[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
4501-
4601-
4701-
4801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
欧州情勢・西洋事情
4143
:
チバQ
:2022/06/13(月) 22:08:41
937 チバQ 2022/06/13(月) 17:37:44
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2e65c46eb2977e3c04ae330004fee98ce57df88
エリートで固めた左派の末路 仏社会党の転落
6/11(土) 9:49配信
毎日新聞
ジョレスが暗殺されたパリのカフェ「クロワッサン」=2022年4月25日、宮川裕章撮影
店内には一人の客もいなかった。フランス大統領選決選投票翌日の4月25日の夕方、パリ2区のカフェ「クロワッサン」を訪れた。
床には「1914年7月31日」と記されたタイルが埋め込まれている。欧州で1000万人とも言われる死者を出した第一次世界大戦の直前、最後まで反戦平和を訴えたフランス社会党の創始者の一人、ジャン・ジョレスが、国家主義者の凶弾に倒れた場所だ。今は知る人ぞ知る社会党の聖地となっている。
◇存続の危機
ジョレスは雄弁な政治家で、哲学者、ジャーナリストとしての顔も持った。1905年には分裂していた左派をまとめ、今の社会党の源流となるSFIO(統一社会党)を設立。労働者の地位向上に尽力した。政府が開戦に傾く中、ジャーナリストとして反戦の論陣を張った。その死は国民から惜しまれ、今もフランス中の学校、通りにジョレスの名前が冠される。
カウンター席に座り、エスプレッソを注文した。「新型コロナウイルス禍でもともと客は減っていましたけど、社会党の人気が落ちたことも関係あるかもしれませんね」。そう店員は言う。
大統領選の社会党候補、アンヌ・イダルゴ氏は4月10日の第1回投票で、得票率1・7%の10位に沈み、上位2候補による24日の決選投票に、その姿はなかった。ジョレスが育てた仏社会党は今、存続の危機に瀕(ひん)している。
◇10年前の勝利
10年前、2012年の大統領選。社会党のフランソワ・オランド氏は右派の現職、ニコラ・サルコジ氏を破り、ミッテラン氏以来、17年ぶりに政権を奪還した。サルコジ氏は新自由主義的経済政策を推進したが、結果を残せず、「右派がだめなら左派」の社会的空気があった。オランド氏は雇用拡大や富裕層への課税強化など、弱者に寄り添う政策をアピールした。
パリ特派員だった私は選挙期間中、社会党選対本部に足を運び、まだ何者でもない党幹部らの会合を取材した。ラフな服装の若者たちが、一夜にして国家運営を担う要職につく姿に、政権交代のダイナミズムを感じた。社会党は、その後の下院選でも圧勝。絶頂の中にあった。
だが、ほころびはすぐに表れ始めた。看板政策だった最高税率75%の所得税は著名人の大反発などで修正に追い込まれ、失業者数も就任時より増えた。企業競争力の強化を狙った法人税減税は「変節」と批判された。
「現実の政権運営能力と理想の両立。それこそがジョレスが目指したものだった。だがこの両立に社会党はいつも苦しんできた」。仏社会党の歴史に詳しいパリ政治学院のジャンフランソワ・シャネ教授(歴史学)は語る。結局、オランド政権は経済政策では中道路線に転換し、失業率などが改善しない中、支持率は低下の一途をたどっていく。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板