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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ
616
:
名無しさん
:2016/07/24(日) 20:26:23
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072100139&g=pol
ゴルバチョフ氏は「強硬派」=日英首脳会談で懐疑論-就任前の84年・英外交文書
【ロンドン時事】東西冷戦時代の1984年、サッチャー英首相と中曽根康弘首相の会談で、後にソ連大統領となるゴルバチョフ氏に関して「歴代の指導者以上に(西側に対し)強硬路線を取る可能性が高い」と分析されていたことが、21日解禁の英外交文書で明らかになった。ゴルバチョフ氏はソ連最高指導者として「新思考外交」を展開、冷戦終結の立役者となったが、就任前は西側で警戒と懐疑論が根強かったことがうかがえる。
文書は84年6月11日付で、サッチャー氏と訪英した中曽根氏の会談を記録したもの。両首相はソ連情勢を協議し「次の指導者」と目されていたゴルバチョフ氏についても意見交換した。
会談では「ゴルバチョフがチェルネンコ(ソ連共産党書記長)を継いだら、問題は戦争を知らない世代の者(第2次大戦終戦時14歳だったゴルバチョフ氏)が、より強硬な路線を取るかどうかだ。その可能性は非常に高い」と結論付けられた。「ソ連の制度は全く変化を許容せず、彼ら(指導部)にとって重要なのは自分たちに権力をもたらした制度を維持することだ」とソ連指導部への不信感を浮き彫りにしていた。
ゴルバチョフ氏は84年12月、訪英してサッチャー氏と初会談。「反共反ソ」だったサッチャー氏だが、それまでのソ連指導者とは異なる人物と判断、この時点でゴルバチョフ氏を「彼となら仕事ができる」と高く評価した逸話は有名。ゴルバチョフ氏は翌年3月に54歳で書記長に就任、ペレストロイカ(改革)路線で民主化を推進した。(2016/07/21-09:10)
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