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欧州情勢・西洋事情

3409チバQ:2020/01/28(火) 12:00:36
 ◇和平後に進んだ穏健派の衰退と強硬派の拡大

 ここで、別の面に着目したい。得票率の推移である。英BBCによると、北アイルランド全体で2議席減少となったDUPは得票率を前回総選挙に比べ5・4ポイント落とした。一方、ライバルのシン・フェイン党も6・7ポイント下落した。

 一方で、宗教の別にとらわれないアライアンスは8・8ポイントも増加。2議席を新たに獲得したSDLPは3・1ポイント増で、ユニオニストの穏健派「アルスター統一党」(UUP)も1・4ポイント増という結果だった。

 この結果について、複数の英メディアはDUPとシン・フェイン党という「2大政党」に対して有権者が「罰」を与えたのだと分析した。英紙ガーディアンのアイルランド特派員、ローリー・キャロル記者は、北アイルランド議会のまひ状態や医療など公共サービスの崩壊をもたらしたことへの「罰」であり、両党のブレグジットへの対応に対する反発だと論評した。

 和平合意に基づいて設置された今の北アイルランド議会は、ユニオニストとナショナリストの各党のうち、それぞれの最大勢力となった政党が連立を組んで自治政府を運営してきた。しかし、17年1月にユニオニストの最大勢力であるDUPとナショナリストの最大勢力のシン・フェイン党がエネルギー政策を巡って対立を深めて連立が瓦解し、以降、自治政府不在の状態が続いてきた。そういった政治の停滞や混乱をもたらしたDUP、シン・フェイン党の双方に住民が「ノー」を突きつけた、との見方だ。

 DUPとシン・フェイン党の退潮を歴史的な経緯の中に置いて考えると、とても興味深い。北アイルランドでは2000年代前半以後、ユニオニスト、ナショナリスト双方とも、政治のメインストリームが穏健派から強硬派へと移ってきたからである。ともに強硬派(相手に対する「タカ派」と言っても良い)のDUPとシン・フェイン党が、ここに来て勢力を弱め、再び穏健派が力を取り戻すとすれば、一つの転換点ではある。

 和平合意で大きな役割を果たした立役者は、当時UUP党首だったデービッド・トリンブル氏とSDLP党首だったジョン・ヒューム氏で、2人は和平合意直後にそろってノーベル平和賞を贈られている。合意を受けて行われた98年6月の第1回の北アイルランド議会選では、UUPが第1党でSDLPが第2党。トリンブル氏が初代の自治政府首相に就いた。ユニオニスト、ナショナリスト双方の穏健派がイニシアチブを発揮して、和平につなげたのである。

 しかし、03年の議会選でDUPが第1党になり、シン・フェイン党もSDLPの議席を上回ってナショナリスト勢力で最大会派となった。DUPはこのころ和平合意そのものに反対しており、また、IRAの武装闘争放棄宣言は05年まで待たねばならなかった。強硬派の両党が台頭した背景には、和平合意が成立してもテロが発生し、治安回復などが進展しないことへの住民の不安が大きかったとみられる。和平プロセスが進まずに曲折を経る中、和平合意をけん引した穏健派への支持が低下していったのだ。

 対立する陣営双方の穏健派がけん引した和平の停滞は、穏健派の退潮につながり、台頭した強硬派同士の協調は機能したものの、その後の関係悪化が政治停滞を生み、再び穏健派に勢いが生まれつつある――そんな状況のように思える。

 1月10日、DUPとシン・フェイン党の双方が、英国とアイルランド両政府の仲介案を了承し、自治政府再開で合意した。新たな連立政権には両党に加え、アライアンス、SDLP、UUPの穏健派3党も参加するという。穏健派を支持した住民の投票行動が、強硬派の「2大政党」に和解を強く促したのは間違いない。強硬派から穏健派へ。政治の潮目が変わった北アイルランドがどこに向かうか注目だ。


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