したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

欧州情勢・西洋事情

3452チバQ:2020/03/22(日) 14:43:27
 ◇左派党穏健派として愛されていた州首相

 「私はメルケル首相と完全に同じ意見です。(難民問題では)欧州による解決が必要ですし、『(難民が押し寄せたギリシャの村)イドメニなんてどうでも良い』などと言うことは許されません」。シリアやアフガニスタンなどから100万人を超える難民申請希望者が押し寄せ、独社会が混乱に陥っていた16年4月、記者の単独インタビューに応じたラメロウ州首相は穏やかな口調でこう語った。左派党幹部がCDU選出のメルケル氏と「完全に同じ」と言うのは、驚くべき発言だ。

 56年に西ドイツ北部ニーダーザクセン州に生まれたラメロウ氏は労働組合での勤務経験が豊富で、90年、東側の労働組合改編を支援するためテューリンゲン州に移った。99年にPDSに入党し、左派党の連邦議会議員などを経て14年、左派党出身者として初めて独連邦州の州首相に就任した。15年9月以降の難民危機では、州内で一貫して人道的な難民受け入れ政策を推進。子育てと仕事の両立を支援する社会政策などで高い支持を得ていた。

 ラメロウ氏は「(統一からの)25年で我々は25万人の人口を失った一方、バイエルン州は140万人の人口増です」と州が抱えてきた課題を説明する。東独の崩壊後、競争力がない東独企業は次々倒産し、隣接するバイエルン州など西独州に、多くの若者が職を求め転出した。州内には空き家だらけの団地も多い。ドイツでは中央政府の機関が難民申請を受けるが、申請者に住居や教育の世話をするのは州政府の仕事だ。ラメロウ氏は州に15年だけで約3万人が割り当てられた難民全員に住居を提供し、子供たちの就学や若者の職業訓練をあっせん。新たな人口流入を地方経済復活の起爆剤にするため、手厚い支援をした。当時、大量の難民受け入れでパニックになり、世論の反発が出ていた難民による家族呼び寄せについても支持を明言していた。

 こうしたラメロウ氏の実績が支持されたことは選挙結果に見ることができる。14年の州議会選では得票率28・2%でCDUに次ぐ第2党だった左派党は19年10月選挙で同31%を獲得し、第1党になった。政変関連の記事で、南ドイツ新聞は「ついに左派党が普通の政党として認識されるようになった」とし、堅実な行政手腕を持ち、党内穏健派とされるラメロウ氏の実績を評価した。

 3月4日、テューリンゲン州議会ではラメロウ氏とAfDのヘッケ氏が州首相候補に立候補し、投票が行われた。いずれの候補も過半数に達せず、3回にわたる投票で、ラメロウ氏は左派党と、これまでの連立パートナーである社会民主党と緑の党の支持を受け州首相に再任された。ただ、3党による新政権は過半数に達しない少数政権だ。3党とCDUは21年4月に前倒し総選挙を行うことで合意している。議会の混乱を狙った提案などで既成政党との対立路線を演出し、政治不信をあおるAfDの存在感増が、政治の安定を壊す新たな事例になった。

 州首相選出直後、議場に立つラメロウ氏の前に議員が並び、次々と握手を交わした。だが、ヘッケ氏の番が来ると、ラメロウ氏は硬い表情でこれを拒んだ。ラメロウ氏は演説で、ヘッケ氏と握手したケメリッヒ前州首相が多くの脅迫を受けたことを示唆し、「人をわなにはめるような会派の思うようにはさせない」と理由を説明した。妥協と異論の尊重を重視する独政界でも、分断が進んでいることを印象付けた。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板