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インド・天竺・中洋スレ

521チバQ:2019/07/31(水) 18:33:59
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190730-00000000-maiall-asia
<神と喧噪の南アジアから>インド社会の行方(下)衰退する国民会議派 分岐点に立つ名門政党
7/30(火) 12:25配信 毎日新聞
<神と喧噪の南アジアから>インド社会の行方(下)衰退する国民会議派 分岐点に立つ名門政党
国民会議派の本部=ニューデリーで2019年7月20日、松井聡撮影
 かつてマハトマ・ガンジーや初代首相ネールが所属し、英国からの独立運動で中心的役割を担った国民会議派の没落が顕著だ。2014年の前回総選挙に続いて、4〜5月に行われた総選挙でもモディ首相のインド人民党(BJP)に大敗した。ネールのひ孫のラフル・カンジー総裁(7月に引責辞任)も地盤の選挙区で敗れるなど党勢の衰退は鮮明になっている。独立以降長年インドを統治してきたインド随一の名門政党はどこに向かうのか。

 ◇見失ったイデオロギー

 「党としてのイデオロギーがなく、何がしたいのかが全く見えない。私が知る限り、彼ら自身もどこに向かえば良いのか分かっていない。迷路に迷い込んでしまっている」。会議派の依頼で10年以上投票者の傾向などを分析してきたデリー大のスダンシュ・クマール助教はこう指摘する。

 他のインド人専門家に会議派の低迷の理由を尋ねてもたいてい同様の答えが返ってくる。BJPはヒンズー至上主義団体が母体のヒンズー至上主義政党で、良いか悪いかは別として、極めてわかりやすいイデオロギーを持つ。マニフェストの中にも「ヒンズー教寺院の建設」など宗教色を帯びる政策がある。

 一方、会議派はネール以来の伝統の「世俗主義」を掲げてきた。BJPの支持層はヒンズー教徒が大半なのに対して、会議派は人口の14%程度と少数派のイスラム教徒や約2%のキリスト教徒の支持者も多い。だが今回の選挙でラフル氏はヒンズー教の寺院巡りを繰り返すなど、「ソフトなヒンズー至上主義」とも言える路線を取った。BJPからヒンズー教徒の票を奪い返すための戦略だったが、印シンクタンク・政策研究センターのラフル・バルマ研究員は「縮小版のヒンズー至上主義を訴えたところで、ヒンズー至上主義に魅力を感じる有権者は『本家』のBJPに流れる。経済や福祉の面でもBJPより魅力的な政策を打ち出せず、党としての力量がBJPより圧倒的に低いことを露呈した」と厳しい。

 ◇ヒンズー至上主義の拡大を招いたとの指摘も

 会議派の歴史に触れておきたい。1885年に結成され、1947年のインド独立以降は長年にわたって政権を担ってきた。かつては1党優位体制が「コングレス(会議派)・システム」とも呼ばれた。ネール、娘のインディラ・ガンジー、孫のラジブ・ガンジーといった3人の首相を輩出した「ネール・ガンジー家」が長らく党をけん引した。

 ネールの時代は選挙の投票率も高くなく、国民の政治への関心も低かったと言われる。だがインディラ氏がリーダーとなった1960年代になると、退潮が目立ち始めた。党内対立が表面化したほか、インディラ氏の強権的手法も反発を呼んだ。77年には反会議派でまとまった野党に敗れ、初めて政権を失った。その後、野党の分裂などで政権を奪還することはあったが、もはやかつてのような1党優位時代は終わっていた。80年代になると、低位カーストなどそれぞれの社会集団を基盤とする政党が台頭する「アイデンティティー政治」の時代に入り、多党乱立状態に。会議派の支持基盤は割れるようになり、弱体化が進んだ。

 会議派はこうした衰退が進む状況の中、80年代後半から多数派のヒンズー教徒寄りの政策を取るようになった。これがヒンズー至上主義を勢いづかせることになり、結果的にBJPの台頭につながった。バルマ氏は「会議派は安易に宗教を政治基盤強化に利用したため、ヒンズー至上主義の台頭やBJPの拡大を招いた。実際は『世俗主義』の政党と言えるか怪しい」と話す。BJPは80年代後半から急速に党勢を拡大し、96年には短命に終わったが、政権交代を実現させた。会議派は14年の前回総選挙で160議席以上減らして44議席となり、挽回を期した今回も52議席にとどまった。


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