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欧州情勢・西洋事情

2260チバQ:2017/09/15(金) 13:12:58
https://mainichi.jp/articles/20170909/ddm/007/030/067000c
2017ドイツ総選挙

深層・右派台頭/2 党首排除し路線変更 国政へ保守票狙う

毎日新聞2017年9月9日 東京朝刊
 「2047票、60%相当を獲得し、フラウケ・ペトリ氏が勝利しました」

 2015年7月、「ドイツのための選択肢」(AfD)はドイツ西部エッセンで開かれた党大会で、反欧州連合(EU)の象徴的存在として党を率いてきたベルント・ルッケ氏を党首の座から排除した。代わりに化学者出身の保守派フラウケ・ペトリ氏と経済学者のイエルク・モイテン氏による共同党首体制が発足した。

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 経済政策政党としてのAfDを率いてきたルッケ氏はテレビカメラの前で「党員にとって、外国人受け入れ策やイスラム教が重要議題だった」と力なく敗因を分析し、直後に党を去った。エッセン党大会は、AfDが右傾化路線にかじを切る分岐点になった。

 AfDは13年の連邦議会総選挙では国政進出を逃したものの、14年5月に欧州議会に進出。8月には東部ザクセン州議会選で9・7%を得て初めて州議会に議席を得た。その後も次々と議会進出した旧東独の州の党トップには、経済政策重視派ではなく保守派の大物が就いた。移民対策や反イスラム政策を求める保守派の党の州幹部とルッケ氏の対立が徐々に表面化する。

 対立が鮮明になったのは、東部ドレスデン発祥のイスラム排斥運動「ペギーダ」との関係を巡る対応だった。

 15年1月、パリで仏風刺紙シャルリーエブド襲撃テロが起きると、ペギーダはドレスデンで大規模な反イスラムデモを展開。批判的な報道機関を「うそつき」と罵倒し、記者に暴行したペギーダを、保守派の重鎮、アレクサンダー・ガウラント副党首が「仲間」と表現。「ペギーダとの協力はない」とするルッケ氏は、最大派閥保守派の台頭に孤立を深めた。

 連邦政府(国)と州政府の権限が明確に分けられているドイツでは、地方で実績を積み全国区の人気を得た政治家が国政を率いることが一般的だ。国政政党への飛躍を目指す保守派は、東部州で強い反イスラム世論の受け皿になることで、極右も含む右派支持層の取り込みを狙った。

 AfDの連邦議会議員候補で反イスラムの急先鋒(せんぽう)、ニコラウス・フェスト氏は「外国人流入問題を無視したルッケ氏は大きな失敗を犯した」と党の路線変更を支持する。しかし、党内対立の代償は大きく、エッセン党大会後に支持率は4%にまで下落。国政進出の下限である政党得票率5%に届かず、国政進出は不可能と見る向きが広がった。だが、こうした流れを一気に変える混乱がドイツに起きる。それは保守派にとってまたとない「贈り物」(ガウラント氏)でもあった。【ベルリン中西啓介】=つづく


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