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欧州情勢・西洋事情
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:
とはずがたり
:2021/10/15(金) 16:21:55
1830年のベルギー独立革命では、第8代リーニュ公爵のウジェーヌ1世・フランソワ・シャルル・ラモラルが初代ベルギー国王の候補のひとりにもなった。リーニュ家は限りなく王族に近いベルギー最上級貴族なのだ。
李然も結婚後、プリンセス(王子妃)の称号を名乗ることになったが、夫のシャルル王子は、リーニュ公爵家分家の次男坊。一族の中では比較的気楽な立場だ。李然妃との間には2010年に長男アマデオ・ジョゼフ・ガブリエル王子が誕生した。
一方、シャルルの兄でリーニュ公爵家分家の次代当主、エドゥアール・ラモラール・ロドルフ王子(45)はイタリアの女優、イザベラ・オルシーニ(47)と2009年に結婚し、2王女をもうけたものの、跡継ぎに恵まれず焦っていた。このままでは将来、当主の地位はエドゥアール王子亡き後、李然妃の産んだアマデオ王子に受け継がれることになる──と。
幸い2019年にエドゥアール王子・イザベル妃の間に待望の男児、アントワーヌ・タウ・エドゥアール・アドリアン王子が誕生。継承権がアマデオ王子に移ることは避けられた。
一族の長老たちは「中国系に家系が移行せずひと安心」「分家とはいえリーニュ家の当主に中国人の血が入らずよかった」と陰口を叩いた。インスタグラム好きのイザベル妃も、義妹の李然妃と撮った画像のアップは皆無だ。
ほかに香港出身のプリンセスも
欧州の王族に嫁ぎ「プリンセス」の称号を得た初のアジア系女性は、香港出身のアレクサンドラ・クリスティーナ・マンリー(広東語名:文雅麗、マン・ナーライ、57)だ。
アレクサンドラは両親が上海生まれの英国人とチェコ系のオーストリア人で、父方の曾祖母が中国人。ただ金髪碧眼ではなく、豊かな黒髪に切れ長の瞳を持つ、アジアン・ビューティだ。
アレクサンドラは高校まで香港で学び、オーストリアのウィーン経済・経営大学に進学、在学中は日本と英国にも留学した。
卒業後は1990年から1995年まで、香港の投資会社GTマネージメントに勤務。1994年、軍務で香港に寄港していた、デンマーク王子ヨアキム(52)と内輪のパーティーで出会う。
ヨアキム王子は当時25歳、マググレーテ2世女王(81)の次男で海軍中尉、王位継承順位2位(現6位)だった。
当時アレクサンドラは30歳。ふたりの婚約は世界に衝撃を与えた。欧州には10の君主制国家があるが、アジア女性、中華系女性が王族に輿入れしてプリンセスになった例は皆無だったからだ。
しかもアレクサンドラはヨアキム王子より5歳年長の“姉さん女房”。さまざまな雑音のなか、ふたりは1995年11月に挙式しニコライ王子(21)とフェリックス王子(19)の2子を授かる。
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