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欧州情勢・西洋事情

2365チバQ:2017/10/22(日) 10:17:20
http://www.sankei.com/world/news/171021/wor1710210027-n1.html
2017.10.21 22:12

シリア難民が夢に見たドイツで直面した厳しい現実 疎外感に悩み帰国
 シリアの首都ダマスカスでは、6年半を超えた内戦の中でドイツ語を学ぶ若者が増えた。市内が多少なりとも平穏になったからか、ピーク時より少し減ったというが、「いまでも外国語の中で最も人気がある」(語学学校の教師)という。半面、地中海を渡って難民としてドイツに住んだものの、疎外感に悩んでシリアに帰国するケースもある。(ダマスカス 佐藤貴生、写真も)

 今月中旬、ダマスカスにある語学学校では、生徒たちが小さな教室に分かれて外国語を学んでいた。ドイツ語の教室では、15〜31歳の女性5人が、配られたシートを見ながらアルファベットの発音を勉強していた。

 「生徒は内戦が起きてから昨年まで増え続けた。一時期はシリア全土で2千人に達したといわれる。以前に教えた生徒の多くはドイツに渡って住んでいる」。教師のリヤド・ハルーンさん(36)が言った。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、欧州へのシリア人の難民申請数は内戦発生から今年7月までの間に約97万人に達した。うちドイツへの申請数は約51万人と全体の半数以上を占める。

 「外国語は優れたツール。渡航して働き口も探せる」「すでに多くの友人がドイツに住んでいる」。生徒たちが話した。しかし、現実はそう甘くはない。

 市内のホテルで会ったサーラ・ゼインさん(22)は2年前の11月、母親とともにドイツ行きを決意。ベイルートからトルコに飛び、同国西部イズミルからゴムボートでギリシャに渡った。“渡航料”は1人約1700ドル(約19万円)だった。

 「ダマスカスでは移民船のブローカーの連絡先も知れ渡っているので、連絡を取った上で出国した。トルコでは寒い海岸に未明に集められ、約70人が乗ったボートで出発し、3時間でギリシャに着いた。海岸では支援団体の人々が待っていて、毛布を渡してくれた。『助かった。まだ生きている』と思った」

 その後、クロアチアやスロバキアなどをへて、4日ほどでドイツに到着した。所々で移民専用の無料の列車やバスに乗ったが、夜通し歩いたこともあった。

 夢にまで見たドイツ。旧東独ハレに無料で部屋を割り当てられ、ドイツ語習得のため連日学校に通い、夜中も勉強した。それでも、周囲の環境に耐えられなくなったという。

 「美しい街だったけど、毎週月曜日に難民の住宅の周囲でデモがあり、『よそ者は出ていけ』と連呼する。何でもかんでも多数の文書をそろえなくてはならず、気晴らしにベルリンに出かけようとしても目的や宿泊先、会う予定の人の名などを文書に記載しなくてはならない。大半は好意的な人々だったけど、友達もできなかった」

 ゼインさんはそう言うと、ひじに残る発疹を見せながら続けた。「いまはよくなったけど、鬱病で発疹が顔中にできた」

 ドイツ到着から1年8カ月後、母を残してイラン経由でシリアに戻った。婚約者はスウェーデンに渡ったまま帰らず、音信も途絶えた。

 「ドイツへの移住はすすめない」。ゼインさんはそう話すと、間近で戦闘が起きているにもかかわらず、「ダマスカス以外にはもう行きたくない」と言った。


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