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自民党スレ

8346チバQ:2022/10/16(日) 19:23:54
https://news.yahoo.co.jp/articles/29ac9a9662f7bab4b41eaf17d59143a2aceadd66
永田町の歴史に残る「5人組の密談」…密談が密談にならなかったワケ
10/16(日) 8:02配信

読売新聞オンライン
「参院のドン」と呼ばれたころの村上正邦氏(1999年)

 自公政権が始まって4半世紀近くたつ。この間、民主党内閣も含め、幾度も内閣が入れ替わったが、出だしから猛烈な逆風に見舞われたのが、森喜朗内閣(2000年4月発足)だった。発足の舞台裏を「5人組の密談」(*文末のメモ参照)と批判され、今でも語り草となっている。


 密談が密談にならなかったのはなぜか。5人組の1人、当時、参院自民党議員会長だった村上正邦氏がその事実を公の席で明らかにしたからだ。

 密談の翌朝、約30人の参院議員を集めた朝食会で自慢話のように話してしまった。

「大変なことですよ」
森喜朗首相(中央)と自民党役員会に向かう村上氏(2000年)

 前任の小渕恵三首相が倒れたのは2000年4月1日深夜のことだ。翌朝、村上氏の部屋(参院議員宿舎)の電話が鳴った。官房長官・青木幹雄氏からだった。

 「そっちに行ってもいいですか」(青木)
 「もう少し寝かせてくれんか」(村上)
 「大変なことですよ。小渕首相が入院した――」(青木)

 事態を受け、青木氏、村上氏ら自民党幹部5人が都内のホテルの一室に急いで集まった。後継を巡り何人かの名前が上がった。派閥の思惑や複雑な人間関係が重なって微妙な空気が漂う。そこで村上氏が切り出した。

 「ここにいる森さんでいいじゃないか」
 その一言で事実上「森首相」が固まったという。

 話の内容はすぐさま永田町に知れ渡り、読売新聞を含め複数のメディアが報じた。

「密談」を詳細に報じた読売新聞(2000年4月6日朝刊)

 実は、弊紙の記事を書いたのは私だった。政局取材班にいて、同僚記者が集めた情報を原稿にまとめた。

 取材メモを読んで、思わずうなったのを覚えている。村上氏の発言内容は描写力に富み、そのまま記事にしてもいいほどだった。

 村上氏は密談を暴露した形となり、批判の大合唱となった。どう受け止めたのか、後に村上氏に直接聞いたところ、
「謀議だと思っていない。緊急事態に党の幹部が前後処理を話し合うのは当たり前のことだ」と反論した。

頂点から転落
インタビューにこたえる村上氏

 思えば、村上氏はこの時が、政治人生の頂点だった。

 「5人組の密談」の翌年、ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)を巡る政界汚職事件で村上氏は逮捕(受託収賄容疑)される。その後、裁判闘争の日々を送り、2008年には実刑が確定、服役した。

 私が村上氏を取材するようになったのは議員辞職してからだ。一時は「参院のドン」と畏れられた村上氏だが、気軽に取材に応じてくれた。永田町が政局で揺れるたびに権力闘争の背景や実力者の本音を生々しく解説してくれた。


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