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自民党スレ

7795チバQ:2021/12/30(木) 22:50:54
https://news.yahoo.co.jp/articles/2bcd1f1c73061bbd6256936ad3edc4ae0966d054
岸田首相と「ナンバー2」の気になる関係
12/30(木) 10:02配信

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毎日新聞
岸田文雄首相=首相官邸で2021年12月22日、竹内幹撮影

 岸田文雄氏が首相に就任して、はや2カ月が過ぎた。昨年(2020年)9月、菅義偉前首相に自民党総裁選で敗れた頃は「岸田は終わりだ」とささやかれたものだが、1年あまりで、本命視された河野太郎氏を撃破し、自民党総裁・首相の座に就いた。

 自民党名門派閥「宏池会」の首相としては、宮沢喜一氏以来30年ぶりとなるだけに、宏池会再興にボルテージも上がる。1カ月もたたぬうちに総裁選と衆院選を制した岸田氏は今後、政権基盤をどう固めようとするのか注目される。

 ◇岸田政権の行方を左右する林芳正外相

 衆院選でよもやの小選挙区敗北を喫した甘利明幹事長が辞任し、茂木敏充外相が甘利氏の後任の幹事長の座に就き、玉突きで茂木氏の後任外相には林芳正元防衛相が就任した。林氏は先の衆院選で、参院議員を辞職して、山口3区から出馬、同選挙区の河村建夫元官房長官を引退に追いやって初当選したばかりである。

 林氏の外相就任にあたっては安倍晋三元首相や麻生太郎副総裁(元首相)が反対する声を上げていた。林氏は長年、日中友好議員連盟会長を務める名だたる知中派であり、中国との微妙な関係の中での登用への異論だった。

 しかし、岸田氏は林氏の起用にこだわった。岸田氏の心中をよく知る政界関係者は「林さんが外相になって、首相の寝首をかくという見方もあるが、それは違う。重要ポストに就けて責任を持たせた方がいい、という考え方だ」と語った。

 宏池会政権で首相、外相ともに宏池会だった例は3例ある。元祖・池田勇人内閣の小坂善太郎、大平正芳外相、鈴木善幸内閣の伊東正義外相である。この中で特筆したいのは池田―大平関係、鈴木―伊東関係の2例だ。

 大平氏は池田氏が蔵相時代の秘書官出身であり、池田氏の腹心中の腹心と言われた。1960(昭和35)年7月、第1次池田内閣が発足すると、池田氏は大平氏を内閣官房長官に起用。大平氏は池田政治のスローガンである「寛容と忍耐」の演出を主導するなど、内閣の大番頭として力を振るった。

 その池田―大平関係が変質を見せるのは62(同37)年7月に大平氏が外相に就任してからである(この時、大平氏の盟友・田中角栄氏が44歳で蔵相に就任)。この時期は日韓国交正常化に先立つ日韓請求権交渉の最中で、池田氏と大平氏は交渉をめぐり対立するようになる。読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏は自らの回顧録「渡辺恒雄回顧録」(中央公論新社刊)に大平氏の声を記している。


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