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欧州情勢・西洋事情
3320
:
チバQ
:2019/11/05(火) 19:29:02
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-191104X202.html
癒えない分断後遺症、付け込むポピュリズム=旧東独・ベルリンの壁崩壊30年
2019/11/04 14:49時事通信
【ベルリン時事】ベルリンの壁崩壊から、9日で30年。壁の外の自由への熱気が広がった当時と対照的に、旧東独地域では今、市民の不安を背景に、移民や難民の流入を拒む右派政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が台頭。急激な民主化の陰で30年たっても癒えない東西分断の後遺症が、ポピュリズム(大衆迎合主義)に付け込む隙を与えている。
◇同じスローガン
「われわれこそ人民だ」。1989年9月、ライプチヒを皮切りに東独中に広がり、壁崩壊のきっかけをつくった民主化運動で、数万人がシュプレヒコールを上げた。運動に参加し、統一後の連邦議会(下院)で初の旧東独選出議員となったティールゼ元下院議長(76)は「独裁に抵抗する勇気を奮い起こす叫びだった」と振り返る。
30年後の今、AfDは旧東独で同じスローガンを掲げる。ただし「国民は移民や難民でなく、ドイツ人たるわれわれだ」という意味だ。ティールゼ氏は「(AfDが)民主化の記憶を悪用している」と憤る。
AfDは2013年、反ユーロ政党として誕生。出自に旧東独と関わりはない。しかし旧東独を「統合の犠牲者」と位置付け、支持を集める戦略は奏功している。5月の欧州議会選では旧東独5州の約4割、31選挙区で得票率1位となった。
◇移民より旧東独
得票率が3割超と特に高かったポーランドとの国境の街、ゲルリッツ。映画「グランド・ブダペスト・ホテル」が撮影された旧市街が残る歴史ある街だが、失業率は12%と全国平均の4倍で、独で最悪級の水準だ。
6月の市長選では、AfD候補が優勢で決選投票に進出したが、初の「AfD首長」を阻止しようと与野党が結集、俳優らも多く駆け付け、AfDは逆転負けを喫した。
AfD候補を支援した企業コンサルタント、ペーター・シュターンさんは「統一後、東独の多くの企業が西独にただのような値段で買い取られた」ことが貧困の理由だと悔しそうに話す。統一後の民営化では、東独で1万4600社が一気に売却された。買い手の大半は西独企業。混乱の中、優良企業も含め買いたたかれたとの不満は強い。
ドイツの主要株価指数を構成する30企業は、今も西側に集中。職を求め、90年以降120万人が西側に移った。こうした経緯に不満を持つ層に「移民よりまず旧東独市民統合を」というAfDの主張は響きやすい。
旧東独の経済指標は改善している。政府によると、平均月給は統計開始時の96年から昨年までに約1000ユーロ(12万円)増加した。ただ、西側を2割前後下回るという格差は、この間ほとんど縮まっていない。
ティールゼ氏は「西側に追いつこうと必死でやってきた市民が、グローバル化などの新たな変化に疲弊している」ことを、政治がくみ取れなかったと悔やむ。ナチスや東西分断については、多くが語られてきたドイツ。しかしポピュリズム克服には、壁崩壊後の30年をどう総括するかという課題が突き付けられている。
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