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左翼・革新・護憲 斗争スレ

538とはずがたり:2016/11/27(日) 10:34:36
カストロの仇役としてのバティスタ。
最初の政敵はグラウでそれは倒せたがその次の的がカストロでそれには負けたんだな。

将にアメリカ帝国主義が搾取の限りを尽くしてたお陰でキューバ政府軍も殆ど動かなかったんだな。未だアメリカ帝国主義も力が有ってやりたい放題してた時期だ。

フルヘンシオ・バティスタ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF

来歴

生い立ち
1901年にキューバのバネスで生まれる。ムラート、中国、先住民族の出自とみられる。バネスの高校を卒業後、1921年にキューバ軍に加わる。

軍歴・入閣
バティスタ軍曹は1933年の「軍曹の反乱」をリードした。バティスタのクーデターは臨時政府を倒し、ラモン・グラウ・サンマルティンが1933年9月10日大統領に就任した。バティスタは入閣を要請されたがそれを固辞し軍参謀総長になった。
グラウは翌1934年の1月16日に辞任し(とは註:何故だ?)、その後短時間に大統領が入れ替わる中,1936年5月20日にミゲル・マリアノ・ゴメス・アリアスが大統領に就任、同内閣でバティスタは国防相兼軍総司令官に就任し、政権の実権を握った。バティスタの横暴にゴメスは拒否権を発動したが、逆にバティスタによる議会動員で罷免され、フェルデシオ・ラレード・ブル副大統領が大統領に昇格した。

1938年になるとバティスタは共産党を合法化し、対立する(とは註:グラウ率いる?)真正革命党に対する共闘路線を結ぶ。1939年11月には憲法制定議会選挙が行われるが、バティスタの率いる自由党は共産党と連合するも真正革命党を主とする野党連合に大差で敗北する。

大統領就任
1940年2月の第一回議会では、第一党の真正革命党はグラウを議長に推すが、バティスタの裏工作でマルケス・スターリングが議長に就任した。7月には新憲法が公布、総選挙が行われる。バティスタがグラウを抑え大統領に当選した。

10月にバティスタは大統領に就任する。しかし第二次世界大戦中の1944年に行われた総選挙では、バティスタの推すカルロス・サラドリガスがグラウに敗北する。これを受けてバティスタはアメリカ合衆国のフロリダに逃亡した。

独裁への道

その後キューバでは1948年6月に総選挙が行われ、フロリダのデイトナビーチでカジノを経営していたバティスタは自由党から上院議員に立候補し当選、政界に復帰する。1950年には帰国し、単一行動党を結成する。
翌年には再度の大統領選出馬を表明するが、支持は得られなかった。これを受けて1952年3月10日に、バティスタは軍事クーデターを決行、カルロス・プリオ・ソカラス(とは註:カルロス・サラドリガスはどうなったの?)大統領に辞任を要求。プリオはメキシコ大使館に亡命し、バティスタが大統領に就任した。なお、このクーデターにより同年に行われた議会選挙は無効となった。この時オルトドクソ(保守)党から議会選挙に立候補したものの、選挙の無効により失職した弁護士にフィデル・カストロがいる。

これ以降バティスタは、以前の亡命先のアメリカ政府とアメリカ企業、そしてカジノを経営していた時代のパートナーのマフィアのキューバ国内における利権の保護と引き換えに私欲を満たすようになり、キューバの農業や工業にアメリカ資本が流れ込み、アメリカ企業による事実上の搾取が大手を振って行われることになった。


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