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第24回参議員議員選挙(2016年)

104チバQ:2015/06/19(金) 23:33:42
大野の知事選転出は消えたと

2010参院選
当 関口昌一 自民党 現 655,028 3
当 西田実仁 公明党 現 594,678 2
当 大野元裕 民主党 新 557,398 1
◎ 島田智哉子 民主党 現 544,381
◎ 小林司 みんなの党 新 416,663
◎ 伊藤岳 共産党 新 207,957
(以下略)
6535 :チバQ:2015/06/19(金) 23:29:51
http://www.sankei.com/region/news/150618/rgn1506180051-n1.html
2015.6.18 07:03
【決断】
(上)崩れた「上田勇退、大野後継」 誤算…支援団体の理解得られず

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 14日午前、上田清司は春日部市で開かれた宗教団体の記念式典の壇上にいた。遅れて会場入りしたのは、県選出の参院議員、大野元裕(51)。祝辞を述べて途中退席した上田と言葉を交わすことはなかったが、2人は知事選に向けて水面下で接触していた。

 式典後、大野は産経新聞の取材に「知事から出馬を考えておいてくれという話がないわけではない」と認めた。「知事からは『こうしたらいい、ああしたらいい』と言われている。正直、急な話だが…」と戸惑いを見せつつも、「知事次第だが、県民が大事だと思っている」と自身の出馬に前向きな姿勢を示した。

 だが、事態は16日に一転する。「上田勇退、大野後継」が幻に終わった背景には何があったのか。

                   ◇

 多選自粛条例を守れば今期限りで引退となる上田は年明け以降、「やらなければいけない時は手を挙げてでもやる」と出馬を意識した発言を繰り返した。これを受け、後援会や側近県議らは選挙事務所探しや各種団体への支援要請に動き、4選出馬に備えていた。

 一方で、上田は「(条例を守るため)できる限りの努力はする」とも発言。その努力こそが「大野の擁立」(知事周辺)だった。

 大野は中東情勢の専門家で、平成22年の参院選に民主から出馬し初当選。24年には1期目ながら防衛政務官を務めた。祖父の大野元美(もとよし)は川口市長を6期20年務め、川口自民党(現自民党川口支部)を組織。昭和47年に知事選に出馬し、敗れはしたものの約70万票を集めた。

 「上田知事が出馬しないなら知事選を前向きに検討したい。選挙も知事に頼らず自前でやる」。大野側が上田側にこう伝えたのは今月8日。5月中旬の打診から3週間が経過していた。

 知事側近は「大野氏は実務能力が高い。本人の周囲からは、民主を離れて無所属で知事選に出馬すれば、自民の重鎮だった祖父に顔向けできるという話すら聞こえてきた」と話す。

 大野の意向を聞いた上田は表情を緩ませたという。事務所関係者は「出馬を見送る可能性が出てきたと感じた」と振り返った。

 上田は翌9日夜に都内で大野本人と面会し、数日後にも大野と具体的な協議を進めた。わずか1週間のうちに大野擁立の構図が現実味を帯びていった。

                   ◇

 そして16日朝。

 「自分は引退して大野を立てるかもしれない。そうなれば大野の代わりに参院補選に出馬する」。上田は明言を避けつつも、出馬見送りの意向を県内の有力支援者に伝えた。

 だが数時間後、側近が耳にしたのは「(大野の擁立が)難しくなった」という上田の言葉だった。

 側近は「支援を約束してくれていた県市長会などの団体や政治家から『上田だから応援するんだ』と言われてしまった。これは誤算だった」と明かす。

 その夜、上田は公務で埼玉スタジアム(さいたま市)でのサッカー日本代表戦を観戦した後に大野と会い、「自分が出るしかない」と伝えたという。大野側の関係者は「会合は数時間かかるかとも思ったが、あっさりと終わった。まさか、こんなことになるとは思わなかった」と驚き、悔しさをにじませた。

 「ぎりぎりまで努力したが、タイミングもあり簡単ではなかった」。後継者を立てられなかったことについて、上田は17日の会見でこう答えるしかなかった。

                   ◇

 7月23日の告示まで1カ月余りの時点で表明された上田の4選出馬。決断の背景を追う。(川畑仁志)=敬称略


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