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新・鉄道綜合スレ

2423とはずがたり:2018/12/13(木) 14:34:12
>>2422
かつては100人以上が働いていた「陰陽連絡」の拠点
 備後落合駅は1935(昭和10)年、現在の芸備線が三次方面から延伸した際に終着駅として開業し、その後すぐに備中神代側、島根県の出雲横田側(木次線)からの線路もつながりました。それまでほとんど何もなかった海抜462mの谷あいに、3方向へ路線が延びるターミナルが誕生したのです。

 かつては広島と島根、鳥取を結ぶ急行・快速などが走り、備後落合駅構内の転車台と石炭供給設備もフル回転。全盛期には116人がこの駅で働き、駅横の官舎や独身寮、物資部も大いに賑わいを見せたといいます。

 また、ホームのうどん店では、うどんの上におでんを3種類のせた名物「おでんうどん」が売られ、列車が到着するたびに利用客のあいだで争奪戦が起こっていたとのこと。駅前にもタクシー、食堂、理髪店などが立ち並び、「落合銀座」と呼ばれたそうです。

 しかし、この賑わいは長くは続きませんでした。規格が低くスピードアップが望めないこのルートは、重要性を失っていき、追い打ちをかけるように蒸気機関車の気動車への置き換えが進んだことで職員の数も減少。さらに高速道路の整備を背景とした高速バスの攻勢で乗客も減っていきます。平成に入るとワンマン列車のみの発着となり、1997(平成9)年には無人駅となりました。

発車1日たった11本、山間のターミナル備後落合駅に変化 乗客増の陰に地元の支え
備後落合駅でガイドを務める元・国鉄職員の永橋則夫さん(oleolesaggy撮影)。
寂れ行くターミナルが再び活気づく!
「ターミナル」としての遺構が残る無人駅は、いつしか「秘境駅」として鉄道ファンのあいだで語られるようになりますが、寂れ行く状況を見かねて、駅の清掃を始めた人がいます。備後落合駅近くに住み、かつて国鉄の機関士だった永橋則夫さんです。駅構内や官舎跡の雑草を刈り、何年もかけてコツコツときれいにしていったのです。

 その姿に鉄道ファンも動かされます。地元の鉄道ファン団体「安芸矢口企画」が備後落合駅に「駅ノート」を設置したり、またある人は駅に壁新聞「備後落合通信」を掲示し、近隣の見どころを紹介したり(現在は休止中)。毎年末には新見駅職員の立ち合いのもと、永野さんや鉄道ファンらで大がかりな清掃を行うようにもなりました。

 十数年の年月をかけて広がっていったこれら活動もあってか、備後落合駅の周りでは、観光協会により制作されたパンフレットを片手に見どころを巡る訪問客も徐々に見受けられるように。最近では海外からの旅行客も見られ、2018年には駅スタンプや障害者用の手すり、写真撮影のための顔出しパネルも新設されました。

 観光シーズンには不定期で、永橋さんが機関士時代の制服を着て、駅周辺のガイドツアーも行っています。また、かつて駅ホームで販売されていた名物「おでんうどん」も、近くの「ドライブインおちあい」で9月から翌年5月のあいだ提供されています。

 ちなみに、2018年7月の西日本豪雨で被災した芸備線の備後落合〜備後庄原間は運休が続いていましたが、12月20日(木)に復旧し、備後落合駅に3つの方向への列車が集う予定。これにあわせ、12月16日(日)に有志による駅の清掃活動が行われ、12月22日(土)には復旧を祝うイベント「おかえりなさい芸備線復活祭」が開催されます。こうした地元の人々や鉄道ファンの活動が、乗客アップへとつながっているのかもしれません。

乗りものニュース編集部


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