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第25回参議院議員選挙(2019年)
1940
:
チバQ
:2019/07/24(水) 13:32:03
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190724-00000023-mai-pol
元滋賀県知事、嘉田氏の勝因は? 一歩引いて野党共闘成功
7/24(水) 10:15配信 毎日新聞
元滋賀県知事、嘉田氏の勝因は? 一歩引いて野党共闘成功
田島一成氏(右から3人目)、佐藤耕平氏(右)と初当選を喜ぶ嘉田由紀子氏(右から2人目)=大津市のホテルで2019年7月21日午後11時49分、成松秋穂撮影
21日投開票された参院選滋賀選挙区(改選数1)で、無所属新人で元知事、嘉田由紀子氏(69)=立憲民主、国民民主、共産、社民推薦=が、自民現職の二之湯武史氏(42)=公明推薦=と「NHKから国民を守る党」新人の服部修氏(45)を破り、初当選を果たした。「野党統一候補」の嘉田氏と二之湯氏による事実上の「与野党一騎打ち」の激戦を、嘉田氏はどのように制したのか。17日間の選挙戦を振り返る。【成松秋穂】
【写真特集】塚田氏、亀石氏…落選した主な候補者
「今回は田島一成さん、佐藤耕平さん、ずっと一緒にバッジを付けて、戦わせていただいた」。21日夜、大津市のホテル。当選確実が伝えられた嘉田氏は、2人の名前を挙げて謝意を述べた。国民に推された嘉田氏が野党統一候補になるには、立憲が挙げた田島一成氏(57)と、共産が擁立を決めていた佐藤耕平氏(37)に身を引いてもらうことが不可欠だったからだ。選挙期間中も襟元には2人からもらったバッジを常に付け、4党共闘をアピールし続けた。
嘉田陣営がそこまで気を配った背景には、2017年衆院選で惜敗した際に生まれた、野党各党との「しこり」が本当に解消したか、確証がなかったからだ。嘉田氏は公示前、県内各地の集会で「おわび」をして回ったが、ある野党県関係者は「公示後、最初の1週間は各党の『壁』を感じていた」と明かす。組織票をまとめてきた労組も「今はそれほど動員していない。今は組合も優しいから」(連合滋賀関係者)と当初、動きは鈍かった。当初は嘉田氏優勢との見方もあったが、選挙戦中盤になると、陣営幹部は「このままなら負ける。こちらは頭打ちだ」とうなだれた。
それでも、知事時代に培った実績もあり、嘉田氏が県内各地を回ると、有権者の反応は高まっていった。嘉田陣営も嘉田氏の遊説日程を優先し、野党各党が幹部らを投入しても、無理に都市部で一緒に立つような日程は組まなかった。かつて日本未来の党で共に戦った国民の小沢一郎衆院議員が来県した際にも、小沢氏一人で事務所を回ったのみで、嘉田氏と街頭に立つことはなかった。
嘉田氏を前面に出し、4野党が一歩引いた形で支える戦術は、結果的に各党の結束を高めた。4野党の共通政策を今年2月、全国に先駆けて発表していたことも「野党各党の結束を保つのに役立った」(別の野党県関係者)。山間部や琵琶湖・沖島など県内4000キロ超を回り、各地で選挙カーから降りて有権者と小まめに握手する嘉田氏の姿は、嘉田氏を当選圏内へと押し上げていった。
野党各党が微妙なバランスを保ちながら、浮動票を取り込む嘉田氏を支えることでつかんだ、滋賀選挙区での3年ぶりの「非自民」議席奪還。選挙期間中、応援に駆け付けた国民の玉木雄一郎代表は評価した。「候補者が嘉田さんで、まとまりやすいものがあった」
◇ ◇
「拍手が小さいのは皆さん、傘を持っていらっしゃるからですね」。選挙戦中盤の13日、雨が降る中、大津市のJR石山駅前で街頭演説に立った二之湯氏は自嘲気味に語った。応援に駆け付けた菅義偉官房長官の写真を撮ろうとする市民の姿とは対照的に、二之湯氏の訴えに耳を傾ける聴衆はまばらだった。
滋賀選挙区を「激戦区」に指定した自民は、党幹部や政権幹部を軒並み投入。人気の高い小泉進次郎衆院議員が公示日と投開票日前日の節目に応援に立ったほか、安倍晋三首相も序盤と終盤の2回県内入りした。自民関係者も「これで勝てなかったら、誰も勝てないほどの戦い方だ。特別扱いだ」と明かす。
ただ、嘉田氏が「軍艦」と評した自民の総力戦ぶりは、二之湯氏の存在感を埋没させる結果となった。ある県政界関係者は「二之湯氏と嘉田氏の争いではなく自民と嘉田氏の争いになり、二之湯氏の名前は消えていった」と評する。県連幹部は「これだけてこ入れすれば、少しは上向くはず」と期待したが、かなうことはなかった。
21日夜、草津市のホテルに集まった支持者に、二之湯氏は敗戦の理由をこう分析した。「知名度不足だった」
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