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第25回参議院議員選挙(2019年)

2239とはずがたり:2021/04/28(水) 20:18:52
現実は千曲会も弱体化してたし王国復活させるには衆院選での議席奪取と県議選での躍進が必要だなぁ。長期低落に陥ってた羽田王国が復活出来るかは次の世代が自律的に支持拡大できるか,だ。
>この地域の自民党県議も前回の選挙で若い議員も含め1人から8人に増えている。

今迄も似たような内容の協定を結んできた印象だったけどそうでもなかったのか?
>連合長野の幹部は「共産党との政策協定はこれまでも結んできていたが、政策を丸飲みするような内容となっていたことには驚いた」と、ため息交じりに話した。

2021年4月28日特集記事
生き残った信州の王国
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/59172.html

…雄一郎の死去からおよそ1か月後。白羽の矢は弟の次郎に立てられた。

もう1人の訃報
「千曲会」の支援のもと、次郎は立憲民主党の公認候補となった。
共産党、国民民主党、社民党からの推薦も得て野党連携も構築し、盤石の態勢で選挙に向けて歩み出した。

しかし、その矢先、もう1人の男の訃報が陣営に衝撃をもたらした。

2月10日。
立憲民主党長野県連で選挙対策委員長代理を務め、長年、羽田家の選挙を支えてきた元県議会議員の倉田竜彦が亡くなったのだ。

倉田は、野党勢力をまとめる長野県政界の重鎮。

もともと保守層を支持基盤としてきた「羽田家」と野党勢力をつなぐパイプ役となってきた。野党連携は寄り合い所帯。政策や理念が違う部分は少なくない。

倉田は、それぞれが譲れない一線を守りつつ、一致点を見いだしてきた。今回の次郎の選挙でも、その手腕が期待されていた。政治経験が浅い次郎にとって、倉田を失ったのは痛手だった。

…野党共闘が実ったように映った選挙戦だが、告示日の直前には、思わぬ足並みの乱れが生じた。原発ゼロの実現などを目指すことを明記した政策協定を次郎と共産党の県委員会などが結んだことが明らかになったのがきっかけだった。

次郎が公認を受ける立憲民主党は、同様に原発ゼロを掲げ、問題はない。しかし、推薦を決めていた国民民主党から反発の声があがった。

国民民主党を支援する電力総連や自動車総連などにとって、原発ゼロは譲れない一線。これを丸飲みした形の政策協定を陣営が結んでいたことは、到底受け入れられないということだった。

「倉田さんがいたら…」
パイプ役の不在が響いたのか。
連合長野の幹部は「共産党との政策協定はこれまでも結んできていたが、政策を丸飲みするような内容となっていたことには驚いた」と、ため息交じりに話した。

最終的に雄一郎の弔い合戦に水を差したくないという気持ちも働いたことで野党連携はなんとか壊れない形で決着を見た。しかし、選挙期間中、立憲民主党や共産党、国民民主党、の党首がならんで支持を訴える場面は最後まで見られなかった。


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