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左翼・革新・護憲 斗争スレ
593
:
とはずがたり
:2017/05/24(水) 17:19:00
京大にいたのは中核派で革マルはいなかったような気がするけどどうだったんやろ?
日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%9D%A9%E5%91%BD%E7%9A%84%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F%E9%9D%A9%E5%91%BD%E7%9A%84%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%B4%BE
反APECデモを行うヘルメットにマスク姿の革マル派活動家(2010年11月13日)
日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(にほんかくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめいかくめいてきマルクスしゅぎは、略称:革共同・革マル派[1]、通称:革マル派)は、革共同系の日本の新左翼党派の一つ。
1962年の革共同第三次分裂により結成された。「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げる。理論的指導者は黒田寛一。公然拠点は解放社。機関紙は月刊『解放』と隔月刊『新世紀』(旧『共産主義者』)。学生組織はマル学同革マル派。警察白書では「極左暴力集団」[2]、マスコミは「過激派」と呼んでいる[3]。
革マル派は、1960年代の街頭闘争や全共闘運動などから距離を置き、成田空港建設反対闘争からも排除され、他の新左翼系過激派集団の多くと敵対関係にあった。それは革マル派が東大紛争で、警視庁機動隊が安田講堂に突入する前日、「兵力温存」を理由に戦線を離脱したため、その後残って機動隊と対決していた他の新左翼諸派から「第二民青[7]」「日和見主義」などの批判を受けることになったためである。そして1970年代以降は、中核派等との内ゲバ(過激派同士で対立するグループのメンバーを襲撃して殺傷する行為)事件を繰り返し、双方に多数の死傷者を出してきたが、近年は沈静化している。
(革マル派も)敵対する中核派も革命戦略として同じ「反帝・反スターリン主義」を掲げるが、両派ではその理解の仕方と適用のありかたが異なる[8]。革マル派は中核派に対して、「反帝・反スターリン主義」は「論理的に同時的な戦略」であるのに、これを地理的・時間的に切り離す(反帝を優先する)という原則的な誤りに陥っており、また戦術も大衆運動主義への堕落であり、「街頭行動主義」の「自己目的化」という小ブル急進主義への転落、と批判する。これに対して中核派は革マル派に対し、「反帝・反スターリン主義」の綱領を、閉鎖社会的に経文化する「反動的ドグマ化」に陥っており、階級運動との生きた交流を自己切断する誤りを体質化させている、と反論する。
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