他にも、定期的な疫病の流行、風紀の乱れも東京の欠点として挙げた。

 内陸部の候補地として、埼玉県熊谷市から群馬県前橋市にかけての地域を比較。本庄について、〈1〉高台にある〈2〉気候が冷涼で水がきれい〈3〉利根川の水運を活用できる――などの利点を挙げ、遷都の最適地と結論づけた。

安全保障上の狙いも
 中山道に沿って鉄道を開通させ、東京と結ぶ。大学を設けるとともに、豊富な水資源を活用して製造拠点を建設する。佐野はこんな構想を描いた。

 本庄遷都は、政治と経済の中心地を離すという安全保障上の狙いもあった。欧米の事情に詳しい佐野は意見書で、遷都が実現すれば本庄と東京は、アメリカのワシントンとニューヨークのように共に発展すると示した。

 だが、意見書は明治政府に提出されることはなかった。1961年に研究者が発表するまで、その存在は世間から忘れ去られていた。本庄とは縁がなかったはずの佐野による本庄遷都論。意見書には地形や歴史についての詳細な記述もあり、謎は残る。

災害に強い本庄の利点
 「佐野には先見性が非常にあって、防災庁の話が出た時に、遷都論がぱっと頭に浮かんだ」。本庄市の吉田信解市長はこう語る。7月には美里、神川、上里の3町と共同で誘致の要望書を内閣府に提出した。

 佐野が挙げた、本庄の利点は今も生きている。市街地は台地にあり、地盤が強い。想定される首都直下地震での影響は受けにくいと考えられている。また周囲より高い場所のため、水害にも強い。交通の便の良さも魅力だ。本庄には新幹線や高速道路が通り、緊急時の輸送路となることもできる。

 吉田市長は「本庄地域なら、防災庁に求められる機能を担える自信がある。『本庄遷都』は地元議員たちの悲願。それをかなえるチャンスが来ている」と意気込む。

 防災庁の創設を巡っては、各地で誘致活動が活発になっている。埼玉県内では本庄地域のほか、所沢市などの県西部5市、秩父市など秩父地域1市4町も誘致に名乗りを上げている。

 ◆佐野常民=1822年、佐賀藩士として現在の佐賀市川副町に生まれる。67年のパリ万博に派遣され、「赤十字」活動を知る。帰国後、新政府で兵部省や工部省に勤めた後、西南戦争を機に、日本赤十字社の前身となる「博愛社」を設立した。その後は大蔵卿、枢密顧問官などを歴任し、1902年に79歳で亡くなった。


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