したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

自民党スレ

966名無しさん:2015/11/15(日) 12:11:36
>>965

世論の要望に応えたつもりが
 ところが、このシナリオは実行に移されなかった。

 「第一次岸内閣は7月10日に内閣改造を行いましたが、党内融和を図るために派閥均衡主義をとらざるを得ず、小選挙区制を導入するための十分な統制力を欠いていることが明白になったからです。そこで岸首相は、次の総選挙は中選挙区制のままで実施し、勝利を収めて政権を強化したうえで、小選挙区法案を国会に提出することにしたのです」

 中北浩爾が私に説明した。

 鳩山首相のときに、急いで小選挙区制の導入を図って手痛い失敗をしたために、慎重を期したのである。もっとも、岸首相は小選挙区制導入の前段として派閥の解消を図ろうとした。だが、岸首相の意図が伝わると、逆に派閥の動きは活発化した。

 自民党の各派閥は勢力拡大のため、自派の候補者のために党の公認の獲得、選挙資金の提供、応援演説の実施を行い、さらには票とカネの獲得のために、農協、日本遺族会、日本医師会など各種団体とのつながりを密接にした。

 また、それぞれの候補者も、中選挙区制では同じ自民党の候補者と激しい同士討ちになるために、派閥の支援に依存せざるを得なかったのである。

 岸、石橋、石井の総裁選がカネで票を奪い合う金権選挙であったと前回記したが、1958年5月に実施された総選挙は、各派閥への露骨な利益誘導選挙となった。

 そして、この総選挙で自民党は勝利を収めた。保守系無所属を入れて298議席で、結党時の299議席をほぼ守った。対する社会党は166議席で、政権獲得の見通しは当面なくなった。

 第二次内閣を組織するにあたって、岸は派閥均衡主義はとらず、派閥の希望やその内部の序列を無視して閣僚を選び、派閥に打撃を与えた。岸としては、小選挙区制導入のために、党執行部の統制力を強化したのである。

 小選挙区制を導入して獲得議席を大幅に伸ばし、そしてGHQが押し付けた憲法を改正する。これが岸の確固たるスケジュールであった。

 だが、総選挙後に駐日アメリカ大使のダグラス・マッカーサー二世と会談を重ねる中で、岸は日米安保条約改定に先に取り組むことにした。前回も記したように、小選挙区制導入には強く反対している社会党が不平等な安保条約の改正を求め、経済界も望んだうえ、マッカーサー駐日大使から、相当の条約改正が可能だとの感触を得たのである。

 だから、繰り返しになるが、岸はいわば世論の要望に応えるつもりで安保条約改定に取り組んだのであった。そして、アメリカ大統領の訪日の約束も取り付けて、国民の支持が高まったところで小選挙区制を導入し、さらに総選挙を行って、念願の憲法改正を行うことにしたのである。

 安保条約改定については、あらためて記すが、60年の安保条約改定は、岸が予想もしていなかった大騒動となり、岸は安保改定と心中するかたちで首相を辞めざるを得なかった。そのために小選挙区制導入も憲法改定もできないで終わってしまったのである。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板