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欧州情勢・西洋事情

2917チバQ:2018/12/18(火) 15:46:30
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181214-00000009-mai-eurp
伝統か人種差別か 冬のオランダを分断する黒塗り論争
12/14(金) 9:01配信 毎日新聞
伝統か人種差別か 冬のオランダを分断する黒塗り論争
人種差別か伝統か。オランダで論争が続く黒塗りの「ズワルト・ピート」=AP
 オランダの子供たちにとって12月5日は特別な日だ。赤い冠とマントをまとい、白く長いひげをたくわえたシンタクラース(聖ニコラウス)がプレゼントを届けにやってくる。オランダ移民と共に開拓時代の米国に伝わったこの風習は、「サンタクロース」に姿を変えてクリスマスの象徴として定着したとされる。子供たちに夢を届けるシンタクラースは例年、オランダ国内を二分する論争の火種も運ぶ。それは顔を黒塗りにしたズワルト・ピート(黒いピート)と呼ばれる従者の存在だ。

 ◇顔を黒く塗り、唇を赤く誇張した縮れ毛の従者

 伝承によるとシンタクラースは11月半ばにスペインから蒸気船に乗って到着し、白馬とピートを従えてプレゼントを配る旅に出る。19世紀半ばに出版された絵本がこの設定の元になっているようだ。この時期、オランダ各地でシンタクラースの到着を祝うパレードが行われる。多くの場合、従者のピートは白人が顔を黒く塗り、唇を赤く誇張したメークに縮れ毛のかつらをかぶって仮装する。黒塗りのピートが「人種差別」にあたるとして反対派は容姿を変えるよう求めているが、「伝統」を重視する強硬な擁護派は受け入れない。

 反対派のグループは今年、黒塗りのピートを公共放送の番組に登場させないよう裁判を起こしたが、11月半ばに棄却された。地元メディアによると、判決は反対派と擁護派双方の立場に配慮を示した上で「議論を続けることの重要性」を説いたという。

 判決直後にオランダ中部の港では例年通りシンタクラースが黒塗りのピートを連れて上陸するイベントが行われた。続いて国内各地で開催されたパレードでは、反対派に対する暴力で拘束者が出たり、安全確保の目的で反対派のデモが中止に追い込まれたりした。

 ◇反対派は「奴隷貿易を想起させる」と批判

 オランダで黒塗りのピートを巡る議論が先鋭化したのは2011年のことだ。「ズワルト・ピートは人種差別だ」と書いたTシャツを着たカリブ系移民の活動家が警察に拘束された事件がきっかけだった。カリブ史とオランダ文化に詳しいエラスムス大学ロッテルダムのアレクサンドル・バン・スティプリアーン教授によると、議論は1960年代から続くものだという。

 反対派の中には、オランダがかつて展開した奴隷貿易を想起させるという主張がある。とりわけカリブ海に面した南米大陸北部スリナムの植民地支配がその典型例とされる。17世紀からオランダの植民地となったスリナム(1975年に独立)では、アフリカ大陸から移送された黒人奴隷を搾取し、砂糖などのプランテーション経済が発展した。

 1970年代以降、オランダ本土にはスリナムを含むカリブ地域の旧植民地から多くの移民が渡った。バン・スティプリアーン氏によると、黒塗りのピートに反対する運動には移民の2世・3世の代が積極的に加わっているという。

 欧州各地には聖ニコラウスを巡る同種の風習が残り、広い地域でピートの代わりに「悪い子を正す」という魔物のような生物が同行する。

 「従者が典型的な黒人の容姿をしているのはオランダとその周辺だけだ。反対派はこの苦痛とも言えるステレオタイプにあらがっている」「『伝統を変えてはいけない』という主張がある。しかし、伝統は新たな環境と共に変わる。黒塗りのピートの歴史はわずか160年だが、(シンタクラースの起源とされる聖人の)聖ニコラウスには2000年近い歴史がある」(バン・スティプリアーン氏)


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