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欧州情勢・西洋事情

177チバQ:2014/10/21(火) 21:41:47
 ◇壁崩壊を巡る世界の動き

<1961>

8月13日   東独政府が壁の建設を開始

<1985>

3月11日   ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が就任。以後、ペレストロイカ(改革)開始

<1987>

6月12日   レーガン米大統領が西ベルリンで「ミスター・ゴルバチョフ、壁を壊しなさい」と訴える

<1989>

3月13日   旅行自由化を求め、東独ライプチヒで数百人がデモ

5月2日   ハンガリーがオーストリア国境の鉄条網を撤去し、東欧での旅行自由化機運が高まる

6月4日   中国で天安門事件が発生し、民主化デモが鎮圧される

6月4〜18日 ポーランドで初の自由選挙実施

9月11日   ハンガリー、東独市民のためにオーストリア国境を開放

10月9日   東独ライプチヒで7万人がデモ

10月18日   東独指導者のホーネッカー社会主義統一党書記長が辞任

11月4日   東ベルリンで100万人がデモ

11月9日   ベルリンの壁崩壊
11〜12月   チェコスロバキア、ルーマニアなど東欧の共産党独裁体制が次々に崩壊

12月3日   ブッシュ米大統領とゴルバチョフ・ソ連書記長がマルタ会談で冷戦終結を宣言

<1990>

10月3日 東西ドイツ統一

 【ことば】ベルリンの壁

東独政府は1961年8月13日、東ベルリン市民の西側への流出を防ぐため、西ベルリンとの通行を遮断し、壁を築き始めた。一部は70年代まで建築が続き、総延長は約155キロ、高さ約3.6メートル。壁を越えて西側への逃亡を図り、撃たれるなどして死亡したのは少なくとも136人に上る。欧米は物資輸送や交通路確保で西ベルリンを支援する一方、サッチャー英首相のように「強大な統一ドイツ」出現を恐れ、実際は壁の存続を望む首脳も多かったとされている。89年11月9日に崩壊した。


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