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非自民非民進系保守

2006チバQ:2017/10/25(水) 22:30:00
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/sankei-plt1710250050.html
【衆院選】民進・前原誠司代表「希望の党との合流は賭けだった」「代表辞任後は希望へ」 政治解説者との討論詳報
21:59産経新聞

【衆院選】民進・前原誠司代表「希望の党との合流は賭けだった」「代表辞任後は希望へ」 政治解説者との討論詳報
「篠原文也の直撃!ニッポン塾」で評論家の篠原文也と対談する民進党の前原誠司代表=25日午後、東京・平河町のルポール麹町(酒巻俊介撮影)
(産経新聞)
 民進党の前原誠司代表は25日、都内で開催された「篠原文也の突撃!ニッポン塾」で、政治解説者の篠原氏と討論し、希望の党(小池百合子代表)との合流に関し「ある意味、賭けのようなものだった」と振り返った。篠原氏とのやり取りの詳報は次の通り。

◇ 

 --衆院選は予想していなかったのか

 前原氏「衆院解散については、早いかもしれないとは予想していた。(衆院青森4区、新潟5区、愛媛3区の)3補選が10月22日にあるので、これに合わせて総選挙があるんじゃないかと想定していたが、その通りになった」

 --希望の党への合流をめぐって民進党が3つに分裂した。結果をみると民進党出身者の数は増えているが

 前原氏「こういったことに“タラレバ”はないし、歴史に“もし”はないので、検証することはできないが、私は野党共闘路線に行く方がオーソドックスだったと思う。希望の党への合流、みんなが合流するというのは、ある意味では賭けだった。しかし、希望の党ができて、すぐに20%近い支持率になったことを考えれば、そのまま(野党共闘路線で)突っ込んでいれば惨憺(さんたん)たるものになったことは容易に想像できる」

 --小池氏の排除、選別で流れが変わった

 前原氏「民進党の公認候補が200人以上いて、向こうのリストも160くらいあった。選挙区は289だから、どうやって、できるだけ多くのわが党の公認候補の擁立を目指せるか、相当激しく何度もやった。向こうの言いなりになったこともないし、何度も交渉して、わが党の比率を増やしていった。

 交渉過程は言えない中で『排除リスト』がまことしやかに出たり、踏み絵だとか、政策協定書が出たり。われわれがまだ合意していない、小池さん側の言い値の政策協定書が報道され、『こんなものは飲めない』と大騒ぎになった。しかし、われわれが『本当のものではない』と言い続けても、疑心暗鬼になって、結果的に新たな政党をつくった。何とかとめたいと思ったが、結果的にそうなったことは極めて残念だった」

 --立憲民主党が設立されたことを「想定内」といったと聞いたが

 前原氏「191か192人の公認候補が決まったときに、初めて私はマスコミの前で話をした。そのときに、ある記者から『枝野幸男さんたちの(立憲民主党設立の)動きがでてきたことは想定内だったか』と聞かれて、言い方は気をつけたつもりだが、『いろんな動きはあるだろう』というような発言をした。だた、『枝野さんとは24年間、日本新党、さきがけ、民主党、民進党でやってきたので、その仲間と別れることになったことは残念だ』と申し上げても、そこだけが切り取られて、拡散されることになった」

 --民進党の両院議員総会で一任をとりつけたときは全員合流でいけると思ったか

 前原氏「したいと思った。289の選挙区で、(公認候補予定者が)われわれは215人くらい。向こうは160人いた。交渉で相当激しやり合った。第1次公認のときに、うちが109だった。無所属の20を入れると、130くらいがわが党ということで、向こうは『半々だ』という話も一時あったが、わが党の比率は増えていった。それでも漏れている方が出た。私自身の至らないところというか、お約束したことができなかった」

 --「安倍1強」体制を倒すためにやると言っていた。ならば、まとまらないと倒せないではないか

 前原氏「希望の党で戦った方は、本当に途中から完全な逆風になった」


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