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民主党スレ・2

4219とはずがたり:2017/11/26(日) 21:56:45

小池の党への参画=民進党参加で民主党政権失敗のみそぎを済ませようと思ったらみそぎ済んだの希望の党からの排除者の立憲民主の方だったと云ふ逆説w
俺も立憲が野党第一党窺う報道が出た辺りからそう思ってたけどそんな風な言い方をあんま見なかったけどこの人は私の感覚と似たものを感じたようだ。そこから引き出された感慨は俺のとは違うけど。

文学思想
小池百合子の「排除」がなければ、立憲民主党もなかったという逆説
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53400?page=3
あなたを駆動する「物語」について⑥
赤坂 真理 プロフィール

政治は物語でできている

「排除」は、メディアがそこを切り取って小池百合子発の言葉とし、彼女の酷薄さを「証明」して、吊るし上げるために使った言葉だとわたしは理解している。

彼女の足を引っ張りたい層は相当に存在していて、ここぞと総攻撃に転じた。その、誰が申し合わせるでもない「連携」には、ある意味感服してしまう。それにこそ、本当に絶望したくもなってしまう。前原誠司の考えが(も)甘いだろうと言ったメディアはほとんどなかった。

しかしそれが動かしたのは、前原と立場を異にする民主党のナンバー2、枝野幸男だった。

前に書いたように、「排除」は、言われた者が身の危険を感じる言葉だ。

いちばん想起される例は「異分子排除」。

存在を消される危機を感じた者こそは、自らの拠って立つ物語を語らなければならない。

でなければ、ただ消えてゆくだけかもしれないからだ。

その物語こそが、人の心を動かした。

立憲民主党が、20日ほどの選挙期間で野党第一党になったのは、そういうことだろうと思う。

政治に言われる「数」。

「数」というのも、これまで信じられてきたような派閥のかけひきの産物ではなく、「誰の物語に最も吸引力があるか」が問題となる。

それが、まるで初めてのように、思い出された、選挙だった。

そこを日本の政治家はあまりに無視しすぎてきた。「民主主義」が入ってきた1945年からの時間の中で。従属と裏腹のラッキーの中で。

政治は言葉でできている。

政治は物語でできている。

その意味で言えば、他人の使った「不適当な」(どちらが使うにしても、「排除」という言葉はあの状況には合っていない)言葉を、不適当なまま、そのまま使った小池百合子もうかつなのだ。

わたしの記憶のなかで、枝野幸男は、初めて、自らがどんな考えで、どのように立っているか、民主主義、立憲主義とはなんであるかを説明し、政治の決定には「あなたにも責任がある」と言い、「これは、『あなたの』政治だ=それが『民が主』の民主主義だ(大意)」と語り、だから「私たち」としてがんばろう、と言った。

当事者性こそが、民が主であることだと。

そのように語った政治家は、初めてだった。はしばしに詰めの甘いところはあっても、わたしの記憶の限り、初めてだった。

もし、彼が「排除」されなかったとしたら、この物語は、駆動されなかっただろう。

(つづく)


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