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インド・天竺・中洋スレ

89チバQ:2015/02/04(水) 20:00:41
http://mainichi.jp/select/news/20150205k0000m030021000c.html
スリランカ:09年内戦終結…いまだに帰れない国内避難民
毎日新聞 2015年02月04日 18時45分(最終更新 02月04日 19時34分)
 2009年に少数派タミル人武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)との内戦が終結したスリランカで依然として故郷に帰れない国内避難民がいる。軍に土地を接収されているためだ。同国では1月の大統領選挙でシリセナ政権が誕生した。避難民キャンプの住民は「新政権に早く土地を返してほしい」と訴えている。【サンプール(スリランカ東部)で金子淳】

 「ここには家がたくさんあった。病院も、学校も」。東部トリンコマリーから南へ約40キロのサンプール。ナゲシュワラムさん(36)は何もない草原を指して嘆いた。

 サンプール村は06年4月、周辺にLTTEが潜伏しているとして政府軍による爆撃を受け、少なくとも住民7人が死亡した。「もうここには住めない」。ナゲシュワラムさんは妻と2歳の娘を連れて村を脱出。徒歩で2カ月かけて約100キロ離れた南東部バティカロアへ逃れた。

 内戦終結後の09年にサンプールに戻ったが、目にしたのは一面の荒野だ。自宅付近は軍に接収され、フェンスが張り巡らされて入れない。近くの避難民キャンプに身を寄せ、5年以上が過ぎた。「早く自分の土地に帰りたい」と嘆く。

 周辺では4カ所のキャンプがあり、約3100人が住んでいるという。元サンプール村民のウダイクマールさん(38)によると、政府は約7キロ離れた別の場所を定住先として提示した。しかし、水利が悪く農業に適さないため多くの住民が拒否したという。政府や非政府組織(NGO)の支援はほとんどなく、仕事は月10日程度の日雇い労働だけ。「いつになれば帰れるのか。新政権に期待するしかない」

 故郷に戻った住民も生活は厳しい。近くに住むバーラシンガムさん(71)は06年の攻撃で長男(当時27歳)を失った。いったん別の街に避難し、終戦後に自宅に戻ると、屋根がはがれて家財道具はなくなっていた。13年に妻が死亡し、自宅の修繕もできないまま1人で庭の小屋に住む。「(内戦がなければ)村の子供たちは学校を卒業し、医師や技師になれたはずだった。今は怒りもわいてこない」とさびしく笑った。

          ◇

 スリランカは1970年代から少数派タミル人による分離独立運動が本格化し、83年に政府軍とタミル人武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が内戦に突入した。LTTEは北部や東部を中心に支配領域を広げたが、2009年5月、ラジャパクサ前政権による徹底攻撃でプラバカラン議長が死亡し壊滅した。内戦による犠牲者は8万〜10万人といわれ、国内避難民は約30万人に上った。

 壊滅したLTTEに対しては、今もタミル人の間に共感が残る。タミル人政党・タミル国民連合の地方幹部を務めるティルッチェルバムさん(45)は、10歳以上離れた妹と弟がLTTEの志願兵となり戦死した。「彼らは我々の権利のために戦った。LTTEはタミル人の別名だ」と語る。ただ、LTTEは内戦中に住民を「人間の盾」にしたり、少年少女を兵士にしたりしたなどとして批判されている。一方、政府軍も終戦間際にタミル人に無差別攻撃を加えたとされ、国連などは国際的な人権調査を受け入れるよう求めている。


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