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欧州情勢・西洋事情

2295チバQ:2017/09/25(月) 20:11:58
■東独育ちのポーカーフェース

 1954年にアンゲラ・ドロテア・カスナー(Angela Dorothea Kasner)としてドイツ北部の港湾都市ハンブルク(Hamburg)に生まれたメルケル氏は、生後間もなくして、ルーテル(ルター派)教会の牧師で左派の父親に連れられ、当時の人々の流れに逆行するように東側の小さな町に拠点を移した。

 伝記作家らによれば、警察国家で育ったことでメルケル氏は常にポーカーフェースを保ち、本音を隠すようになったと言われている。大半の学生たちに倣って、国家が主導する若者の社会主義運動に参加したが、旧東ドイツの秘密警察シュタージ(Stasi)への情報提供はせず、民主化運動からも距離を取り続けた。

 ロシア語が得意で、学業優秀だったメルケル氏は、ベルリンの壁(Berlin Wall)が崩壊した1989年ごろに当時結成されたばかりの「民主主義の出発(DA)」に入党。DAは後に、キリスト教民主同盟(CDU)と合流する。当時のヘルムート・コール(Helmut Kohl)首相からは、庇護(ひご)者のような立場でかわいがられると同時に「お嬢ちゃん」と呼ばれ下に見られてもいた。

■メルケル氏を見くびった政治家は痛い目に

 しかし、メルケル氏を見くびり、その代償を支払わされた政治家は少なくない。コール氏もそのうちの一人だ。1999年にコール氏が選挙献金問題で渦中の人物になると、メルケル氏はコール党首の解任を呼び掛けた。

 この動きで一躍注目を集めたメルケル氏は、アウトサイダーの立場からCDUを改革。進歩的な社会政策、徴兵制廃止、脱原発路線などを打ち出してきた。

 債務危機をめぐっては、危機に見舞われた欧州を支えるリーダーとして存在感を発揮。緊縮策を迫ったギリシャなどの南欧諸国からは「緊縮の女王」とのあざけりを受けた。

 米誌ニューヨーカー(New Yorker)はメルケル氏をこう評している。「頼りない男たちであふれたこの世界で最もパワフルな女性」と。4選を果たしたメルケルにとって国内では敵なしに見える。だが、課題は山のように待ち受けている。(c)AFP/Frank ZELLER


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