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インド・天竺・中洋スレ

562チバQ:2020/05/03(日) 21:16:00
https://digital.asahi.com/articles/ASN527HJ9N4XUHBI01K.html?pn=10
「飢え死にする」 コロナで解雇、150キロ歩いて帰郷

奈良部健 ヨハネスブルク=石原孝

2020年5月3日 5時00分
 新型コロナウイルスの大流行により、世界中で4億人以上が貧困状態に陥り、貧困問題は10年前に逆戻りする恐れがある――。国連大学の研究所が先月、そんな予測を出した。報告書を書いた研究者は事態の深刻さを「まるで貧困の津波だ」と語った。途上国で今、何が起きているのか。

 「逃げないと飢え死にすると思った」。インドの首都ニューデリーから故郷ウッタルプラデシュ州の村まで約150キロを2日かけて歩いて帰った運転手のラジュパルさん(42)は電話取材にそう語った。

 「ロックダウンによる経済損失は避けられない。しかし、今はコロナから国民の命を守ることが大事だ」とモディ首相が宣言し、全土封鎖が始まったのは3月25日。翌日、ラジュパルさんは雇い主から解雇され、すでに働いた分の給与の支払いさえ拒まれた。

 村には妻と5歳から14歳の子ども5人を残し、首都で同業仲間たちと一部屋を間借りして、15年間働いてきた。月収1万4千ルピー(約2万円)のうち、半分を家族の元に送金。「家族の食料や衣服、電気代を支払うので精いっぱいだったが、封鎖で全てを失った。ただ村に帰れば食べるものはあると思った」

 一部を除く商店と企業は閉まり、鉄道やバスも止まっていた。ラジュパルさんは27日朝6時に歩き始めた。小麦でつくったチャパティ4枚と下着、現金150ルピー(約200円)以外に持って行くべきものはなかった。同じ頃、故郷へと歩いた労働者らは、数百万人に上ったとされる。

 ラジュパルさんは昼は気温30度以上の炎天下を歩き、夜は路上で寝た。「これからどうやって生活していくのかを考えると、歩き疲れていたが眠れなかった」

 ニューデリーから南東へとのびる国道24号。首都を逃れた人々がアリの列のように先まで見え、背後にも続いていた。皆、無言だった。子連れの家族もいて、聞こえるのは歩き疲れた子どもの泣き声だけ。

 父母が乳幼児を抱っこして強い日差しから守るように、足や体をさすっていた。道ばたに腰を下ろしてめったに通らない車を待ち、車が来ると「歩けない子どもがいるから乗せてほしい」と叫んでいる母親もいた。

 地元メディアによると、12歳の少女は故郷の村まで150キロを歩いている途中で死亡した。

 大移動によって、感染が都市から農村に広がる恐れも指摘された。各州政府は食料や家を失った人のためにシェルターを用意したが、過密な場所での滞在を強いられることも。都市からのウイルスの持ち込みを恐れた地方当局が、路上に避難者を集めて消毒液を放水した様子も報じられた。

 ラジュパルさんが村に帰ると妻は無事を喜ぶと同時に、顔を曇らせた。「今後の生活をどうするか、不安になったんだと思う」。数日後、息子が地元の市場から泣いて帰ってきた。村の人たちから「なぜお前の父親は戻ってきたのか。病気をまき散らしにきたのか」と怒鳴られたという。家が村人から襲撃されないか不安が続く。

 ラジュパルさんは状況が改善すればまたニューデリーに戻って働くつもりだという。「村にいても仕事はない。恐ろしい思いをしたが、戻らないと生きていけない。ただ、いつになったら戻れるのかはわからない。戻れても仕事が見つかるのか」と話す。(奈良部健)


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