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左翼・革新・護憲 斗争スレ
532
:
とはずがたり
:2016/11/27(日) 10:03:12
フィデル・カストロ――波乱に満ち、光と影が交差したキューバ革命指導者の生涯
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/26/fidel-castro_n_13245796.html
The Huffington Post 執筆者:Dominique Mosbergen
投稿日: 2016年11月26日 19時17分 JST 更新: 2時間前
論争好きの革命指導者で、キューバ共和国の首相、大統領を務めたフィデル・カストロ前国家評議会議長が90歳で死亡したと、キューバ国営テレビが発表した。
世界で最も長く君臨した政治指導者の1人であるカストロは、1950年代にキューバ革命の中心的役割を果たした後、49年間にわたりキューバを統治した。彼はその生涯で、キューバを西半球で最初の共産主義国に変え、冷戦中にアメリカ合衆国のそばで国家元首となり、対立を生む人物という印象を与えた。
カストロは支持者たちから、アメリカその他世界中の政治的大国に立ち向かい社会主義者の理想のために戦った英雄としてもてはやされたが、批評家たちからは、国民に対して数え切れぬほどの人権侵害を犯し、キューバ経済を崩壊させ、100万人以上のキューバ人を難民にした無慈悲の独裁者として見られた。
フィデル・カストロは生涯を通して評価が分かれる人物だった。
私生児として誕生
1926年8月13日、フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルスは、裕福なサトウキビ農家の私生児として、キューバのビラン近郊にある父親経営の農場で生まれた。イエズス会の私立学校で教育を受けたカストロは、勉強もスポーツもできたが乱暴な子供だった。高校では無謀なふるまいをすることから、変人を意味する「エル・ロコ」と呼ばれていたという。このあだ名は1945年にハバナ大学で法律を学び始めてからも付いて回った。
この大学は当時政治活動が盛んで、カストロは政治、そして政治活動に興味を持つようになった。そしてカストロはキューバの民族主義思想に感化され、学生運動の指導者となった。頻繁にストライキやデモを起こし、当時の大統領ラモン・グラウとその政権を非難した。
「フィデルの世代はひどくフラストレーションを感じていました」と、ベテランのアメリカ人ジャーナリスト、ジョージ・アンナ・ゲイヤーは、カストロを特集した2005年の公共放送局PBSのドキュメンタリーでそう語った。「キューバはアメリカ、アルゼンチンと並んで西半球の諸国で最も豊かな国のひとつでした。それでも彼らは、政治的に結集できなかった。彼らはあらゆるリーダーがアメリカによって失脚、殺害、交代させられるのを見てきました??失敗、失敗、また失敗でした」
カストロは大学生の頃に才覚の片鱗を見せていたが、暴力的な活動に参加しているという噂もあった。彼の当時の評判は次のようなものだった。ミルタ・ディアス・バラルトという名の若い女性(カストロが1948年に結婚することになる)と恋に落ちたとき、彼女の兄弟は次のように警告した。「彼がクレイジーなのは分かっているだろう。彼は誇大妄想的でサイコパスで、あなたにミンクのコートを買ったかと思ったら、きっとすぐにあなたを10階から投げ捨てるようになる」
「私を有罪にするがいい、構わない。歴史が私の無実を明かすであろう」。カストロが法廷でこのように発言したのはよく知られている。
革命
カストロは1950年にハバナ大学を修了し、法学博士の学位を受けた。その後カストロは小所帯ながら弁護士として開業した。しかし最も大きな情熱を持ち続けた対象は政治であり、保守党(オルトドクソ)から国会議員となるため、選挙運動を開始した。
しかし1952年3月、フルヘンシオ・バティスタ将軍がクーデターを起こし現職の大統領を追放したため、カストロの政治的野望、そしてキューバの民主主義は頓挫した。独裁者となったバティスタは次第に暴君と化し、バティスタ政権は汚職が蔓延した。
カストロは彼の弟ラウル、そして100人以上の反政府勢力とともにバティスタ政権に対して蜂起した。彼らの目標は国内最大の軍駐屯地の一つであるモンカダ兵営であった。通常、キューバ革命の始まりとされる1953年7月26日に行われたこの攻撃は失敗に終わった。何十人もの反乱分子が捕らえられ、拷問を受け、その後処刑された。カストロと彼の兄弟は捕らえられ懲役15年。
「私を有罪にするがいい、構わない。歴史が私の無実を明かすであろう」。カストロは自身を弁護し、裁判の中で堂々と述べた。
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