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欧州情勢・西洋事情

281旧ホントは社民支持@鹿児島市:2015/01/09(金) 23:06:14
慎みある表現の自由は可能か
念のために繰り返せば、丸腰の民間人をいきなり銃撃するようなテロは容認されるべきでありません。また、権威や権力をもたない人間が、それぞれの思想・信条を理由に抑圧されないようにするために、表現の自由は最大限に尊重されるべきと思います。

しかし、他方であらゆる原理がそうであるように、表現の自由にも複数の顔があります。絶対的に「表現の自由」を尊重する立場からすれば、イスラームへの揶揄に憤慨するムスリムに対して、「異論があるなら、お前たちもキリスト教社会を風刺すればいい」と言い放つことにさえなり得ます。しかし、ヨーロッパ各国におけるムスリム団体が、腕のいい風刺漫画家を雇い、大手の広告代理店と契約し、新聞社などのメディア企業を運営しながらホスト社会を揶揄することは、実際問題としてほぼ不可能です。それと知りながら、表現の機会を多く持つ社会的強者あるいは多数派がそれを強調するとき、それは弱者あるいは少数派に対する、ただの挑発や侮辱、さらには抑圧にさえなり得ると言えるでしょう。

恐らく、今後ともイスラームに対する風刺は欧米世界でなくならないとみられます。それを自粛して「暴力に屈した」とみなされたくないという心理が働くことも、充分に予想されます。しかし、強者の論理を内包する表現の自由をひたすら振りかざすことは、正面から欧米諸国と敵対するテロリストだけでなく、欧米諸国との、あるいはそのなかでの共存を望むムスリムとの確執を深める以外の効果を想定しにくいのです。同様のことは、特定の民族や人種に対するヘイトスピーチやヘイトクライムなどが横行する、日本を含む各国についてもいえるでしょう。

先述の「王女」エピソードに関して、サイードは以下のように述べています。「『王女』のフィルムの事件が起き、『われわれ』が『かれら』の偽善と腐敗を、声を大にして嘆いた時、『かれら』の側では『われわれ』の力と無神経に憤慨したのだ。そのような対立が、さらに、『われわれ』と『かれら』の間の議論の溝を広げたため、真の討論や分析や交流は事実上、問題外となってしまった。こうして、ムスリムのアイデンティティは『西洋文明』という一枚岩の勢力圏との会戦に敗北することにより、強化される傾向にある」(サイード, p.161)


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