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第24回参議員議員選挙(2016年)

1596チバQ:2016/06/13(月) 22:43:31
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160608/mog/00m/010/009000c
政党の足跡
上 選挙のタイミングで新党 政権批判の受け皿期待し

2016年6月8日
 夏に迫った参院選。国政選挙では、大多数の立候補者が政党(政治団体を含む)に所属し、有権者は各政党が掲げる選挙公約(マニフェスト)を参考にしながら投票先を選ぶことになる。政党を知ることは、政治参加の第一歩。では、現在の政党はどのような歴史を経て今あるのか? その足跡をたどる。【デジタル編集部】

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民進党結党は“衣替え”?
 3月27日、東京都内で新党「民進党」の結党大会が開かれた。衆院議員96人、参院議員60人の計156人が参加(当時)する、自民党に次ぐ勢力が誕生した。大会あいさつで岡田克也代表は「安倍(晋三)政権の暴走を止めなければならない。日本に政権交代可能な政治を実現するラストチャンス。夏の参院選を、危機感を共有する多くの国民と共に戦い抜き、期待に応えよう」と、力を込めた。

 新党とはいうものの民進党は、民主党を法律上の“存続政党”とし、維新の党、改革結集の会、解党した旧みんなの党に所属していた議員という、既存の野党勢力が合流してできた政党だ。民主党は2012年、消費増税の実施を巡って分裂したが、その時に同党を離党した議員の半数が民進党に加わることになった。民進党結党は、いわば民主党勢力の再結集。「民主党の衣替えに過ぎないのでは」という疑問の声が出るゆえんだ。

 民進党に限らず、政党の離合集散の多くは、選挙の年に起きている。自民党が野党に転落した09年衆院選の前には、渡辺喜美元行政改革担当相が自民党を離党し、民主党を除名された議員らとともにみんなの党を結党した。民主党が分裂したのも12年の衆院選前で、この選挙で民主党は政権を失っている。維新の党の結党は14年衆院選の年。橋下徹前大阪市長が大阪都構想実現のため国政進出を図って結党した「日本維新の会」と、みんなの党解党後に作られた「結いの党」が合流して発足した。

カギ握る「大事な時に結束」
 選挙のタイミングで新党が作られるのは、既存の政党に批判的な有権者の受け皿となれば議席を確保できるという期待があるからだ。1993年の衆院選では、前年に結党したばかりの日本新党など三つの新党が合わせて100を超す議席を得て、歴史的な「非自民連立政権」誕生に至った成功例がある。とはいえ、中には、所属している政党の支持が低迷していて選挙に勝てそうにないので離党して……という“打算”がうかがえるケースもあり、新党結党の理由は単純には言い切れない。

 今回、民主、維新両党が合流に踏み切ったのにも、選挙が関係している。党を一つにして「反自民票」の分散を少なくしなければ、夏の参院選に勝てないという判断があった。一方、政策実現のため意見が一致する人々が集まるのが「政党」だが、かつての消費増税の対応をはじめ、両党のこれまで主張には隔たりがある。

 結党大会後の記者会見では、この点がただされた。「憲法、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)、消費税率など、基本政策をとっても党内に温度差がある」との記者の指摘に対し、岡田代表は「党の中で、今、問題が生じていると思わない」と否定。「一つ一つ議論して、最終的に私が判断する」と、自らリーダーシップで党内をまとめる決意を示した。

 民進党の前身である民主党は、09年の衆院選(=総選挙)で圧勝し、第二次世界大戦後、総選挙で単独過半数を得て政権交代を実現した初めての政党となった。だが、わずか3年余りで国民の信頼を失って下野。政策が二転三転し、党内の内紛も絶えず、「大事な時に結束できなかった」(岡田代表)ことが大きい。

 民進党が民主党の二の舞いとならないためには、選挙という当面の目標を通過した後も、党がまとまりを保ち続けられるかにかかっている。


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