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ロシア・韃靼・ユーラシアスレ

1651とはずがたり:2022/03/11(金) 10:45:04
>>1648-1651
 そして1954年に、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国から、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ移譲された。

 ソ連崩壊後は、クリミア半島はそのまま独立したウクライナの領土になった。

 このように、クリミアは何回も支配者が変わっている。それでは、クリミアは「元々」どこの領土なのか? クリミア半島は「元々」ロシアの領土ではない。ギリシャ人に800年支配され、クリミアタタール人の国家が340年存在したが、どちらも、ロシアが支配していた約200年より遥かに長い。だから、ロシアがクリミア半島領有の主張を歴史に求めるのは、まったく正当性がない。歴史的に支配者が何度も変わった地域に関しては「元々ウチの領土だ」という主張自体がおかしい。「元々」の時期を自分に都合のいい時代に設定すれば、多くの国が「クリミアは元々うちの領土だ」と言えるからである。

民族自決権はその地域の先住民に及ぶもの

 最後にクリミアの人口構成と世論について考えよう。現在のクリミア半島の人口構成とはおおよそ、ロシア人6割、ウクライナ人3割弱、クリミアタタール人は1割である。これを根拠にロシアやロシアの侵略を正当化する人達は、クリミア住民は民族自決権に基づいてロシア帰属を選んだと主張する。

 この論理は本当に詭弁の極みである。そもそも、現在の国際関係においては、国境不可侵の原則は民族自決の原則に勝るという慣習がある。…

計画的な移住による人口構成の変化

 さらに、そもそも現在のクリミア半島の人口構成は自然なものではなく、人工的に作られたのである。1783年までにクリミア半島にロシア人は殆どいなかった。戦争でクリミアを取ったロシア帝国は計画的に半島にロシア人を移住させていた。帝国政府はクリミア本当のロシア化を狙い、クリミアタタール人を差別していた。そのため、ロシアの統治に耐えられず、多くのクリミアタタール人はクリミアから移民した。ロシア帝国の130年の間、50万人以上のクリミアタタール人は半島を出た。総人口の100万人もない民族にとっては、大きすぎる数字である。当然、帝国政府はクリミアタタール人の流出を喜び、その代わりにロシア人を住まわせた。

 しかし、とどめを刺したのはスターリンであった。彼は1944年にクリミアタタール人の追放を命じて、ソ連の治安部隊はクリミアに住んでいた全てのクリミアタタール人(当時、約25万人)を強制的に貨物列車に入れて中央アジアに移動させた。移動中や到着直後の過酷な環境で、約5万人つまり5人に一人が死亡した。ちなみに、これもソ連の公式な統計で、クリミアタタール人の活動家の主張によれば、民族の46%つまり10万人以上が死んでいるということだ。

 その結果、クリミアタタール人はクリミアからいなくなり、その代わりにまた新たにロシア人が入ってきた。クリミアタタール人に故郷へ戻ることが許されたのは1989年である。それまでに彼らはソ連当局から、「ファシストの協力者」とレッテル張りされ、50年間も中央アジアで過酷な環境で生きざるを得なかった。だからクリミアタタール人とはロシアに非常に虐げられていた民族である。

 以上の経緯から、現在のクリミア半島の人口構成は自然なものではなく、計画的な移住、民族浄化、弾圧、虐殺の結果である。この経緯から見ると、クリミア半島に住んでいるロシア人には個々人の罪はないが、少なくとも彼らにはクリミア半島の運命を決める権利はどの観点から見てもない。

先住民のクリミアタタール人の意向は?

 それでは、そのクリミアタタール人だが、彼らはクリミア帰属をどう考えているのか。それも明確である。クリミアタタール人のほとんどがクリミア半島はウクライナの不可分の一部であり、クリミアのウクライナ帰属以外の解釈はあり得ないと考えているのだ。

 ちなみに、クリミアタタール人の投票行動からも彼らの姿勢は明らかである。ウクライナでも保守右派、中道派、左派、親露派の政党はあるが、クリミアタタール人は国政選挙のたびに決まってウクライナの右派に投票している。だからクリミアタタール人は立派なウクライナの愛国者である。…


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