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自民党スレ

8112チバQ:2022/07/30(土) 14:25:04
谷垣はキッパリと答えた。

「どんな人も、突然仕事を続けられなくなるということは、起こり得るわけです。脳卒中などの大きな病気にかかるかもしれない。いろんなことがあると思いますよ。私の場合は自分の、ふっとした一瞬の気抜けが、そういうことになったんだろうと思います。病気でも事故でも、損傷を受け、障害を負う方というのはたくさんいらっしゃいますけど、はじめはみんな障害者になるということがどういうことか、分からないんです。私のような脊髄損傷でも、いろんな段階があって、人によってみんな違いますしね。障害者になった第一歩は、『今の自分の状況はどうなっているんだろう、何ができるんだろう』。そこから3か月後、2年後と、考えることはどんどん変化しました」

障害者の立場で政界復帰をすることも考えたが
ショックだった。受け入れ難い事実だった。どうして自分が。……そういった型どおりの言葉を、谷垣は一つもこぼさない。もちろん人間なのだから、いわゆる“障害受容”の段階を経たはずだ。しかし、喪失感、悲哀、後悔といったマイナス感情にフォーカスして語ることはない。

長期入院中は何を考えていたのかと問うと、嬉しそうな笑顔を向けた。

撮影:殿村誠士

「何がしたい、と思ったこともないんです。ただ、これはいい世の中になったなと。私が学生の頃は、LPレコードなんて、けっこう高かったんですよ。バッハの全曲が聴けるなんて、よっぽどお金がないと無理だと思っていた。ところが今、YouTubeで探すと、全部聴けちゃうと。おー、ついに俺はバッハの全曲を聴いたぞ! ということが、入院中の体験です」

谷垣が実質引退を決めたのは、事故直後ではなく、2017年の9月のことだった。それまでは、リハビリを続け、障害者の立場で政界復帰をすることも考えていたという。

「まだ多少役に立てることもあるんじゃないかなって、先輩の八代英太さんのような例もありますしね、希望もあったんですけど。それでも、秋に衆議院が解散することになって、これはもうだめだな、と。選挙を戦うほどの体力はなかった。もうちょっと時間があって、回復していたら分からなかったですけど。ただ、もう70歳も過ぎて、引き時を考えなければならない時期に差し掛かっていたのも事実ですから」

安倍元首相、二階元自民党幹事長をはじめ、多くの仲間が慰留したが、翻意することはなかった。

「引退して、気持ちはうんと楽になりました。政治家は揶揄されるもので、厳しい文章が世の中に溢れているでしょう。実際、政治家にもいろんな人がいて、名前は挙げませんけど、なんであんなことするんだろうなっていう事件もありますしね。でもね、全体から見ると、やっぱり曲がりなりにも、5万とか、10万もの人たちが投票してくれて、議員になるわけです。長く続けている人、一度失敗してもふたたび戻ってくる人、いろんな人がいてね。偉い学者の先生の議論とは違うけれど、それぞれ経験なり、説得力を持った人がたくさんいる業界なんですよ。だからそういう意味ではね、面白かったですよ。いろんな人と会えて。麻生太郎なんて個性的な人もいるし、とかね(笑)」

もし、あの日事故に遭わなかったら、どうなっていたと思うか。
この質問にも、谷垣は笑顔で答えた。

当選同期で残っているのは菅直人だけ
撮影:殿村誠士

「私と当選同期の仲間は、去年の選挙で、全員いなくなりました。そうするとね、さっぱりしたもんで、やっぱりそろそろ年貢の納め時だったんだな……という感じになりましたね。同期でいうとね、与野党合わせて残っているのはただ一人、菅直人。やっぱり彼が一番……(笑)、なかなかしぶといじゃないですか」


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