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自民党スレ
5274
:
名無しさん
:2020/10/05(月) 10:26:49
>>5273
「絶対的な実力者」
総合情報誌「FACTA」(ファクタ出版)は13年10月、佐藤副会長について次のように伝えた。
《選挙参謀でもあり、支持政党・公明党の候補者選びでは今や絶対的な権限を握る実力者とされる》
この記事で、佐藤副会長は53歳と記載されている。すると現在は60歳ということになるだろうか。
(2013年11月号「『創価学会のドン』は死なず 脳梗塞で倒れた池田大作名誉会長が職務に復帰。11月18日の『総本部』竣工祝賀に安倍首相を招き、復活をアピール?」より)
佐藤副会長とはどのような人物なのか、学会ウォッチャーの乙骨正生氏が解説する。
「佐藤氏は大学を卒業すると、杉並区の男子部長に任命されます。その後、全国の男子部長、青年部長とエリートコースの王道を歩んでいきました」
教宣・広宣部長として活躍
「全国の男子・青年部長は、選挙を取り仕切るポジションです。だからこそ出世コースなのですが、佐藤氏は別の仕事で評価され、頭角を現します。人のやりたがらない、厳しい仕事で成果をあげたのです」(同・乙骨氏)
佐藤副部長は教宣部長、広宣部長も歴任している。これが出世の糸口になったという。
「かつて創価学会は日蓮正宗の在家信徒団体という位置づけでしたが、様々な対立の結果、91年に日蓮正宗は創価学会を“破門”します。
その日蓮正宗の中で、最も反学会の旗幟を鮮明にしていたのが妙観講というグループで、杉並区に本部があります。
この妙観講など、創価学会に敵対的な宗教団体や、マスコミ、ジャーナリストと対応・対峙するのが教宣部長、広宣部長の役割です。
精神的にも負担が大きい仕事であるのは言うまでもありませんが、佐藤氏はこれをやり抜くことで、上層部に認められたのです」(同・乙骨氏)
最初の選挙では「反学会」
まさに体を張ることで、創価学会に対する忠誠心を証明したということのようだ。
一方の菅首相だが、初めて衆院選に出馬したのは1996年、この総選挙は新進党が政権交代を謳って自民党に総力戦を挑んだことが最大の特徴だった。
新進党には公明党の一部議員が参加していた。自民党にとっては文字通りの“敵”だった。
そのため菅首相は当時、「自民党からも心配の声が出るほどの反学会キャンペーンを張って選挙を戦った」という。乙骨氏が言う。
「96年11月、自民党の機関紙である『自由新報』が菅さんの選挙のことを取り上げています。
菅さんの対立候補は創価学会プロパーの公明党議員で、新進党の結党に参加し、新進党から出馬しました。
そのため、菅さんは徹底して学会を攻撃。対立候補が約6万5000票だったのに対し、約7万票を獲得して初当選を果たしました」
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