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非自民非民進系保守

2007チバQ:2017/10/25(水) 22:30:19
 --なぜ逆風になったのか

 前原氏「いろいろな仮定の中で、決まっていないものが報道され、あたかも事実かのような報道をされて疑心暗鬼がどんどん膨らんでいった。結果的に新たな党をつくり、固まりが生まれて、そちらの期待が高まった。野党がバラバラに戦うところが、いくつか出てきた。枝野さんとは『できるだけなくしていこう』と話をしたが、いくつかの所でそうならざるを得なかった。

 小池さんが強気で立てようとしたのは、われわれが弱い地域だった。東京とか、神奈川とか。東京都議は、われわれ8年前は50数議席あったが、今は5議席。衆院選の25選挙区のうち前回勝ったのは、長妻(昭元厚生労働相)さんだけだから、向こうも『東京はこちらに任せろ』となる。でも、うちらも候補者がいる中で、東京はつぶし合いになった。あるニュースに載っていたが、自民党の石原(宏高)さんや下村(博文)さんのところも、例えば希望の党と立憲民主党が協力していれば、選挙区でも勝てた可能性があるという。結果論ですが、バラバラに戦ったことは本当に悔いが残る」

 --理念・政策を乗り越え、「安倍1強」打破に絞っていたら、こういう結果にならなかったのでは

 前原氏「“小池新党”がなかったら、野党4党と日本維新の会しかない。小池新党がないのであれば、野党4党の共闘路線は選択肢としてあった。希望の党ができて、2、3日で20%近い支持率を得る。これは都議選の再来だという状況が見えてきた中で、単に野党共闘だけでは惨憺たる結果になっていたと思う」

 --合流せずに希望の党との連携もあったのでは

 前原氏「可能性としてはあったが、小池さんが希望の党をつくることになって、いろいろ話をさせていただいたが、結果として私の判断で、すみ分けではなくて合流する判断をした。結論でいうと、一つの政党でやった方がいいという判断をした」

 --本当の前原氏の狙いは、民進党の純化ではなかったのか

 前原氏「ずっと民主党、民進党でやってきて、バラバラとか、左右の開きが大きいとか言われた。でも、民主党政権では、外交・安全保障は現実路線でやってきたし、立憲民主党にいる人も民主党政権では大臣をした人もいた。まさに枝野さんは官房長官だった。そういう意味では、別に純化路線が前提だったわけではない。

 ただ、安保法制以降、野党4党共闘ということで、あの法律のできが悪かったのは間違いないが、あれ以降、野党共闘路線が強まって、党内で憲法の議論すらなかなかできない、現実的な安保政策についての議論がしづらくなった。離党者が出てきたのは、そういう背景があったと思う。結論からいうと、純化路線を求めたわけではない。この2年くらいの民進党のあり方について、私も疑問を持っていたことは事実だ」


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