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新・大中華世界的話題

585チバQ:2015/11/11(水) 23:16:06
マンデラになれるかどうかですね・・・

とはさんや>>584さんみたいな心配な考えもありますが
軍政時代が国際社会からの制裁を受けている「マイナス」だったので
「ゼロ」の政治が出来れば、それでけで十分評価されるという
アドバンテージもありますけどね(それは現テインセイン大統領も同じ)

http://www.cnn.co.jp/world/35073350.html
民主化運動のシンボル、スーチー氏 ミャンマーのマンデラか
2015.11.11 Wed posted at 20:10 JST
(CNN) ミャンマーで長く続く民主化運動のシンボルであり、同国で最も愛されている政治家の1人、アウンサンスーチー氏(70)。スーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)が今、歴史を作ろうとしている。
ミャンマーで25年ぶりに行われた総選挙で、NLDは圧勝する勢いを見せている。スーチー氏もヤンゴンの選挙区で当選を果たした。
多くの人々が、今回の選挙によって数十年におよぶ軍事政権が終わると信じており、新しい民主主義時代の到来への期待をスーチー氏に寄せている。
スーチー氏に対する親愛の情の一部は、父親が「建国の父」として知られるアウンサン将軍だったことによる。
アウンサン将軍は1947年に政敵によって暗殺された。当時、スーチー氏は2歳だった。その後、人生の多くの時間を海外で過ごし、インドの学校や英オックスフォード大学で学んだ。政治家を目指していたわけではなかったが、母親が脳卒中を患ったため1988年にミャンマーに戻ったことで、指導者としての道を歩むことになる。
母親の死後、スーチー氏は両親のようにミャンマーの人々に奉仕する道を選ぶ。
1990年、スーチー氏はNLDを率いて総選挙に勝利するが、軍事政権がその結果を拒否。スーチー氏を自宅軟禁とした。スーチー氏はその後の20年の多くの時間を自宅軟禁下で過ごすことになる。
しかし、軟禁状態にあってもスーチー氏の民主化への要求はやまなかった。そして、スーチー氏に対する支持も国内外で広がった。
スーチー氏は、アパルトヘイト(人種隔離)政策に反対して27年間の獄中生活を送った南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領と比較されるようになる。
1991年、スーチー氏は、ミャンマーの民主化への取り組みが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、受賞演説を行えるようになるには2012年まで待たねばならなかった。
2007年、燃料費の値上がりに抗議して人々がデモを行うと、軍政権は武力行使を行い弾圧した。スーチー氏の自宅軟禁の期間も延長が繰り返された。
2010年、スーチー氏の自宅軟禁が解かれた。民政移管の一環だった。
NLDは2012年の選挙に参加が認められ、2けたの議席を獲得。スーチー氏自身も当選を果たした。
しかし、NLDが選挙に勝利したとしても、軍政権によって制定された憲法によって、スーチー氏が大統領に就任することは出来ない。外国人の家族を持つ者は大統領にはなれないとの規定があるためだ。
スーチー氏の夫は英国人で1999年に死亡しているが、2人の息子も英国籍だ。
しかし、スーチー氏は、いつものように、可能性がわずかであっても挑戦することを諦めないようだ。
スーチー氏は選挙前の記者会見で、NLDが勝利して政権を担うことになれば、自分が「大統領よりも上」の存在に立つとの考えを示した。
スーチー氏の頑固なまでの挑戦する姿勢がミャンマーの発展にとって障害となっていたと見る向きもある。しかし、スーチー氏の支持者らは、スーチー氏が、ミャンマーの民主化や平和、自由への夢にこだわり続けてきたのだと考えている。


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