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自民党スレ

5416名無しさん:2020/10/15(木) 10:14:46
https://news.yahoo.co.jp/articles/e76575f3ed74ae3399f76d11e7f15a2cf588cd15
「お前は何アゲだ? 何で俺だけ“たたき上げ”なんだ!」“最後の怪物幹事長”二階俊博がキレた瞬間
10/15(木) 6:01配信

 自民党幹事長の通算在職記録を更新中の二階俊博は寝業師、すなわち「政治技術の巧者」という報道のされ方をすることが多い。政策というと親中派であること、運輸や土地改良事業の族議員であることぐらいは知られるが、政治思想は意外と知られていない。メディアで多くを語る姿を見ない二階が今回、インタビューで「政治の原点」を語った。

二階俊博のスイッチが入った“ある質問”
 与えられた時間は30分間、限られた時間の中で、私は二階にいくつもの質問を矢継ぎ早にぶつけた。

 13年前の「ある場面」について私が訊ねた瞬間、二階のスイッチが入った。

――2007年12月25日、東京ホテルオークラの広間で開催された高速道路建設を決める「国土開発幹線自動車道建設会議(国幹会議)」の最終盤でのことだ。テーマに地方の道路はなく、主題は東京外環自動車道だった。会議の2週間前、道路特定財源の一般財源化で政府・与党が合意し、2年前に道路公団が民営化して以来の高速道路の建設にブレーキをかけ、限られた財源を投資するなら東京などの大都市へ――という風潮が強まっていた。

 この時、二階は立ち上がって「今後の道路予算をどうするんだ。国土の均衡ある発展は死語になっているのか、生きているのか」と食ってかかり、議長の著名な学者が「貴重な意見として承らせていただく」と割り込もうとしても「そんな簡単なもんじゃない」と吠えた。

 普段、メディアもいる場で見せることのない意外な姿が、私の印象に残っていた。

 私がその13年前の発言の真意を問うと、二階は堰を切ったように語り始めた。

「我々は開発発展の遅れている地域の出身ですからね。それが政界へ進出する原点です。いかにも国土の均衡ある発展がなされてないではないかという、激しい怒りにも似た気持ちがありましたから」

これが本当に同じ国か?
 1939年(昭和14年)に和歌山県の御坊で木造船会社を起こした父と保健師の母の間に生まれた二階は、中央大学を卒業後、静岡県選出の衆院議員、遠藤三郎の秘書を11年にわたって務めた。1975年(昭和50年)から県議2期の後、1983年(昭和58年)に国政に進出する。

「怒りにも似た気持ち」は、二階が遠藤三郎の地元から、県議選に初出馬するため故郷の御坊市に戻る途中で目にした光景のことだ。

「国会議員の秘書という門前の小僧ではあるが、東京から名古屋まで、東名高速道路の建設の姿を見て、それから故郷に帰ったわけです。発展の息吹が感じられる地域があるのに、和歌山にはそのことを語る声さえなかった。これが本当に同じ国かというほどの思いがありました」


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