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自民党スレ

402名無しさん:2015/04/05(日) 16:05:56
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MFJMCO6TTDT201.html
菅義偉・新官房長官:安倍政権誕生に尽力、議員秘書出身の苦労人 (1)
2012/12/26 17:33 JST

  12月26日(ブルームバーグ):26日に発足する第2次安倍晋三政権で官房長官に就任する菅義偉氏は秋田県の農家に生まれ、働きながら大学を卒業、議員秘書を経て国会議員になった苦労人だ。安倍氏が最初に首相となった2006年と今年9月の自民党総裁選で安倍陣営の中核として勝利に尽力した側近。新政権では女房役として経済再生などの課題に取り組むことになる。
「経済再生を第一に考えている。まず経済集中でやっていくことにならざるを得ない」-。菅氏は衆院選で勝利した翌17日、幹事長代行として出演したNHKの番組で、来年夏の参院選を控え、円高是正など経済対策に重点的に取り組む考えを示した。政権奪還は「自民党にとっても国民から与えられた最後のチャンス」とも指摘した。
小泉純一郎元首相の後継を選ぶ06年の総裁選の直前、安倍氏を支持する派閥横断の議員グループ「再チャレンジ支援議員連盟」を結成。第1次安倍政権誕生の流れを作り、当選4回ながら総務相に抜てきされた。その後の麻生太郎政権では党選挙対策副委員長として安倍氏、甘利明行政改革担当相、故中川昭一財務相とともに麻生首相を支えたグループ「NASA」の1人として、政権にも一定の影響力を持った。
集団就職
菅氏は1948年生まれの64歳。名門に育った安倍氏とは対照的な道を歩んできた。高校を卒業すると集団就職で上京。仕事をしながら法政大学を卒業した。その後、故小此木彦三郎元建設相の秘書を務め、小此木氏の地元である横浜市の市議会議員を経て96年の衆院選で初当選した。現在6期目。
96年の衆院選は現在の小選挙区制が導入されて初の選挙。菅氏は総務相時代の07年4月に行ったブルームバーグ・ニュースのインタビューで、小選挙区制度の下で衆院議員になった自らの世代は「国民世論に非常に敏感」と分析。自民党のトップを決める総裁選への対応についても「派閥の領袖がこの人だと決めたらそこに行く、という時代ではなくなった」と発言している。
菅氏の政治行動が政界で最初に注目を集めたのは1期生議員として迎えた98年の総裁選だ。師事していた故梶山静六元官房長官が故小渕恵三氏(後の首相)の対抗馬として自らも出馬する決断をした際、梶山氏や佐藤信二元通産相に続いて小渕派(現在の額賀派)を退会。梶山陣営に参加した。当時の小渕派は野中広務元官房長官、青木幹夫元官房長官らの全盛時で、自民党内で大きな影響力を持っていた。
その後、菅氏は一時、古賀誠元幹事長らの堀内派(のち古賀派、現在の岸田派)に所属したこともあったが、福田康夫元首相と麻生元首相が争った07年の総裁選では派閥会長の古賀氏が推す福田氏ではなく麻生氏支持に回った。現在はその古賀派も退会しており、無派閥だ。
郵政民営化
安倍政権で総務相に就任する直前まで総務副大臣として竹中平蔵総務相を支え、郵政民営化を推進した。昨年4月に自民、民主、公明の3党が合意して民営化法改正案を衆院本会議で採決した際は、小泉進次郎衆院議員らとこれに反対を表明した。
官僚との関係については今年に出版した著書「政治家の覚悟」(文芸春秋)で、「官僚はしばしば説明の中に自分たちの希望を忍び込ませるため、政治家は政策の方向性が正しいかどうかを見抜く力が必要」と指摘した。
梶山氏から聞いた「官僚は説明の天才であるから、政治家はすぐに丸め込まれる」との言葉を胸に刻み、学者や経済人などからも意見を聞いて自らの判断力を身につけるよう心掛けてきたという。
総務相時代には、個人住民税の一部を居住地以外の自治体に実質的に納める「ふるさと納税」を実現、NHK改革などにも積極的に取り組んだ。初当選を果たした96年の衆院選当時、官房長官は梶山氏。16年の歳月を経て、菅氏はかつて仰ぎ見た梶山氏と同じポジションで政権運営を担うことになる。
「東日本大震災からの復興、経済の再生、これに向けて一丸となって内閣が取り組んでいく。官房長官としてその体制を下支えしながらみんなで一つの方向に向かっていく、そのことに全力を挙げて取り組んでいきたい」-。菅氏は26日夕の記者会見でこう抱負を語った。


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