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第24回参議員議員選挙(2016年)

2428チバQ:2016/07/19(火) 21:15:59
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160714-00000051-san-l12
【参院選検証 18日間の戦い】(中)民進・連合 水野氏との溝
産経新聞 7月14日(木)7時55分配信

 「民進党公認候補だが、労働組合や連合などの推薦を受けているわけではない。しがらみがないから改革を成し遂げられる」。選挙戦最終日の9日、JR船橋駅前に立った水野賢一は、党の支持母体である連合との関係を“しがらみ”と表現した。事実、選挙戦で連合千葉が推薦したのはもう1人の党公認候補、小西洋之のみ。党全体としては計78万票を集めて1勝1敗という結果に終わり、党勢回復が徐々に進んでいると見ることもできる。だが、この発言は水野と、党や連合との微妙な距離感を表しているようにも聞こえた。

 ◆共倒れを危惧

 「民進党を終の棲家としたい。参院選では2議席を獲得して、自民党の1強に風穴を開ける覚悟だ」。約2カ月前の5月8日。千葉市内のホテルで開かれた民進党県連の結成大会で水野はこう決意を表明した後、小西のもとに歩み寄り、手を差し出した。小西は一瞬驚いたような表情を浮かべたが固く握手を交わし、周囲からは拍手とどよめきが起きた。

 公認候補2人の擁立は党本部の主導で決まった。だが、党勢回復は道半ば。県連内部では「共倒れ」を危惧する声は根強く、党関係者の中には「小西の支援に集中しないと、共産党に出し抜かれる」とささやく者もいた。

 しかも、水野の公認が決まったのは4月。選挙戦直前だったため、票をうまく2人に分けるようにする、地域や所属議員の「区分け」や「人分け」は決めなかった。連合は水野のポスター貼りには協力することになったが、ある県連関係者は「水野は過去に連合を批判している。ポスター貼りの協力を得るのも大変だった」などと明かした。

 ◆波紋を呼ぶ「檄文」

 公示日から1週間たった6月29日夕方。水野はJR稲毛駅前にいた。選挙カーの上から理路整然と安倍政権批判や1期6年の実績などを繰り返すが、周辺で選挙チラシを配るスタッフはわずか。前日の同時刻に同駅前で街頭演説を行った小西の元には、連合関係者や千葉市議など十人ほどが手伝いに来ており、党内の支援体制の違いが垣間見えた。

 また、終盤には同党総支部長らに出された一枚の“檄文(げきぶん)”が波紋を呼んだ。「総力を結集し、厳しい選挙情勢を突破しよう」と記された4日付の文書は、小西の合同選対委員長で県連会長でもある田嶋要と後援会長の連名。選挙戦について自民2人が優勢で「小西は残る一つの議席を共産新人と横一線で争う厳しい情勢」と分析した上で、総支部長や地方議員らに街頭で「選挙区は小西、比例は民進党」と声かけを連日行うよう要請する内容だった。

 水野には一言も触れておらず、一部ではこの文書を「県連が小西に一本化した」と捉える向きもあった。これに対し、県連幹事長の田中信行は選挙後の11日に行われた記者会見で、「檄文は小西の選対として出したもので、県連として出したものではない」と説明。「一部で流布されているような、『水野がもう勝てないから、小西への一本化を県連が決めた』という事実はない」と否定した。

 ◆今後は未定

 選挙戦の結末は、前首相の野田佳彦らが連日応援に駆けつけた小西が47万票を集めて再選。水野は養父で元衆院議員の清らが水野の衆院時代の地盤でもある佐倉市周辺で票の掘り起こしを図ったが、31万票で届かず議席を失った。ただ、懸念された共倒れは回避でき、比例票が伸びたことを受け、田中は「3年前のどん底から回復期に来ている。2人で努力した結果だ」と評価した。

 水野は10日、テレビの選挙報道で落選が濃厚と報じられた後、「民進党からは支援を受けた。感謝申し上げる」と話し、党関係者とも握手を交わした。ただ、今後については「全く決まっていない」と言葉少なに語った。(敬称略)


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