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欧州情勢・西洋事情

63チバQ:2014/06/29(日) 15:43:32
http://mainichi.jp/select/news/20140629k0000m030088000c.html

第一次大戦100年:ボスニア首都で式典 民族間の溝深く

毎日新聞 2014年06月29日 08時00分(最終更新 06月29日 09時22分)


 【ウィーン坂口裕彦】セルビア人民族主義者がオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻を暗殺、第一次世界大戦のきっかけとなった「サラエボ事件」は28日、発生から100年を迎えた。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボでは同日夜(日本時間29日未明)、イスラム教徒のボスニア人主体のサラエボ市当局が、オーストリアからウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を招き記念式典を開くが、セルビア人側は「暗殺者」を賛美する独自式典を開くなど、民族間の溝がなお深いことを印象付けた。

 1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント皇太子夫妻は、多民族国家だった帝国からの解放を求める19歳のセルビア人青年ガブリオ・プリンツィプに暗殺された。翌月には世界を巻き込む大戦が始まり、4年超にわたる戦争で約1500万人が犠牲となった。

 サラエボ市の式典会場は、ボスニア内戦(92〜95年)の初めにセルビア人武装勢力の砲撃で焼け落ち、今年5月に再建された国立図書館。皇太子夫妻が暗殺直前に立ち寄った場所で、オーストリアのフィッシャー大統領も出席し和解をアピールする。だが、セルビア側は「セルビア人犯罪者の手で焼け落ちた」と銘板に書かれたことなどに反発し、記念式典に応じない構えだ。

 100年後のプリンツィプへの評価は、民族間のしこりを象徴する。セルビア人の多くはプリンツィプを「民族自決に若き身をささげた聖人」(カフェ経営のミロスラブさん)などと「英雄」視するが、ボスニア人やクロアチア人は「暗殺者」と冷ややかだ。

 現地の報道によると、サラエボのセルビア人居住区では27日、プリンツィプをたたえる銅像の除幕式が開かれた。ボスニア・ヘルツェゴビナでは8カ月ごとの輪番制で、ボスニア人とクロアチア人、セルビア人の代表が国家元首を務めるが、出席したセルビア人代表のラドマノビッチ氏は「自由のための100年前の行動は、今後我々が進むべき100年の方向を示している」と事件を正当化した。

 【ことば】ボスニア内戦

 ボスニア・ヘルツェゴビナが1992年に旧ユーゴスラビア連邦から独立宣言したのをきっかけに、セルビア人とクロアチア人、ボスニア人(イスラム教徒)による三つどもえの内戦に突入。20万人以上の犠牲を出し、95年に和平合意に調印した。一つの国家にクロアチア人とボスニア人主体の「ボスニア連邦」と「セルビア人共和国」という「国家内国家」が併存する。


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