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自民党スレ

8511OS5:2023/02/20(月) 07:48:44
 飯島は聞いた。

 「どれくらいの毒が必要か?」
「猛毒が要る」
「猛毒とは、誰ですか?」
「JA京都の中川というのが、(筆者註・野中一派の)田中に対して猛毒になる」

 中川を「猛毒」と表現した著名な人物は相当な見識の持ち主に違いない。なぜなら、野中の牙城に送り込まれる刺客は極めて厳しい選挙を戦わなければならないし、仮に当選できても京都の自民党議員のほとんどは野中の息が掛かっており、四面楚歌になることは目に見えている。相当にタフでなければ刺客は務まらない。その任に堪えるのは中川をおいて他にいなかった。〉(『農協のフィクサー』213〜214ページ)

野中広務が伊吹文明に放った恫喝
 2005年の「郵政民営化選挙」は、すでに政界を引退したはずの野中広務にとって、中川泰宏との代理戦争の様相を呈した。

 〈郵政選挙の公示日八月三〇日を迎える前から、野中と中川の鞘(さや)当ては始まっていた。

 野中は同月一八日、京都市の自民党京都府連で記者会見を開き、「(中川は〇二年の)京都府知事選挙で自民党に反旗を翻した人だ。党本部はその経緯を咀嚼しないまま公認した。私は先頭に立ってやります」と宣戦布告した。
(略)
舞台裏ではもっと緊迫する場面があった。

 場所はやはり自民党京都府連の会議室だった。同府連会長だった伊吹文明ら京都府選出の国会議員が居並ぶ幹部会議で、野中は「もし府連が中川を全面的にバックアップするなら私は京都一区から出ます」と啖呵(たんか)を切ってみせた。
(略)

 京都府連が郵政選挙で中川を応援するならば、離党してでも自らの古巣と徹底的に戦うという覚悟を示したものだった。そして、よりによって野中が出馬すると言った京都一区は自民党京都府連の会長である伊吹の選挙区なのだった。

 野中の発言は、国政を引退した顧問が現役の執行部に対してクーデターを起こす可能性をちらつかせる脅迫に近いものだった。野中は当時七九歳である。(略)

 野中が啖呵を切った後、会議室は水を打ったように静まり返った。伊吹はしばらく間を置いて「そんなこと(中川への全面的な支援)はしません」と言うのが精いっぱいだったという。〉(『農協のフィクサー』215〜216ページ)

 野中広務と「農協のフィクサー」の罵り合いはその後ますますヒートアップした。「中川泰宏を選挙で絶対に落とすわけにはいかない」と躍起の小泉純一郎首相は、選挙期間中二度にわたって京都入りし、中川への応援演説をブッている。

 〈小泉が中川と握手を交わし、演壇に上がると会場の熱狂は最高潮に達した。小泉は三〇分に及ぶ大演説を行い、メイン会場だけでなく、予備の会場にも足を運んだ。SPは止めたがっていたが、小泉は、聴衆一人ひとりと握手をして回った。「勝負師」と称された小泉はこのとき、完全に戦闘モードに入っていた。野中陣営にとどめを刺しに行っていたのだ。〉(『農協のフィクサー』219ページ)

 こうして「農協のフィクサー」は、156票差というギリギリの僅差を制して、「小泉チルドレン」として衆議院議員に当選したのだ。小泉純一郎と飯島勲と「農協のフィクサー」の暗躍によって、野中広務は戦いに敗れた。

千本木 啓文(ダイヤモンド編集部記者)


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