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非自民非民進系保守

3678名無しさん:2025/12/24(水) 17:46:39
 吉村氏は付言したが、小泉氏の総裁選敗北で、この案は消えた。

 6日後の10月10日、公明党が連立離脱した。吉村氏は「離脱は青天の霹靂だった」と打ち明けた。そこまでの石破政権からの打診も「小泉政権」での自維連立案も、すべて公明党を含めた連立プランだった。

 一方で、連立離脱は公明党の自主的な選択ではなく、自民党による自公連立解消作戦の成就の結果と唱える見解もある。自民党は「公明党との離縁」の機会を探って工作を続けていて、公明党は10月10日、最後に連立継続不可能と判断したのが離脱の真相、という分析のようだ。

 確かに自民党の一部には、自公関係は清算すべきだという主張も根強く存在した。といっても、自民党が公明党切り捨てを狙って、ポスト石破の局面で、自公連立解消と、同時に自維連立樹立を策し、それらが成功したという見方には疑問がある。

「自公」亀裂の影は数年前から見え隠れしていたが、特に衆議院小選挙区の定数是正をめぐる「10増10減」が問題となった23年以後、それが顕在化した。自民党選挙対策委員長として公明党との調整に当たった森山裕氏(後に幹事長)を当時、取材して、「連立解消の可能性」について尋ねたら、「そんな怖いこと、考えたことも、計算したこともない」と漏らしたが、「そんな怖いこと」が2年後に現実となった。

 自公関係の内実は、「愛を失った結婚歴26年の夫婦が北国の湖で互いに顔をそむけながら氷上ダンスを踊る関係」だった。支持基盤と連携の果実が健在の「厚い氷」の時代が過ぎ去り、「薄氷」で沈没の危険が高まっていたからだ。

■自民を陥れる「ジョーカー」与党・野党ではない「ゆ党」

 今回の公明党の離脱通告で、ついに「氷上ダンス」が終演した。主因は、自民党の切り捨てではなく、公明党と支持母体の創価学会の内部事情と見るのが正解ではないか。

 自維連立を決めた吉村氏に与党入りの理由を聞くと、「一番の大きな転換点は公明党の連立離脱」と答えた。自維2党だと、10月21日の時点では、衆議院の議席は計230で過半数の233に3不足(11月28日に無所属の3議員の自民党会派入りで過半数に到達)、参議院は計119で過半数の125に6不足だった。

 維新の浅田氏は自維連立を「自民党にあいくちを突きつけたような状態の連立」と評した。「あいくち」は連立離脱の武器という意味だ。公明党離脱後の2党連立で、自民党を少数与党に陥れるジョーカーを維新側が握るという「好条件」である。

 とはいえ、維新側も実は「結党後の最大のピンチ」という苦境で、生き残りの「次の一手」を模索している場面であった。背後に潜む「三つの事情」をにらみ、自維連立という「一手」に賭けて勝負に出たのだ。

 第1は、党勢の退潮である。

 一つは衆参選挙での低迷だ。維新の国政選挙初挑戦は12年12月の衆院選で、以後、全10回の衆参選挙で何度も浮沈を繰り返してきた。

 特に15年の大阪都構想をめぐる1回目の住民投票否決と、初代党代表の橋下徹氏(元大阪府知事・大阪市長)の政界引退の後に行われた過去7回の衆参選挙の比例代表選挙での総得票を見ると、維新の衰退が透けて見える。21年衆院選の805万票と22年参院選の785万票がピークで、24年衆院選は511万票に、25年参院選は438万票に落ちた。

 政党支持率も最近は低空飛行だった。朝日新聞の調査で、24年2月以降は2〜4%と低調が続いた(自維連立成立後の25年10月は5%)。


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