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第25回参議院議員選挙(2019年)

420チバQ:2018/11/21(水) 11:04:17
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/247962?rct=s_government_hokkaido
<舞台裏を読む>伊達氏引退 決断までに葛藤
11/14 05:00
<舞台裏を読む>伊達氏引退 決断までに葛藤
「俺は『三権の長』なんだぞ」。10月25日午前、国会内の参院議長室。部屋のあるじである伊達忠一氏(79)は、自民党道連会長の吉川貴盛農水相に諭すように話した。

 伊達氏は来夏の参院選道選挙区(改選数3)の自民党公認候補の公募に、支援者の他薦で応じていた。現職ながら高橋はるみ知事(64)ら他の応募者と横並びの選考にかけられていることに、強い不満があった。

 複数の関係者によると、この会談で伊達氏は「名誉回復」を盛んに求め、不出馬は明言しなかった。

 しかし、伊達氏の政界引退の意向は、10月中旬までに安倍晋三首相ら政権中枢に伝わっていた。党道連幹部も「かなり早い段階で引退を覚悟していたようだ」と話す。なぜ、引き延ばしたのか。

 それは、権力の座を駆け上がった伊達氏の歩みと関係しているかもしれない。

 炭鉱で栄えた芦別市で、貧しい家庭に育った。道立衛生研究所検査技師養成所を修了後、病院勤務を経て、血液検査などを請け負う札幌臨床検査センターを創業。苦労しつつも経営の才覚を発揮し、道議に担がれ、自民党会派の議員会長など要職を務める。

 当時を知るベテラン道議は「頭が切れるタイプじゃないが、親しみやすさとしたたかさを武器に、有力者にかわいがられた」。

 道議4期目途中の2001年参院選で初当選し、当時の森派に所属。領袖(りょうしゅう)だった森喜朗元首相をはじめ、同じ派閥の安倍首相、参院のドンと呼ばれた青木幹雄元参院議員会長らと太いパイプを築く。

 内閣府副大臣を経て、13年に3選を目指した際は、党道連内に世代交代論が巻き起こるが、多数派工作で乗り切り、その後は参院国対委員長、参院幹事長とスピード出世。議長の座を射止めると、地元から驚きの声が上がった。

 最近は健康面に不安を抱き、進退を考えていた。それでも人生の長きにわたり、権力の階段を上ることで求心力を得てきた伊達氏の思いは、現役続行との間でない交ぜになっていた。

 今年6月、後援会や一部道議の要請を受け、4選出馬に意欲を示した。「やりたい気持ちの一方で、いざとなれば惜しまれながら身を引く環境を整えていたのだろう」(伊達氏周辺)

 8月上旬には首相と極秘会談したが、積極的に続投を求められることはなかった。森氏も直後に、伊達氏の政治活動35年の記念冊子にこんな文章を寄せた。

 「伊達さんも愈々(いよいよ)人生最終の判断の重要な時期にきている。大所高所からこの国の行く末を見守ることも大切だ」

 だが道議の一部は「死ぬまでやった方がいい」などと進言。人気がある高橋知事にもう一度知事選に回ってもらい、同時期に行われる道議選を楽に戦いたいとの思惑の裏返しだった。党道連が分かりやすい花道を用意できなかったことでも、引き際を逸した。

 自民党は町村信孝前衆院議長、中川昭一元財務相(ともに故人)、武部勤元自民党幹事長の「ビッグスリー」が政界を去り、野党では鳩山由紀夫元首相や横路孝弘元衆院議長が引退した。政権中枢との人脈でのし上がった伊達氏の引退は、道内政界の一つの時代の終わりを物語っているのかもしれない。(報道センター 村田亮)


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