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自民党スレ

3669チバQ:2019/06/03(月) 15:12:02
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00010004-jij-pol
【点描・永田町】多難な最強軍団復活への道
6/2(日) 19:07配信 時事通信
【点描・永田町】多難な最強軍団復活への道
自民党竹下派の政治資金パーティーで、壇上で撮影に応じる会長代行の茂木敏充経済再生担当相(右端)=3月13日、東京都港区
政治ジャーナリスト・泉 宏
 かつて自民党最大派閥として権勢を振るった平成研究会(竹下派)が、影響力の回復に苦しんでいる。

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 2018年春に派嫡流の竹下亘総務会長(当時)を領袖(派会長)に担ぎ出し、保守本流の名門派閥再興に踏み出したが、同年秋の自民総裁選への対応では結束が乱れた。

 さらに、会長の竹下氏が年明けから闘病生活に入り、参院を取り仕切ってきた吉田博美参院幹事長も体調悪化で引退表明を余儀なくされ、リーダー不在で派閥運営もままならないのが現状だ。

 19年の亥年選挙前半戦の統一地方選でも、竹下氏や、派長老で参院のドンと呼ばれた青木幹雄元官房長官の地元の島根県知事選で、両氏が擁立を主導した新人候補が敗北。その結果、故竹下登元首相と青木氏が築いた「竹下・青木王国」にも、崩壊の危機がささやかれている。

 今後の派結束のためには総理総裁候補擁立が必要だが、有力視される茂木敏充経済再生相は派内の信望が不足し、加藤勝信総務会長も「本籍・安倍派」と揶揄されるなど、“外様”扱いが目立つ。このため、当面は竹下氏の本格復帰と、ポスト安倍候補の一本化が同派の課題となる。

 平成研は2000年代の初めまで、政局を支配する自民最大派閥で、「一致結束箱弁当」という結束の固さと戦闘力から、最強軍団と呼ばれていた。

 派閥の源流は、1972年に故田中角栄元首相が立ち上げた田中派(七日会)で、故竹下元首相が同派を割って出る形で旗揚げした竹下派(経世会)は、竹下元首相の退陣以降も最大派閥として党運営を仕切り、「経世会支配」と恐れられた。

 95年には派閥の名称を「平成研究会(平成研)」に変更したが、派領袖の橋本龍太郎、小渕恵三両氏(いずれも故人)が連続して首相を務めるなど、最強軍団は健在だった。

 平成研という名称は、竹下政権下で元号が昭和から平成に変わったことが由来だが、同派幹部は「令和になっても名称は変えない」と口を揃える。

茂木氏らも「ポスト安倍には程遠い」
 議員数と資金力で自民党を支配してきた平成研が落ち目になったのは、2001年の小泉純一郎政権誕生からだ。

 同年春の総裁選で、「自民党をぶっ壊す」と叫んで国民の熱狂的支持を得て圧勝、首相の座に就いた小泉氏は、公約の郵政民営化に反対する平成研を「抵抗勢力」と敵視し、党執行部からも外した。

 その後、派閥幹部の政治資金スキャンダルなどもあって所属議員の離脱が相次ぎ、急速に影響力を失った。

 永田町では「小泉氏は、自民党ではなく、派閥政治の中心の平成研をぶっ壊した」(細田派幹部)というのが定説だ。

 その結果、平成研は最大派閥の座を、小泉氏や安倍晋三首相らの出身派閥でもある清和政策研究会(現細田派)に奪われ、有力な総裁候補も出せない状況が続いている。

 19年1月に食道がんを公表して以来、入院加療を続けている竹下氏は、当初連休明けの復帰説もあったが、「手術の影響で声が出しにくいことなどから、なおリハビリが必要」(周辺)とされる。

 このため、竹下氏不在の間の派閥運営は会長代行の茂木氏と、参院組を代表する吉田氏、前会長の額賀福志郎氏で進められている。

 表舞台で派を代表するのは茂木氏だが、総裁候補として認知されたわけではない。派内には加藤氏に加えて、派嫡流で「初の女性首相」を目指す小渕優子元経産相もいるからだ。

 現在、55人の議員を抱えて麻生派に次ぐ党内第3派閥だけに、竹下氏も次期総裁選での独自候補擁立を狙っているが、派内調整は難航必至。このため、党内では「茂木氏も含め、まだポスト安倍には程遠い」(閣僚経験者)との声が多く、最強軍団復活への道は前途多難と言えそうだ。

(時事通信社「地方行政」5月27日号より)


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