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自民党スレ
8381
:
チバQ
:2022/11/14(月) 20:23:43
世代交代目指した「5人衆」
「塩谷派」に向け動いたのは、「5人衆」と称した以下の面々だった。
安倍派5人衆 高木氏 松野氏 西村氏 萩生田氏 世耕氏
このうち、松野・西村・萩生田は、安倍が生前、将来のリーダー候補と評した4人、いわゆる「安倍四天王」に名を連ねたうちの3人だ。世耕は、派内で固い結束を誇る参議院議員のグループを率い、将来は衆議院にくら替えして、総理大臣を目指す意向を公言している。
彼らは、派閥の実務を取り仕切る事務総長の高木も加えて会合を重ね、意見を交わした。
5人は、塩谷を会長として自分たちが支える新たな執行部体制を構築したいと考えていた。
このうち複数のメンバーが、これを機に派閥内の「世代交代」を進めたいという思惑で5人が一致していたと明かしている。
もう1人の「会長代理」
「5人衆」が「世代交代」を図る相手として念頭に置いたのは、下村博文(衆・当選9回・68歳)だった。
塩谷とともに派閥の会長代理を務める下村は、「安倍四天王」の残りの1人であり、これまでに総裁選挙への立候補を模索した経験も持つ。
下村氏
下村も、今回、自身は会長を目指さず塩谷を推す意向を早々に固め、下村周辺は、引き続き会長代理を務めることで、「次」を狙うという絵を描いていた。
「塩谷会長」のもとで、どちらが派閥運営の主導権を握るのか。
水面下の攻防は、まずは、世代間のポスト争いという形で展開していった。
ベテラン勢の「塩谷推し」
「国葬」の2日後の9月29日。派閥の運営方針などを話し合う「幹事会」が開かれた。
「塩谷先生を会長にどうか」
この場で下村は、塩谷を会長に推す考えを表明した。
下村のほか、派内の衆参それぞれの最長老で、ともに「最高顧問」を務める衛藤征士郎(衆・当選13回・81歳)と山崎正昭(参・当選6回・80歳)も同様の意向を示した。
衛藤氏と山崎氏
派閥の公式な会合で具体的な会長候補の名前が出されたのは初めてで、突然の発言に、ほかの出席者は一様に驚いたという。
会合のあと、下村周辺の議員たちは「幹事会で特に異論は出なかった。塩谷会長で決まりだ」と口々に記者たちに解説して見せた。
「3人の発言は事前に示し合わせたものだろう」
派内では、下村が、いち早く塩谷支持を表明することで、「5人衆」に対し機先を制することを狙ったものだとの見方が大勢だった。
新体制移行方針の表明
この幹事会の直後に開かれた派閥の議員総会で、塩谷は、新体制に移行する方針を表明した。
「安倍総理が亡くなった大きな穴を埋めることは、どんな体制をとっても難しいと思う。しかし、皆さん1人1人の力を結集して、日本の政治に清和研(清和政策研究会=安倍派)が中心になって貢献できるような体制を整えていきたい」
幹事会での下村らの発言は想定外だったが、事前に「5人衆」と下村らの双方から意向を確認しており、自身の会長就任におおむねメドがついたと判断したうえでの宣言だった。
塩谷は、この時点で、1〜2週間後には新体制を発表できると考えていた。
しかし、このあとも塩谷にとって想定外の事態が続いていくことになる。
「5人衆」に亀裂
塩谷は、新しい体制をめぐって、「5人衆」と下村側の双方から働きかけを受けていたが、派内で将来の総裁候補を育てていくため、「5人衆」の意向を尊重する方向で調整を進めていた。
ただ、調整を進める中で次第に、今度は「5人衆」の中で思惑の違いが顕在化してきた。
もともと、「5人衆」の中で、「塩谷会長」実現に向けた熱意には明確な温度差があった。もっとも積極的だったとされたのは、官房長官の松野だ。塩谷が派内の調整に動く中、松野も、他派閥の幹部に「塩谷会長になりますので、よろしくお願いします」と声をかけるなど、環境整備を進めてきた。
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