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自民党スレ
42
:
チバQ
:2013/10/27(日) 23:21:24
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131012/stt13101212000003-n1.htm
【ニッポンの分岐点】
派閥(2)弱体化 小選挙区導入の狙いの一つ
2013.10.12 12:00 (1/4ページ)
政権発足後、記念写真に納まる細川護煕首相(前列左から3人目)ら連立内閣首脳=平成5年8月9日、首相官邸
自民党最大派閥だった竹下派(経世会)の分裂は、38年間にわたって政権を担い続けてきた自民党の野党転落という事態に発展する。小沢一郎や羽田孜らが平成5年6月に首相、宮沢喜一への内閣不信任決議案に賛成、離党したためだ。新生党を結成した小沢らが掲げたのが小選挙区制の導入を柱とする「政治改革」だった。その真のねらいとは−。
■非自民連立政権の誕生
自民党の単独過半数を阻んだ衆院選から一夜明けた5年7月19日、小沢は田中派以来の同志、渡部恒三を都内のホテルの一室に呼んだ。
「ナベさん、今回は細川で行くしかないな」
小沢が日本新党を率いる細川護煕を「首相候補」として挙げたことに渡部は仰天した。当然、新生党党首の羽田を推すと考えていたからだ。
説得を重ねる小沢に渡部も従った。結果は小沢の読み通りだった。「政治改革」で新党ブームを巻き起こし、クリーンなイメージがあった細川を前面に出したことで非自民、非共産の7党1会派連立政権が誕生した。
竹下派内の権力争いに敗れた小沢にとり「非自民」の結集は、権力闘争の第2ラウンドだった。連立政権樹立に成功すると、小沢が次に目指したのが「小選挙区制」の導入だ。
「小選挙区制の趣旨からいえば、選挙運動の手段はすべて政党に与え、政党だけが選挙運動を行えるようにした方がよい。政党と政党が、資金力によってではなく政策の優劣で争う政党本位、政策本位の選挙ができるようになる。これまでの自民党に見られるような派閥の弊害も是正される」
小沢は政権交代前の5年5月に上梓(じょうし)してベストセラーになった自著『日本改造計画』にこう記した。
「政権交代を可能にする二大政党制の実現」が表看板だったが、渡部は小沢のねらいについて「小選挙区制導入には、自民党の派閥の力を弱める意味もあった」と解説する。
1選挙区から3〜5人程度が当選する中選挙区制の下では、各派が競って候補者を擁立。派閥領袖(りょうしゅう)は擁立した候補の選挙資金や票集めの面倒をみる。当選した場合は派閥に入会させ、勢力を拡大した。派閥による競い合いが自民党の一党支配を支えてきたことを身をもって知る小沢は、仕組みそのものを変えようとしたのだ。
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